また、それにより何がもたらされるのだろうか。それを論じてみたい。
「品質」についての過剰で貪欲で異常な要求
コンビニ・スーパーなど小売店における消費者の品質への要求は、必要な限度をとっくに超越し、その実態はもはや、世界屈指の異常な状況になっている。コンビニなどへは「品質・鮮度保持」と称して、一日に何度も少量づつを配送するために車両、そして人員を配備し、それを駆動するための多大な燃料を消費しているのである。
これが物価を押し上げていることは言うまでもなく、また、ぼう大なの労力と資源を必要としていることも容易に理解できることである。これらの「労力と資源」は、間違いなく、まったく無駄に浪費されているのである。
また、日本の生産物の「品質」は世界一であると誇らしげに豪語しているが、これは同時に大量の資源と労力を浪費していることと表裏一体なのである。「品質保持」を実現するため、大量の廃棄物 ―― 消費期限切れと称して ―― が発生しているのである。
嘆かわしいのは、このことを論点とした経済学者など専門家、流通のプロからの提言・指摘がまったく聞こえてこないことである。いったい、彼らは何をしているのか?
日本人は、ピカピカの製品、みずみずしい野菜、やわらかな精肉、出来立ての料理...が、あたりまえで当然とするようになった。これは、一面において大いなる堕落である。ほんの少し前の日本人は、一粒のコメを、大切に食べていたのものだ。日本人の精神構造は、ある時点で、完全に崩壊したのだ。
古代ローマ帝国がなにゆえに滅んだか? 帝国全土から流入する物資をふんだんに消費し、市民は競技場などでの連日の遊興を楽しむのみで、生産・建設への気風を失ったからに他ならない。では古代ローマ市民は必要とする労力をどこから調達したか? 属州からの「奴隷」の調達でまかなっていたのである。
今回の日本の選択に、相似形で重なるのであろう。
そして、そもそも、まったく論じられないことであるが、われわれ日本人は悲しいことに、組織だって「人肉」を食べざるをえなかった人類最後の民族なのである。フィリピンのレイテ島、ルソン島、ニューギニアの島々などにおいて...。ほんの70年前のことだ。
「野坂昭如『火垂るの墓』」は、つい昨日のことなのだ。
その、ほんの少し以前までろくに喰えもしなかった日本人が何を血迷って、ゼイタクをするのだ。
「徴用工問題」すら解決していないのに...
現時点で日本で労働する「技能実習生」すら、やがて母国に帰り、しばらくしてその時点での日本人一般との労賃の格差についてこれを「未払い」とし、大規模な訴訟を起こすであろうことは想像に難くない。その覚悟はあるのだろうか。
さらに、先の大戦までに某国などから調達した労働力について、その支払を求められている(徴用工問題)。これについて解決の端緒すら見出すことができないでいる。幾度も、どのような「解決」を講じても、彼らは何度でも「未払い」と称して請求してくるのである。
これらを解決することすらできていないのに、いったい、どうするのだ。
日米近現代史研究家の渡辺惣樹氏は、
移民との蜜月は長く続かない...として、日米間のあの戦争も、日本からアメリカへの移民が原因の一つだったと、鋭く指摘している。(2019/01/16 産経新聞)
欧米の植民地主義の結末は
ロンドンやパリは、もはやかつての精彩はない。かつて「花の都」と謳われたパリは、いたるところゴミだらけであり、裏通りは異様な臭気に満ちている。日本はこのような選択を、今こそ行おうとしている。
さあ、どうする。それでも、やるのか?
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