戦犯の合祀 ── これは、昭和天皇ですら、その後の参拝を行わないことで反対の意思表示を行うほどの暴挙だった。
昭和天皇は、かつては大日本帝国陸海軍の頂点に位置するとされた存在だった。また開戦以来、初めての玉砕がアッツ島で起きたとき、すでに無線機と暗号書を破壊して通信の手段を持たず全滅したとされた現地部隊に対して、
最後まで良くやった。このことをアッツ島守備隊に伝えよ。と命令された。「もう打電しても無駄だ」という参謀総長に対し、
それでも良いから電波を出してやれ。と発言されたほどの熱血と温情の天皇であった。
この天皇にして、戦犯の合祀を容認はされなかったのだ。
海外から見れば、この「合祀」さらに「首相の参拝」によって、「日本は第二次大戦における戦争犯罪者を『顕彰』している」という見解を持つのは当然であろう。
今や、世界の「宗教」でかくも政治的な存在は他に類例を見ない。海外の政治勢力は、思う存分にこの状況を政治カードとして利用し、日本はそれにより国益を著しく損じている。しかも、発端は、国策の決定でもなければ、日本国民の民意にも基づいていないのである。
東條首相は「英霊に申し訳がたたない」という超論理的な論拠で、中国大陸での事変(実質的には戦争)を収拾しようとはせず、拡大の方向に向かった。この珍妙な論理が、やがて国を滅ぼすに至ったことを忘れてはならない。
「 きけわだつみのこえ」におけるクリスチャン
その書簡の末尾にふつうであれば「敬具」と書くところを、キリスト者らしく「主にありて」と記してあり、他の遺稿と同様に涙なくしては読めない。
「主にありて」という聞きなれない表現は、キリスト教の根幹を作ったといわれる聖パウロが信徒への書簡で好んで使った言い方で、「主(イエス・キリスト)のなかにあって、生きている者」という意味である。これらの戦没者は、キリストのなかに自分は生かされていると信じていたのだ。
「主にありて」という聞きなれない表現は、キリスト教の根幹を作ったといわれる聖パウロが信徒への書簡で好んで使った言い方で、「主(イエス・キリスト)のなかにあって、生きている者」という意味である。これらの戦没者は、キリストのなかに自分は生かされていると信じていたのだ。
そして、これら「キリスト者」の靖国への合祀は、キリスト教の教義に照らせば、戦没者本人・遺族にとってたえ難いものであり、実際に戦後になって何度も合祀取り下げの要請が出され、拒否されている。これは、一体、何なのであろうか?