2019/08/11

STAP細胞研究への試論

何が科学的真実だったのか

理化学研究所における「STAP細胞研究」の一連の経緯については、多くが語られ、報道され、論評された。

しかしながら、決定的なことのいくつかはどこにも語られないままである。

そこで本稿では、試論的に、あえてこの「事件」の背景と意味を論ずる。「事件」とここで称しているのは、STAP細胞研究そのもののや、その研究者たちの人物像を対象としているのではない。

それに関わる研究機関、報道のありかた、あるいは本来的な科学的意義についての考察である。

ガリレオの宗教裁判

ガリレオが「地動説」を唱えたとき、その時代の知性はいっせいにガリレオに反発し攻撃した。

STAP細胞の「実在」については、いったんは「ノーベル賞級の...」とほめそやし、追試ができない(つまり、確認できない)となると、一転してあたかも「魔女狩り」的な宗教裁判の様相を呈した。

多くの「科学者」が(科学者ではなく「科学者」なる人々、が)、われこそは正しいといわんばかりに"したり顔"で、論評した。

しかし、「追試ができない」ということと、「科学的に実在しない」ことは、まったく意味が違う。ガリレオの時代、地動説は科学的に証明が困難な事象だった。だから、当時の知性はこれを認めなかったのである。

STAP細胞は、もしかしたら、千年の後にその実在が証明されるかもしれない。今回の事件の論評のなかにそのような視点をもつ考え方が、まったく表明されないのは、まったく不可思議である。「存在する」ことは、そのものを示せばそれで充分だが、「存在しない」ことを証明することは無益、あるいは不可能であるからだ。これは、いわゆる「悪魔の証明」として自明とされている。

アインシュタインとボーアの論争

もう、一つ。
ショウペンハウエル『意思と表象としての世界』
という著書がある。

ショウペンハウエルとは、「デカンショ節」に出て来るあの『デカルト、カント、ショウペンハウエル』の一人だ。難解な三大ドイツ哲学のひとつだ。ここでは「世界は私の表象である」と言っている。これは言葉・観念の『遊び』のようなものだが、ところがどっこい、その後、これが量子力学において、同じようなことを言っている。こうなるとショウペンハウエルの独擅場だ。

これは「見えている世界は、実はすべて、私(の意志)が作り出したもの」と言っているのだ。つまり、観測者が存在するか否かで、実験の結果が違ってくるという事実だ。

つまり『私』が見ているか否かで、物理現象の結果が違っているという実験結果に、最新の科学も、明確な説明ができないというあの論争だ。相対性理論の創始者であるA. アインシュタインは最後まで(死の直前まで)「月は、私が見ようと見まいと、そこに存在する」と、量子力学の創始者であるN. ボーアと論争した。量子力学の『奇怪さ』、さらに相対論の途方もない理解不能さではあるが、最近では、もうGPSなどでその成果がスマホの中ですら使われている。

そして、科学とはこのように論争している状態が、正しいのだ。

生命現象は、きわめて複雑であって単純ではなく、アインシュタイン=ボーアが論争した「電子のスリット実験」のような単純な事象ではない。

見ていると(観測者が存在すると)結果が変わるという事象が、これが、それこそ幾重にも重なり、さまざまな観測結果がありうるのではないか。

これが、あの理化学研究所の一派が言いたかったことではないか。と言うより、この後、千年が経ってから立証されるかも知れない。少なくとも、現在、誰一人、この主張がない。

ガリレオが地動説を主張し裁判にまでかけられたとき、おそらく、彼は途方もない(トンデモナイ)人物だとされたに違いない。このワダチの弊を、また、たどっているのはないか。少なくとも、今、誰一人、この主張がない。

日本の歪んだジャーナリズム

言いたいのは、このようなどこにでもある、下世話な『不正』としてだけ、STAP騒動と言われているこの一件を描写してしまっていいのか、ということ。『記者クラブ』連中はじめ、識者先生も『週刊◯春』どころか『■■■芸能』的な、物言いしかない。

そして、したり顔の『~新聞科学部記者』が聞いてあきれる。ほんとにやる気があるのか、と。「記者クラブ」で配布される資料で提灯記事を書くだけの低能ぶりのくせに、あたかも宗教裁判の判事気取りだ。

『◯氏』を悪く書けば書くほど、雑誌は売れ、世間は沸き返る。新聞・雑誌などマスコミは、STAPができようができまいが、どっちに転んでも儲かってしようがなく、笑いが止まらない。

ここでも『記者クラブ』連中の全能感が、横溢している――世界は(ホトケ様の手のひらの上で展開していたように)吾が手中にある、と。それに、オンナがらみのスキャンダル記事は、もういい。そのコトと、科学のことは別にして書いてくれないだろうか。

日本で重厚な真のジャーナリズムが育たなかったのは、きわめて残念であり、幾多の罪過を残してきた。

みんなペラペラ。戦争を煽り、世をその惨禍に追いやり、負けたとなると、今度は自分たちだけは『良識』を装い、戦い破れてボロボロになった連中をたたく――これがその常套手段。メディアの諸君は、今回もこれをやった。

カネとオンナ――これは陳腐な話題だが、科学とオンナ――オッ、これはイケると踏んだのだろう。こんな三文雑誌屋・新聞屋のペテンにかかっていてよいのだろうか。

こんな新聞・雑誌屋、『記者クラブ』で「我こそは、この世の良心なり」とふんぞり返っている連中を、これを機会に粉砕したい。

さらに、諸般の経緯が「ガリレオの裁判の、再来」とも言えるということを、指摘しておきたい。



2019/04/20

パリ、ノートルダム大聖堂の火災-ヨーロッパはどうなる

火災事故をいたむ・・・が、しかし

フランス、パリのノートルダム大聖堂の火災では、歴史的建造物が大きく損傷した。残念でならない事故であるが、ここからさまざまなことが見えてくる。これについて論ずる。

ここで展開する分析とは、これはあるいは「神の鉄槌」ではないのかということである。

旧約聖書では、旧約の「神」はかつて、ソドムとゴムラという背徳の都市を焼き払ったとされている。

大航海時代以降のヨーロッパの植民地主義の苛烈さ、残虐さは言語を絶するものだった。フランスも例外ではない。日本が第二次大戦に先立ち、「仏印進駐」と称してフランス勢力を駆逐するまで、ベトナムに居座っていた。地中海の対岸のアルジェリア、アフリカの国々のいくつかもまたフランスの植民地だった。インドネシアはオランダが350年間、植民地として搾取した。

ヨーロッパの国々は、その覇権を獲得するために狂奔した。当時のキリスト教は、その植民地取得のための「先兵」として送り込まれ、アジア、アフリカの国々を先ずは内部から崩壊させ、しかる後に植民地としたのである。あろうことか、「キリスト教」の名において侵略したのだ。

きわめて残念なことに、現近代のヨーロッパの知識人、思想家、あるいは、キリスト教の聖職者といわれる人々の思想や論調においても、これへの分析や批判、反省はきわめてまれである。

この植民地主義の下での人道に反する搾取は、第二次大戦が終結するまで数百年間にわたり、行われたのだ。

神による歴史批判なのか?


だから、神は背徳の国々の本拠ともいうべきフランスのパリを、少しだけではあるが、炎上させたもうたと言いたいのだ。神の怒りだったのだ。

今回の火災へのさまざまな「識者」のコメントにも、これらは、まったく言及がない。これでいいのか? 聖職者、教会関係者として、信仰のもとにある者としてほんとうにこれでよいのか? どうなのだ。

新約聖書によると、イエス・キリストは、ここに指摘した問題提起に極似することを実行している。神殿、つまり「神のやしろ」で出店して商売する人々の施設を破壊してまわったのだ。イエスは、ときとして「過激派」であり、ただ静かに祈る存在だけではなかった。

パリ、その驚くべき凋落ぶり


そもそも今回の火災は「修復工事」にともなって、発生したとされる。まことに不可解ではある。またその原因・経緯すら発表されていない。

いったい、何のための「修復」だったのだ。こんな「修復」なら、はじめからしなければよかったのだ。

シテ島は美しい。だが、それ以外のパリの街路は、現代の日本では考えられないほどの汚濁と混乱に満ちている。広い表通りは美しいが、その裏通りは、散乱する大量のゴミと、きわめて不快な排泄物の臭気に満ちている。一流ホテルは良好なのだろうが、「普通」かそれ以下のホテルは設備の老朽化、応対品質のはなはだしい低下が顕著であり、耐え難い。

したがって、きわめて感覚的で雑駁な言い方をすれば、今回の火災事故は、そのお粗末さ加減からして何らの不思議はない。その原因・経過すら不明であっても。

そして...

パリは燃えているか? ―― かつて、こう叫んだ歴史上の人物が存在したが、そう、今こそパリは炎上したのだ。