日本は、IWC(国際捕鯨委員会)からの離脱を表明した。これをめぐってさまざまな議論があろうが、これはかつて日本が歩んだ暗い歴史 ―― 国際連盟からの脱退と相似形である。
この離脱にいたるまで、日本の挙動についてIWCでどのような議論や決議が行われたのか、それはきわめて重要なことではあるが決定的な問題ではない。問題はこのような岐路において離脱を選択したという事実である。「非を認めて逃げた」という解釈が成り立ちうる選択肢であろう。
なぜその場に残って議論をねばり強く続けないのか。かつて、このような選択を行い、解決のない混迷に突き進んだ暗い歴史があったことは、その後、重大な結果をむかえてからさまざまな人々が幾度も悔恨の言辞を通じて表明してきたことではないか。500万人にも及ぶ戦死者は何のために死んだのだ?
なぜ? なぜ放り出して、議論の場から立ち去ったのか?
この離脱にいたるまで、日本の挙動についてIWCでどのような議論や決議が行われたのか、それはきわめて重要なことではあるが決定的な問題ではない。問題はこのような岐路において離脱を選択したという事実である。「非を認めて逃げた」という解釈が成り立ちうる選択肢であろう。
なぜその場に残って議論をねばり強く続けないのか。かつて、このような選択を行い、解決のない混迷に突き進んだ暗い歴史があったことは、その後、重大な結果をむかえてからさまざまな人々が幾度も悔恨の言辞を通じて表明してきたことではないか。500万人にも及ぶ戦死者は何のために死んだのだ?
なぜ? なぜ放り出して、議論の場から立ち去ったのか?
IWCにおいて議論を続けよ
日本は1931年に、日本の現地軍(中国大陸に駐屯する日本軍)が「満州国」を建国した。
このとき、1933年2月、国際連盟総会は「リットン調査団」報告書を審議し、日本の代表である外相松岡洋右は満州国を自主的に独立した国家であると主張したが、審議の結果、反対は日本のみ、賛成が42カ国で可決された。 これを受けて日本政府は翌3月、国際連盟脱退を通告した。
当時の混乱した中国の事情を見れば、「満州国」の存在も許容できうるものであろうが、ここでは、その議論を行わない。
それからの日本の国際的な孤立は、歴史にある通りである。ついに1941年、真珠湾攻撃と同時に太平洋戦争開始。1945年、敗戦となる。500万人にもおよぶぼう大な戦死者、焦土と化した国土、原爆、...。
もしあのとき、国際連盟を脱退することなく議論を続けていれば歴史は大きく変わっていただろう。日本人の気質として、「議論」を避ける、「議論」はもはや交渉が決裂した状況であると考えてしまう傾向がある。しかしこれは大きな間違い。欧米を始めとする国際社会では、「議論」はたんに交渉が始まったにすぎないのである。
反捕鯨国勢力は今回の日本の選択について、日本を一気に土俵際まで追い詰めたとほくそ笑んでいるであろうに違いない。
これを見れば、このIWC離脱は、まさしく、この「国際連盟脱退」と相似形であると知れる。
日本の政治家の繊細すぎる政治感覚が問われよう。また、一部の海外のメディアは「シーシェパードの勝利」などと報じている。問題を中途で投げ出したと解釈されるであろうことは、論をまたない。
日本は断じて、IWC(国際捕鯨委員会)に残留し、その正当性をねばり強く主張すべきである。どうしてそれができないのだろうか。
孟子いわく
自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かんと。
もし、IWCにおける日本代表があのW, チャーチルであれば、論戦ですべてをひっくり返し、新たな展開を切り開いたであろう。
日本代表よ、しっかりせよ。何をおそれ、何をためらっているのか?
捕鯨そのものより、IWC離脱が世界で悪評
たとえば、国連環境委員会の議長だった、エリック・ソルヘイム氏は、BBCに対し
日本のIWC離脱はきわめて危険だ。日本に再考を求める。これでは、せっかく合意してきた合意事項が、各国の利害で空中分解してしまうことにつながる...。
Japan will start commercial whaling.
Let’s ask Japan to reconsider!
It’s dangerous when nations break out of global agreements and start setting their own rules.
とコメント。世界で悪評なのだ。これでは捕鯨どころではなくなるのでは...。主張があれば交渉のテーブルから去ることなく自己主張し続けるするのが国際社会での鉄則なのだ。
世界の論調は日本にきわめて手きびしい。日本代表よ、席に戻れ! あくまで、ひるむことなく主張せよ。
世界の論調は日本にきわめて手きびしい。日本代表よ、席に戻れ! あくまで、ひるむことなく主張せよ。