2018/12/30

IWC離脱、戦前の「国際連盟」脱退と相似形

日本は、IWC(国際捕鯨委員会)からの離脱を表明した。これをめぐってさまざまな議論があろうが、これはかつて日本が歩んだ暗い歴史 ―― 国際連盟からの脱退と相似形である。

この離脱にいたるまで、日本の挙動についてIWCでどのような議論や決議が行われたのか、それはきわめて重要なことではあるが決定的な問題ではない。問題はこのような岐路において離脱を選択したという事実である。「非を認めて逃げた」という解釈が成り立ちうる選択肢であろう。

なぜその場に残って議論をねばり強く続けないのか。かつて、このような選択を行い、解決のない混迷に突き進んだ暗い歴史があったことは、その後、重大な結果をむかえてからさまざまな人々が幾度も悔恨の言辞を通じて表明してきたことではないか。500万人にも及ぶ戦死者は何のために死んだのだ?

なぜ? なぜ放り出して、議論の場から立ち去ったのか?

IWCにおいて議論を続けよ


日本は1931年に、日本の現地軍(中国大陸に駐屯する日本軍)が「満州国」を建国した。

このとき、1933年2月、国際連盟総会は「リットン調査団」報告書を審議し、日本の代表である外相松岡洋右は満州国を自主的に独立した国家であると主張したが、審議の結果、反対は日本のみ、賛成が42カ国で可決された。 これを受けて日本政府は翌3月、国際連盟脱退を通告した。

当時の混乱した中国の事情を見れば、「満州国」の存在も許容できうるものであろうが、ここでは、その議論を行わない。

それからの日本の国際的な孤立は、歴史にある通りである。ついに1941年、真珠湾攻撃と同時に太平洋戦争開始。1945年、敗戦となる。500万人にもおよぶぼう大な戦死者、焦土と化した国土、原爆、...。

もしあのとき、国際連盟を脱退することなく議論を続けていれば歴史は大きく変わっていただろう。日本人の気質として、「議論」を避ける、「議論」はもはや交渉が決裂した状況であると考えてしまう傾向がある。しかしこれは大きな間違い。欧米を始めとする国際社会では、「議論」はたんに交渉が始まったにすぎないのである。

反捕鯨国勢力は今回の日本の選択について、日本を一気に土俵際まで追い詰めたとほくそ笑んでいるであろうに違いない。

これを見れば、このIWC離脱は、まさしく、この「国際連盟脱退」と相似形であると知れる。

日本の政治家の繊細すぎる政治感覚が問われよう。また、一部の海外のメディアは「シーシェパードの勝利」などと報じている。問題を中途で投げ出したと解釈されるであろうことは、論をまたない。

日本は断じて、IWC(国際捕鯨委員会)に残留し、その正当性をねばり強く主張すべきである。どうしてそれができないのだろうか。

孟子いわく
自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん
と。

もし、IWCにおける日本代表があのW, チャーチルであれば、論戦ですべてをひっくり返し、新たな展開を切り開いたであろう。

日本代表よ、しっかりせよ。何をおそれ、何をためらっているのか?

捕鯨そのものより、IWC離脱が世界で悪評


たとえば、国連環境委員会の議長だった、エリック・ソルヘイム氏は、BBCに対し
日本のIWC離脱はきわめて危険だ。日本に再考を求める。これでは、せっかく合意してきた合意事項が、各国の利害で空中分解してしまうことにつながる...。
Japan will start commercial whaling.
Let’s ask Japan to reconsider!
It’s dangerous when nations break out of global agreements and start setting their own rules.
とコメント。世界で悪評なのだ。これでは捕鯨どころではなくなるのでは...。主張があれば交渉のテーブルから去ることなく自己主張し続けるするのが国際社会での鉄則なのだ。

世界の論調は日本にきわめて手きびしい。日本代表よ、席に戻れ! あくまで、ひるむことなく主張せよ。



2018/12/09

移民による労働力依存は亡国の第一歩

日本は移民により、安易に新たな労働力を獲得しようとしている。そもそも、かくも大胆にカジをきる必要があるのだろうか。なぜ、こうなったのだろうか。

また、それにより何がもたらされるのだろうか。それを論じてみたい。

「品質」についての過剰で貪欲で異常な要求


コンビニ・スーパーなど小売店における消費者の品質への要求は、必要な限度をとっくに超越し、その実態はもはや、世界屈指の異常な状況になっている。コンビニなどへは「品質・鮮度保持」と称して、一日に何度も少量づつを配送するために車両、そして人員を配備し、それを駆動するための多大な燃料を消費しているのである。

これが物価を押し上げていることは言うまでもなく、また、ぼう大なの労力と資源を必要としていることも容易に理解できることである。これらの「労力と資源」は、間違いなく、まったく無駄に浪費されているのである。

また、日本の生産物の「品質」は世界一であると誇らしげに豪語しているが、これは同時に大量の資源と労力を浪費していることと表裏一体なのである。「品質保持」を実現するため、大量の廃棄物 ―― 消費期限切れと称して ―― が発生しているのである。

嘆かわしいのは、このことを論点とした経済学者など専門家、流通のプロからの提言・指摘がまったく聞こえてこないことである。いったい、彼らは何をしているのか?

日本人は、ピカピカの製品、みずみずしい野菜、やわらかな精肉、出来立ての料理...が、あたりまえで当然とするようになった。これは、一面において大いなる堕落である。ほんの少し前の日本人は、一粒のコメを、大切に食べていたのものだ。日本人の精神構造は、ある時点で、完全に崩壊したのだ。

古代ローマ帝国がなにゆえに滅んだか? 帝国全土から流入する物資をふんだんに消費し、市民は競技場などでの連日の遊興を楽しむのみで、生産・建設への気風を失ったからに他ならない。では古代ローマ市民は必要とする労力をどこから調達したか? 属州からの「奴隷」の調達でまかなっていたのである。

今回の日本の選択に、相似形で重なるのであろう。

そして、そもそも、まったく論じられないことであるが、われわれ日本人は悲しいことに、組織だって「人肉」を食べざるをえなかった人類最後の民族なのである。フィリピンのレイテ島、ルソン島、ニューギニアの島々などにおいて...。ほんの70年前のことだ。

「野坂昭如『火垂るの墓』は、つい昨日のことなのだ。

その、ほんの少し以前までろくに喰えもしなかった日本人が何を血迷って、ゼイタクをするのだ。

「徴用工問題」すら解決していないのに...


現時点で日本で労働する「技能実習生」すら、やがて母国に帰り、しばらくしてその時点での日本人一般との労賃の格差についてこれを「未払い」とし、大規模な訴訟を起こすであろうことは想像に難くない。その覚悟はあるのだろうか。

さらに、先の大戦までに某国などから調達した労働力について、その支払を求められている(徴用工問題)。これについて解決の端緒すら見出すことができないでいる。幾度も、どのような「解決」を講じても、彼らは何度でも「未払い」と称して請求してくるのである。

これらを解決することすらできていないのに、いったい、どうするのだ。

日米近現代史研究家の渡辺惣樹氏は、
移民との蜜月は長く続かない...
として、日米間のあの戦争も、日本からアメリカへの移民が原因の一つだったと、鋭く指摘している。(2019/01/16 産経新聞)

欧米の植民地主義の結末は


ロンドンやパリは、もはやかつての精彩はない。かつて「花の都」と謳われたパリは、いたるところゴミだらけであり、裏通りは異様な臭気に満ちている。日本はこのような選択を、今こそ行おうとしている。

さあ、どうする。それでも、やるのか?