2017/06/24

平日の朝、若者の長蛇の列 ― こんなことが日常になった日本はどうなる


今や海外でも評判となっている、とある繁華街のいっかくで、毎朝、パチンコ屋へ並ぶ若者の行列がある。その数たるや、300人くらいから数千人。これが連日、しかも平日の朝の光景。

これを見て、とても冷静ではいられない戦慄が走る。日本は、ああ、いったい、これからどうなるのだ。

 

日本はこんな国だった


ずいぶん昔の子供のころで、いつのことさえ、今となっては定かではない。

食べ残した、ほんの僅かな米粒が残るメシ茶碗を台所の流し台にあるタライに放り込んだ瞬間、いつの間にか背後に立っていた父に、突然、なぐられて視野にはホシが舞い散った。

見上げると、父が目を逆立て、大声で怒鳴る ――
「これだけのコメをカユにすれば、何人の人間がどれだけ生きていられるか、知っているのかぁ! これを食べられなくて、何人が死んだのか、わかっているのかぁ!...」
泣きじゃくりながら、タライの底のドロドロになったご飯粒をかき集め、口にねじ込んだことが、今も原体験としてよみがえる。

街に出れば、繁華街のちょっと外れあたりには、必ずどの町にも、異様な集団がいた ―― 傷痍軍人(しょういぐんじん)である。星の徽章がついた「戦闘帽」をかぶり、白い着物のような傷病服?を着て、五体がそろっている人物はひとりもない ―― 片手、両足がない、両手両足ともなく台車に座したままでそれを片足の松葉ヅエの「戦友」が押し、アコーディオンを鳴らしている...。東京では、新宿のガード下あたりには、必ず、見受けられたものである。

人々のなかには、目をそむけて足早に立ち去ることはあっても、決して彼らを追い立てたり、からかったり嘲笑する者はいなかった。黙したまま、彼らが差し出す粗末なお手製の募金袋のなかに、そっとお金を入れるヒトもいる。

いつもは、見ないふりをして足早に通り過ぎていた亡父は、あるとき、たった一度だけ、そのような集団を見つけると近づいて行って ――
「戦地はどこか? どこで負傷したか?」
と、いつもは決して口にしない硬い口調で問いかけたことがあった。そのような質問は受けることがないのか、数人の傷痍軍人が無言のままででいると、亡父は、
「自分は北支である。大尉で終戦だ」
と言った瞬間、彼らは一斉に背筋をのばして敬礼(もちろん可能な人だけ)。目が合った人物が
「南方であります...」
 と返答。しばし、無言のまま見つめ合っている...。しばらくして亡父は
「ご苦労であった」
と返答してさらに何事かを話し合っている。しばらくの後、事情が理解できずにぼう然とする私の手を引いてその場を離れた。

人々は、すでに多様な価値観のなかにさまざまな方向に生き始めており、すでに『過去』となった時代の考え方を振り返る余裕はなかった。しかし、かつて、ある時代が掲げた理念のために懸命に生き、あるいは殉じ、そして、かろうじて傷ついて生還した者たちへの尊敬・共感の念、リスペクトやいたわりの気持ちは、主義主張の違いがあっても、一様に持っていた。

さざめくように楽しく談笑していても、彼らの前を通り過ぎるときは、一様に表情を固くして口を閉ざし、下を向いていたものだ。誰しも胸が痛んだのだ。

そして、 亡父がなぜ
「いつもは見ないふりをして足早に通り過ぎていた」
のかが、自分自身がこの年齢に達してようやく理解できる。彼は、つらさのあまり、直視することができなかったのだ。あの痛々しい人々の存在は、かつて、自分の身代わりとなってたおれ、指だけを遺骨として切り取って戦場にそのままして残してきたあの連中 ―― そのものだったのだ。

多くの人々がそうだっただろう。

ああ、日本は、かつて、ほんの少し前まで、こんな国だったのだ。

それを、どこで、どのように踏み外して、こうなったのか ―― 数百、いや数千の若者が平日の朝から、労働しようともせずに、連日、パチンコ屋の開店に並ぶとは......。

これでも『カジノ』を強行しようとするのか


今や世界からさまざまな若者が集う、ここは若者に大人気の地域。

その一郭の地下に、ここで論ずる大規模『ゲームセンター』がある。

これ、年配者には『パチンコ屋』と言ったほうがわかりやすいだろう、そういう施設。ここへ、連日、平日の午前の早い時間帯から(土日・休日ではなく!)、建物の周囲の歩道、車道を埋めつくすかのごとく、入場のための、大規模な行列ができている。

連日の朝から大行列 ― 300から500人、ときには3千人


その数、ごく通常的に、300人から500人。

そのほとんどは、その風貌から見て20歳代であろうと考えられ、ごくわずかに30、40、50歳代、それ以上、が見受けられる。

くり返すが、これは『平日』の朝である。しかも毎日。

では、なぜ、人数がこんなにもよくわかるのか ―― それは、この遊興施設の係員が、ご丁寧にも、一人づつに整理券を配布し、(混乱を避けるため?)100人ごとにプラカードを掲げ、拡声器でさまざまな注意を与えている。その末尾を見れば、総数は、一目瞭然である。

下記の記述に関連するが、立派な「徒党」集団である。

朝であるから、当然、さまざまな人々が早足で、なんと!その整然と(!)並ぶ隊列のわきを行き来し、車両の往来も少なくはない。

連日のことなので、誰も立ち止まって、この異様な『隊列』を注視するようなことはない ―― いわば、毎日の「お馴染みの」当たり前の光景なのだ。



これぞ、亡国のきざし!


具体的には、このような法規に違反しているであろう。
  • 不法占拠 ―― 公道たる、歩道、車道を無届で、確実に、連日、不法に集団で徒党を組織して占拠し、往来を妨げている。さらに、この「集会」は「公安委員会」に無届であろう。さすれば、違法。
  • 凶器準備集合罪 ―― 彼らは一様に、凶器たりうる機材を携行している。それは『スマホ』。エッと思われるかも知れないが、その昔、小さな木製の棒キレを持っていただけで、時勢を憂うる多くの学生が逮捕・拘禁・起訴されたのだ。スマホは硬度が高く、当たれば痛い。また、投げて落下すれば爆発しうる。充分に凶器たりえよう。
  • 憲法違反 ――  日本国憲法第27条第1項 勤労の義務がある。これに抵触。
やや牽強付会(けんきょうふかい)、つまり、こじつけのきらいがなくはないが、筆者は真剣である。なんとか、止めさせたいのだ。

真面目な生業について、働いてほしいのだ。この狂態を前にして、平然として見ていられるか。