2017/09/13

リンドバーグ ― 神の視座へ近づいた男の見た戦場

チャールズ A. リンドバーグ Charles A. Lindbergh は、1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」号により大西洋無着陸単独飛行を最初に行い、
翼よ、あれがパリの灯だ
を書いて「ピュリッツァー賞」を受賞した冒険家として知られ、この手記は映画化もされた。

リンドバーグとセントルイス号
チャールズ A. リンドバーグ 1902 - 1974

しかし、第二次大戦中は、パイロットして日本軍とも戦い、ゼロ戦と空中戦を行ったこともあることは、日本ではあまり知られていない。また一兵士としてよりは軍事顧問的な立場であったので、従軍中、太平洋戦線で展開されたさまざまな戦いを、自身の『日記』を書き残すことにより、戦争の実態を覚めた眼で記録することができた。

神の視座から見た戦場の真実


そこには歴史史料やいわゆる「戦記」にはまったく記録されていない、おどろくべき真実の記録がある。それらは、同じように欧州戦線をパイロットとして戦った『星の王子さま』のサン=テグジュペリ(フランス)と共通した、ある特別な視座から見た歴史の一側面であったのだろう。それは、ともに、神の高みから見た人間の愚かしさへの痛烈な『おもい』に満ちている。

比較的人道的であった(とされていた)米軍など連合軍の、じつは鬼畜にも等しい残虐な所業がなんのためらいもなく記録され、すでに当時においてリンドバーグは心を痛め激しく批判している。眼下にひろがる地平は、言いようのない残虐と悪徳に満ちていたのだ。

戦争とは、人間とは何かを考える、ほとんど知られていない第一級の史料である。

降伏する日本兵の運命


日本軍に降伏はないとよく言われてきたが、そんなことはない。ただ、米軍の「兵士が戦場で捕虜を取ろうとしない(受け入れない)」ことが原因であったという。
捕虜をとった場合でも、英語を話せる者は尋問のため連行され、あとの連中は「一人も捕虜にされなかった」(ブログ筆者注:つまり無抵抗の捕虜を「殺害した」)

一部の海兵隊員はスーベニア用の金歯を手にいれるべく日本軍将兵の遺体を掘り起こしたそうだ。

オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方へ送らねばならなくなっっとき...捕虜を(飛行中の)機上から山中へ突き落とし、ジャップはハラキリをやっちまったと報告した...

日本軍の野戦病院を占領したとき...わが軍が通り抜けたとき、生存者は一人も残さなかった...(ブログ筆者注:つまり無抵抗の傷病者の捕虜を「全員殺害した」)
 こういう記録が、これでもかこれでもかと書かれている。 日本兵の頭蓋骨や大腿骨のペーパーナイフが「みやげ物」として取引され、これを作るために戦死体の頭部を「煮る」ことが流行し、金歯を取るための死体損壊が横行したという。

これらのことを、リンドバーグは、
別世界を映画館でスクリーンを眺めるように、操縦士は島の地表から隔絶されているのである。...
近代戦にあっては、殺戮は距離をおいて行われ、しかも殺戮を行うにあたり、人間を殺しているという意識すら湧かないのだ。
と、悲嘆している。

参考文献:
チャールズ A. リンドバーグ 著、新庄哲夫 訳
リンドバーグ第二次大戦日記(上・下巻)
平成28年 角川書店


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