中学生のときの校舎火災
もう数十年も以前の古い話だ。学校祭の日だった。校舎は、L字形に展開する、二階建ての、嗚呼(ああ)、ため息が出るような、古色蒼然、古~い、オンボロの木造だ。
ふと、そのL字の内側から、向こう側のウイングの窓を見ると、窓から大量の煙が噴き出し、立ち上っている。状況は全くわからない。現実とは思えない不思議な光景に当惑する…こんなの見たことないぞ、と。
とにかく駆けつけなければ…と、行ってみる。と、なんと、床から立ち上った炎が垂直に天井まで届き、炎の先端は天井できれいに放射状に割れて、天井の大半をなめている。一見して、きわめて危険な大火災だ。周囲は無人で、何の音もしない。誰もいないし、放送での説明、避難指示などもない。ただ大きな火炎が垂直に火柱となって吹きあがっている。
夢の中の幻想を見るような、映画の一場面を見るような、遠い過去の思い出のような、なんとも言えない不思議な風景であり、見たこともない異様な美しさがあり、とても現実とは思えない。これがいったい何であるか、自分自身に納得させることができない、しばし見惚れるような、非現実的な、奇妙な現実だ。
が、ここまで見届けると、私は何らのためらいもなく、行動を開始した。事は急を要することはあまりにも明らかだった。一秒の無駄も、命とりだ。
同時、私は中学校の最上級生。意のごとく動かせる「手下」が何人もいて、平素からボス気取りだった。私の後を息を切らせて追ってきた、その手下どもに「どこからでいいから、消火器を、できるだけ沢山、集めて来い! 急げ、早くしろ!」と、命令。自分で引きずってきた一本は、すぐに出なくなる。火勢は、まったく止まない。「手下ども」は、「勝手にそんなことして消火器を開けたら、先生に叱られる。先生に聞いてからやっては ...」などと、まだ怪訝な風情だ。
どんな時にも、この種の間抜けな「慎重論」のようなことを、グダグダと言い出す輩がいるものである。ここで慎重になっていてどうなるというのだ! お利巧さんに、用はない。
そこで、一喝して「ダマレ!、うるさい! 馬鹿野郎!。 黙って言う通りにやれ! 俺が叱られてやる。いう通りにやらない奴はブッ飛ばすぞ!」と怒鳴る。それでも「探しに行ったけれど、見つからない」などと泣き言を言ってくる野郎がいる。いちいち、消火器が鎮座している場所を教えて「すぐに持って来なければ、ただではすまさないぞ、この野郎!」と脅迫し、慎重派をことごとく粉砕する。
やがて集ってきた消火器を次々と開栓。消火器20数本ほどでようやく制圧。鎮火。あたりは、消火器の残骸がゴロゴロして、なかなか壮観だ。
災害とはそもそも、こんなものだ。ここで、行動を一瞬でもためらっていれば、間違いなく校舎は全焼していた。とにかく、考えうる最善を尽くすのだ。これが男というものだ、と。
この間、たった一人の戦い、だった。何だか、うっとりするような話ではないか。男を挙げるのは、こんなときだ、と…、得意満面だった、が......。
ところがである。なんと、その後、あろうことか、驚くべきことに、私は、その功績を誉められるどころか、厳しく叱責されることとなった。全校生徒が避難指示に従い、整然と校庭に避難していたのに、たった一人だけ、参集しようとせず「馬鹿なお前は、またまた、勝手なことをしていた」ということで...。全員が避難して集合し、点呼して、アッ、あいつまた「どこかでフラフラしていた」トンデモない不埒(ふらち)なヤツだというわけだ。
まっ、このお叱りに対しては、腹のなかで「誰が火事を消したと思ってるんだ。やれたのなら、やって見せればよかっただろうに」と、胸をそらして昂然(こうぜん)として聞いていたが…。
ここで指摘したいのは、驚くべきことに、その時、教職員を含め、だれ一人、「消火しよう」と発想しなかったということだ。
また、そもそも学園祭の展示物のなかに、火を使い、それを見過ごしていたということの失態。そしてさらに、出火してからは「消火する」という発想に誰一人としてたどり着かなかったということだ。
想定外でした...本当に?
さて、ここからが本論。
本稿で指摘したいのは、あの水没した車両、水に浸かるまえに、現場の要員たちが高台に移動する発想がなぜできなかったのか ─ これだ(2019-10-13)。全車両が整然と水没している体たらくは、異様でさえある。そしてさらに驚愕するのは、「専門家」あるいは「関係者」諸氏がだれ一人、そのことを、事後であっても車両を退避させえたことを指摘すらせず、素知らぬ風情であることだ。損害額はいくらか知らぬが、甚大な金額となっていよう。
そしてまた、太平洋の海岸に「ツナミさん、どうぞ!」と言わんばかりに原発を並べておいて、津波が来襲したら、いったい、どうするつもりだったのだ。(福島第一原子力発電所事故、2011年3月11日)結局のところ、どうもできなかったわけであるが、こんなことでよいのか?
さらにまた、甲板上に爆弾・魚雷を搭載した航空機を大量に並べておいて、その瞬間に敵機が来て爆撃したら、どうするのか。(ミッドウェー海戦:昭和17年・1942年、6月5日~7日)
想定外!ーこの何にでも効く特効薬、免罪符、言い訳? まさに「想定外」のオンパレードだ。
悲しいかな、日本の歴史にはこのような場面がいくつも見出だすことができる。損害額は、それぞれ、数千億円どころか、はるかな天文学的数字となるであろうが、このツケは、全て利用者、つまりは納税者としての国民に付け回しされるのである。
そして、これらの歴史的事件の関係者・当事者・専門家からは、今にいたるも、何らの説明や釈明、言い訳や、泣き言すらもない。
嗚呼(ああ)!
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