2017/09/13

ネズミの恐怖 ― ネコの効用のすすめ

一時期、カラスがゴミあさりする風情がさかんに映像化され、その不気味さがとりざたされたものだ。しかし、ネズミの戦慄すべき恐怖は、そんななまやさしいものではない。カラスはただ映像化しやすいだけのことで、遠くから一時的に飛来するだけだが、ネズミはいつも人間と行動をともにしている ― つまり、あなたがいる場所の床下・天井裏・カベ裏にあなたとともに存在する。常時だ。

これを読めば、絶叫まちがいなしだ。



そして、あまりの現実に戦慄し、街なかにおけるネコの存在理由(レゾン・デートル raison d'être)に同意せざるをえなくなるだろう。もう、たんなる好き嫌いのレベルのお話ではない。もう、ネコを活用するほかはないのだということが、分かるようになる。

ネズミは、ネコがどうこうという他愛のないお話のレベルではなく、比較を絶する恐ろしさであることを認識すべきである。中世ヨーロッパは、これによって壊滅的な人口減となり、千年にわたって文明が停滞した。たとえば、ヘルマン・ヘッセの文学作品「知と愛」に、このペストによる凄惨な社会崩壊が描写されている。

ネズミはこんなに活動している


ネズミの活動を統計的に話してみても、なんらの説得力はない。そんなものは他で調べてほしい。ここでは筆者が自分で見聞したことを書いておく。私事ではあるが、筆者は視力、とりわけ動体視力の数値が異様に高い。満月のとき、月面にウサギさんがいて、その長く垂れ下がったミミのなかに「耳あか」があるのも「肉眼」で見える。 だから見たくもないものでも見えてしまうことが少なくない。

東京23区内、道路一面にヒタヒタと

本稿を書いたのは、これを目撃したからだ。

早朝に近い深夜、まだ暗い。裏通りの、車両が両方向に通れる舗装道。車、人通りとも、皆無。遠くから、水か何かがわずかにヒタヒタと波打って流れてくる。雨でもないのに、なぜ? 水道管の破裂か? さらに、音もなく近づいてくる。そしてよく見ると、これがネズミの大群! 道路一面に、数十匹、あるいは百匹を超えているか。ホラー映画のような異様な光景! ゾッとして総毛立ち足がすくむ。悲鳴をあげたいほどの恐怖感だ。

東京都心「白山通り」繁華街の歩道

夕方、もう暗い。歩行者が多数、歩いているほんの1メートルほど離れた暗がりを、十数匹ほどのネズミが飛び跳ねながら、歩行者と並行して移動している。近くの通行人はだれ一人として、まったく気付かない。飛び跳ねたとき、尻尾が異様に長く、また、丸く見えたのが印象的。

セルフのガソリンスタンドで

深夜の都心近い店、まったくの無人。27時ころか。給油のため車外に出た。と、背後を何かが通りすぎる気配が。振り返ると、機材置場らしい所から何かが次々飛び出してくる。なんと、ネコほどもある大型のネズミ。ほんの数メートル先。目撃できたのは3、4匹ほど。尻尾が異様に長い。「こんな所で何をエサに?」と、後に店員さんに聞くと「ゴミの中の食品、それに古タイヤをかじっているのか」との説明だった。

都会の食料品の大規模店は

営業時間を過ぎれば夜中など、ネズミの天下だ。彼らをさえぎるものは、なにもない。また、近隣にビルの建替えなどがあると、大挙して転居してくるという。そんなお店で、われわれはノンキに、お買い物をしているのだ。さりとて、買わないわけにもいかず...。

外食店、居酒屋、ファミレス:夜間は

きらびやかなお店も夜は一変する。閉店後、空調を止め、次の開店までの夜間のバックヤード。そこは、強烈な悪臭。床、壁は、すべて、湿気と汚水、油汚れでヌルヌル、ベタベタ、ドロドロ。辺り一面、黒カビで真っ黒。散乱する残飯の破片、ホコリ、濡れた床...。視界の限りの汚れと湿気で息づまる。当然、夜間は大量のゴキブリとネズミの天下である。 それでも我々はそんなところで飲食せねばならないのだ。

ネズミ撃退、ネコがいちばん安全で経済的


対策は、専門業者による駆除・薬剤散布、特殊な音波を発生する装置により駆逐する方法、殺鼠剤、粘着剤などネズミ捕り器 ― こんな方法があるとされている。

しかし、どれも高額であり永続性にとぼしい。さらに、ネズミの高度な学習能力により無力化するもの、薬剤が危険すぎることも見逃せない。なんでもかんでも新薬、これは、大間違いなのだ。耐性菌がパンデミックを起こし、猛威をふるえば、もう処置なしで制御不能だ。この分野では、いったいなにが起こるのか、だれも分からず予知できない。こんなリスクに足を踏み入れてはいけない。

街なかの公園などでは、児童のための砂場をネコに対して防護するネットなどを見受けるが、ネズミに対してはまったく無防備なのがまことに不可解ではある。ここも深夜はゴミをあさりに大量のネズミが集結している。のらネコを駆除している場合ではないのだ。

シカゴ・ビール醸造所、ネコ導入の成功例

アメリカ、シカゴのあるビール醸造所では、ネズミの被害に万策尽き、ついに数匹のネコを保護施設からもらい受けて住まわせることによって、ようやくネズミを駆逐したと報じている(← リンク)。ネコの移動時に発する音型(足音)、人間には感知できないネコの臭いなどにより、ネズミは「天敵」の存在を感知し、直ちに逃避行動を取るという。

オオカミの糞を上野動物園にもらいにくる農家
サル対策として

山村などでは近年、村里の人口減少などの理由でサルなどによる農作物被害が多くなっている。犬の放し飼いができなくなったせいでもある。これへのもっとも効果的な対策の一つは、オオカミの糞を農耕地に置いておくことだという。犬、オオカミは、サルの天敵なのだ。これで、サルは近づかなくなる。オオカミ、ライオンなどの糞は、サルを寄せ付けない。

このように、自然の摂理のうちにあって対応をはかるのが、もっとも安全で安上がりなのだ。


リンドバーグ ― 神の視座へ近づいた男の見た戦場

チャールズ A. リンドバーグ Charles A. Lindbergh は、1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」号により大西洋無着陸単独飛行を最初に行い、
翼よ、あれがパリの灯だ
を書いて「ピュリッツァー賞」を受賞した冒険家として知られ、この手記は映画化もされた。

リンドバーグとセントルイス号
チャールズ A. リンドバーグ 1902 - 1974

しかし、第二次大戦中は、パイロットして日本軍とも戦い、ゼロ戦と空中戦を行ったこともあることは、日本ではあまり知られていない。また一兵士としてよりは軍事顧問的な立場であったので、従軍中、太平洋戦線で展開されたさまざまな戦いを、自身の『日記』を書き残すことにより、戦争の実態を覚めた眼で記録することができた。

神の視座から見た戦場の真実


そこには歴史史料やいわゆる「戦記」にはまったく記録されていない、おどろくべき真実の記録がある。それらは、同じように欧州戦線をパイロットとして戦った『星の王子さま』のサン=テグジュペリ(フランス)と共通した、ある特別な視座から見た歴史の一側面であったのだろう。それは、ともに、神の高みから見た人間の愚かしさへの痛烈な『おもい』に満ちている。

比較的人道的であった(とされていた)米軍など連合軍の、じつは鬼畜にも等しい残虐な所業がなんのためらいもなく記録され、すでに当時においてリンドバーグは心を痛め激しく批判している。眼下にひろがる地平は、言いようのない残虐と悪徳に満ちていたのだ。

戦争とは、人間とは何かを考える、ほとんど知られていない第一級の史料である。

降伏する日本兵の運命


日本軍に降伏はないとよく言われてきたが、そんなことはない。ただ、米軍の「兵士が戦場で捕虜を取ろうとしない(受け入れない)」ことが原因であったという。
捕虜をとった場合でも、英語を話せる者は尋問のため連行され、あとの連中は「一人も捕虜にされなかった」(ブログ筆者注:つまり無抵抗の捕虜を「殺害した」)

一部の海兵隊員はスーベニア用の金歯を手にいれるべく日本軍将兵の遺体を掘り起こしたそうだ。

オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方へ送らねばならなくなっっとき...捕虜を(飛行中の)機上から山中へ突き落とし、ジャップはハラキリをやっちまったと報告した...

日本軍の野戦病院を占領したとき...わが軍が通り抜けたとき、生存者は一人も残さなかった...(ブログ筆者注:つまり無抵抗の傷病者の捕虜を「全員殺害した」)
 こういう記録が、これでもかこれでもかと書かれている。 日本兵の頭蓋骨や大腿骨のペーパーナイフが「みやげ物」として取引され、これを作るために戦死体の頭部を「煮る」ことが流行し、金歯を取るための死体損壊が横行したという。

これらのことを、リンドバーグは、
別世界を映画館でスクリーンを眺めるように、操縦士は島の地表から隔絶されているのである。...
近代戦にあっては、殺戮は距離をおいて行われ、しかも殺戮を行うにあたり、人間を殺しているという意識すら湧かないのだ。
と、悲嘆している。

参考文献:
チャールズ A. リンドバーグ 著、新庄哲夫 訳
リンドバーグ第二次大戦日記(上・下巻)
平成28年 角川書店