2018/08/16

STAP騒動 ― 追試の費用と時間をどうしてくれる

追試に要した費用と時間をどうしてくれる

これは、カリフォルニア大学医学部のポール・ノフラー(Paul S. Knoepfler)博士の主張である。同時に、この分野の研究者の異口同音の絶叫でもある。


STAP細胞が実在するのが否か ― これはここでは問題にしない。小保方氏は、今、どうしてる ― これをもここでは問題にしない。これは週刊誌の記者諸氏にお任せする。

ここで論ずるのは、日本の研究機関、研究者、メディアがまったく問題にしない、あるいは知らぬふりをしているこの問題についてである。

追試に要した費用と時間をどうしてくれる ― これだ。

ノフラー先生はじめ、世界中のこの分野の研究者は「カネ、返してくれ! オレの時間、損したよ!」と絶叫しているのだ。STAP細胞研究関係者、関係研究機関は、何たることか、いっさいこれに応えず素知らぬふりだ。

「追試」とは、論文において新しい科学の成果が発表された場合に、その成果を実験を再度、行うことによって確認することだ。

STAP細胞の論文が世に出たとき、全世界の分子生物学の科学者は、ほぼ、一斉に追試を開始した。科学の世界は過酷である。STAP細胞の存在が真正のものであれば、すぐにでも、それを超える次世代の存在を発見・創造しなければならない。これへの日夜を分かたぬ努力は、つねに、全世界の研究機関で行われている。

そのむかし、日本の「ゼロ戦」が戦場に現れたとき、世界は驚がくし、そして連合国側は、それを越える性能の戦闘機の開発を猛烈な勢いで開始した。そして、ほどなく「ゼロ戦」はまったくの時代遅れのシロモノに転落した。科学研究の最前線は、これと同様である。

ところが、やがて、このSTAP細胞が単なる「ガサネタ」であったことが露見する。が、しかし、ここから、科学特有の難しさが始まる。
悪魔の証明 / ラテン語:probatio diabolica、英語:devil's proof
の論理につながるからだ。ラテン語になっているくらいだから、昔からあった「いわくつき」の難問だ。

悪魔の証明のレトリック

STAP細胞については、依然として今でも実在を検証したという報告や「ありうる」という報道、議論がある。それを主張するのは、ジャーナリストであったり、科学者であったりする。

絶対に存在しないということを科学的に証明することは、もはや、 いわゆる「悪魔の証明」の議論に属するので、これを結論とすることは論理的に不可能である。参考までに説明すると、
悪魔が存在しないことは証明できないから、悪魔は存在しうる
というレトリックだ。これを議論することは、ほとんど、無意味である。ここで、あえて、ほとんどとしているのは、科学の歴史を見るとこれと見まがうことがあったからだ。

そして、「STAP細胞」を見たという研究者は、この世に、少なくとも一人は存在している。つまり、悪魔を実際に見たという主張と類似するのである。これを否定することは、容易ではない。

新しい学説はつねに狂気じみている―STAP細胞と地動説

また、科学の歴史において、革新的な説は、当初はかならず否定的に扱われる。

たとえば、ガリレオの「地動説」。そのむかし、良識ある人士は「天動説」を、アプリオリ(先験的)に不朽の真理としていた。当時、地動説を唱えることのリスクは、あらゆる意味において、おそらくは「STAP細胞」の比ではなかったはずだ。宗教裁判で、「それでも地球は動く」とうそぶくガリレオは、その当時、間違いなく「狂気」に見えたはずだ。

科学には、こういう側面もあるということを知っておいてほしい。

なぜ「STAP細胞事件」が起きたのか

また、まったくの「妄想」の域を出ないが、この研究とその報告である「論文」騒動は、このように結論すれば、すべてが理にかなった説明になる。一つの「説」としてお聞き願いたい。

最近の研究機関(研究所、大学)は、予算において、きわめてきびしい状況にある。成果をださないとその存立自体が難しくなり、存在理由(レゾン・デートル)が問われるのだ。上部機関からの「成果」に対する要求・要請は、売上ノルマを問われる販売担当を想起すれば分かりやすい。

具体的に言えば「予算」で締め付けが行われる。研究者となるのも、また、よほどの優秀さでないと難しく、艱難辛苦のすえに博士号を取得しても、まったく職につけないということももはや当たり前となっている。

だから、たとえれば、こんな状況だったと喩え話で考えると、一般の人々には分かりやすい。

今はもう、すっかりなくなったが、むかし、縁日へ行くとよくこんな出し物の「見世物小屋」があったものだ。

『ヘビ女小屋』である。ヘビのように首が伸びる女を見せる「見世物」。いわゆる、「キワモノ」であるが、ヒトはこのようにわくわくドキドキするものに心惹かれるものである。科学もこんなところがある。

独創的業績 ―― 最先端の成果 ―― こんな「殺し文句」のようなセリフに心惹かれるのは、何も普通の市民のみではない。予算を出す、◯◯◯◯省もこういうセリフにコロリとだまされたのである。「成果主義」がすべてを決定する風潮が、最近、とみに顕著となってきている。これが背景にある。

この見世物『ヘビ女小屋』には、以下の三者が関わっている。
  1. ヘビ女
    ヘビのように首が伸びる女がいる。これが「見世物」である。今は、もちろん、人権の問題があるから、今はこんなことはありえない。むか~し、のことである。
  2. 口上師(こうじょうし)
    これを特有の抑揚ある『語り』で客引きをする男が、どうしても見たくなるような独特な語り口で、口上を述べ、見物客を誘う。独特の「語り」は、怖いような、ぞくぞくするようであり、ちょっとでも聞くと、もう、入って見るしかないくらい、好奇心を刺激する。
    「見てやってください、かわいそうな子でして...」
    が、殺し文句の常套的セリフ。「もし、違っていたら、お代はいらないよ」とも ―― 意外と良心的?
  3. 座長
    そして、すべてを取り仕切る「興行主」である座長がいる。
1は、言わずと知れた、あの有名な人物。
2は、前者を世に出し、その後、責任をとわれた人物。
3は、あの有名な機関を統括した人物。

知るかぎりにおいて、研究室(居室ともいう)という「個室」の壁面の色を派手に塗り替えた人物は、日本には、二人はいる。1の人物と、3の人物だ。これが、いったい、何を意味しているかは、ご自由に想像いただきたい。