25m巨大津波、パラムシル島を襲う
戦後間もない1952年(昭和27年)、千島列島北端近くのパラムシル島を、高さ25メートルともいわれる巨大津波が襲った。
しかし、福島原発の建設が決定されたときの検討事項のなかに、この教訓が生かされることはなかった。
しかし、福島原発の建設が決定されたときの検討事項のなかに、この教訓が生かされることはなかった。
豪腕零戦パイロット岩本徹三による、パラムシル島地誌
少なくともかつては日本領だったこの島の地誌を記す日本の文献は、きわめて少ない。そのなかに、あの有名な凄腕零戦パイロット、日本一の撃墜王といわれた、「岩本徹三」 ── 日中戦争から太平洋戦争末期までを、つねに最前線で戦いぬいて生還し、220機以上を撃墜したといわれる ── による、戦中のノートにもとづいて、戦後になって記した手記がある。
岩本は、パプアニューギニア・ニューブリテン島にある有名な「ラバウル」で活躍することになる前の一時期、零戦とともに、このパラムシル島に赴任していた。パラムシル島から、東北東の方向にさらに千キロも離れた、当時、日本が占領していた米国領アッツ島やキスカ島を支援するためである。
この地方特有の濃霧や寒冷による悪天候に封じ込められて飛行できることが少なかった岩本らは、勤務のない日には、手つかずの自然のままの同地で、森に分け入ってサケのつかみ取りなどに興じていたらしい。
岩本らの活躍にもかかわらず、アッツ島は、岩本がラバウルへ転勤するため、パラムシル島を去ったあと、米軍の攻撃を受けて奪い返され、日本のアッツ島守備隊は全滅した。
Google の「地図」の「航空写真」の機能を使って、パラムシル島の最南端にある半島を、大きく拡大して見ると、その一郭に、岩本徹三がかつて零戦を駆った滑走路の廃墟の痕跡を、今でもかすかに見ることができる。
このパラムシル島の北隣にあるのが、日本がポツダム宣言の受諾を宣言した後にもソ連軍との激戦が行われた千島列島最端の、シュムシュ島(占守島)、さらにそれから、カムチャッカ半島へと続く。
アイヌ語で、
といわれ、江戸時代、幕府に提出された、北海道を領有した松前藩による地誌に記されこともあるこのパラムシル島では、三度も襲来した巨大津波は、日本統治時代の施設もふくめ、このときすでにソ連領となっていた同地方の6000人の人口のうち、2336人の命を奪った。これ以降、同島の主要な集落や施設は、標高250メートルの山裾に、作られることになった。
アイヌ語で、
幌筵島 (パラムシル島=「広い島」「大きい島」の意)
といわれ、江戸時代、幕府に提出された、北海道を領有した松前藩による地誌に記されこともあるこのパラムシル島では、三度も襲来した巨大津波は、日本統治時代の施設もふくめ、このときすでにソ連領となっていた同地方の6000人の人口のうち、2336人の命を奪った。これ以降、同島の主要な集落や施設は、標高250メートルの山裾に、作られることになった。

1945年の終戦までは、シュムシュ島までが、日本領だった。

もし25メートルの規模の津波が福島を直撃していれば
千年に一度だから、いいのか
千年に一度の自然災害を前提に原発の安全性の是非を論ずることはできない ── これが、1950年代の後半ころから検討が始まった福島原発を策定するときの切り札となった。「千年に一度...」とは、
貞観地震 (西暦896年、貞観11年)
のときの津波のことを指しているが、北海道を中心として半径千キロの円を描けば、コンパスの半径内に、このパラムシル島と、本州最西端の山口県が入ってくる。
にもかかわらず、福島原発建設のための検討が始まった当時においては、ほんの数年前の出来事である同島でのこの惨劇を検証した形跡はない。
もし、25メートルの規模の津波が福島を直撃していれば、どうなっていたか?
原発は完全に破壊され、その惨禍と損害は、現実に起こった程度をはるかに越え、想像を絶するものとなったはずだ。ほんのつい最近の過去に、このような大津波があったのにもかかわらず、原発策定のときに、この事実はなぜ検証されなかったのだろうか。
三陸沖地震も、このカムチャッカ津波も、環太平洋造山帯上の地震多発地帯に起きた現象にすぎない。しかも、同島は当時ソ連領といわれてはいたが(現在は、ロシア領)、条約上は当時も現在でも「日本領」といえなくもない。
いわば、離島とはいえ、日本の「内地」で起こったことだったのである。
福島原発建設のとき、三陸沖地震・巨大津波の発生が予見できないはずはなかったのである。
どうなる、南海トラフ地震
また、最近、報道され始めた近未来に予想される「メガ地震」と原発の対応についても、正面切って論じられることはない。
原発は完全に破壊され、その惨禍と損害は、現実に起こった程度をはるかに越え、想像を絶するものとなったはずだ。ほんのつい最近の過去に、このような大津波があったのにもかかわらず、原発策定のときに、この事実はなぜ検証されなかったのだろうか。
三陸沖地震も、このカムチャッカ津波も、環太平洋造山帯上の地震多発地帯に起きた現象にすぎない。しかも、同島は当時ソ連領といわれてはいたが(現在は、ロシア領)、条約上は当時も現在でも「日本領」といえなくもない。
いわば、離島とはいえ、日本の「内地」で起こったことだったのである。
福島原発建設のとき、三陸沖地震・巨大津波の発生が予見できないはずはなかったのである。
どうなる、南海トラフ地震
また、最近、報道され始めた近未来に予想される「メガ地震」と原発の対応についても、正面切って論じられることはない。
最悪の場合には32万人が死亡し、さらに34万人の要救助者が出ると政府が試算している「南海トラフ」による地震、津波 ── そのとき、原発はどうなるのか? しかもこれらの数字には、おそらく、放射能被曝・原発避難による被害は計上されていない。
福島原発についていえば、津波到達以前の地震だけですでに原子炉が損傷し、放射能漏れを起こしていたという分析もある。
日本の原発は、かくも危険なのである。
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そして現在でも、このパラムシル島の惨劇と科学的事実が、日本において原発の是非を論ずる際の議論のテーブルに出されることはない。