そもそも『空気』には、オバケが絶対に必要
だいぶ以前のことである。とあるラジオ放送を聴いていると、ある外国人が日本語で語っていたことに思わず耳を傾けた。おおむね、こんな内容だった:
...日本のアニメ作品はどれもファンタスティックで大好きだ。しかし、これだけはまったく理解ができなかったのが一つある。それは、さまざまなわけのわからない妖怪というか、オバケというのか、次々と出て来る。壊れたカサや、長いクビ、一本足のや、まるで理解できないモンスター、火の玉などが次々に登場する。理解できない。あれは一体、何なのか...。日本人にはお馴染みの、オバケや妖怪が、欧米人にはまったく理解を超えたものにうつるらしい。オバケ、妖怪、もののけ、百鬼夜行や魑魅魍魎(ちみもうりょう)は、ふつうの日本人には、さして違和感のない存在だ。最近のアニメ・ブームもあって、かわいいオバケなどもいて、視覚的にも違和感なく受け入れられている。
この相違はどこからくるのか。それは、一神教の欧米、イスラム教圏においては、これらの存在は許されない。
日本では、古代からお馴染みの、オバケ、もののけ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)であって、ふつうの日本人には、さして違和感のない「存在」だ。そして、これらの存在こそ、アニミズムそのものであるということである。
「もののけ」のチャンピオン級のきわめつけを一つ、語ろう。
その昔、平安時代のことである。京都の皇居の上空に夜な夜な現れて、主上(天皇)を、悩ましたてまつり、ついには病気にさせた鵺(ヌエ)なる正体不明の妖怪がいた。そこで、源頼政なる武将が弓でこれを射て、ヌエを退治したという物語がある。この功績により官職をたまわり、源三位頼政(げんざんみ・よりまさ)と呼ばれるようになった。今でも『ヌエ的存在』ということがあるが、これがその語源だ。
不思議きわまる、古代の荒唐無稽な話のようだが、基本的には現代の日本もこの価値観からさして遠くない地点に存在する。
その証拠が、もののけ、オバケの話にさしたる違和感がない。繰り返すが、欧米、イスラム圏では、このことは理解すらできないことなのだ。そして、『空気』にはさまざまな価値観や決定事項、慣習、意志という、本来は無形で成文化されていないことがらが、文字とおり「暗黙」に存在するのである。オバケの存在など、ワケはない。
難解な山本七平の空気論
『空気の研究』は、山本七平による、一世風靡(いっせいふうび)の本だ。その視点は鋭く、かつて誰も指摘しなかった思念に満ちているきわめて優れた著書である。
しかし問題は、難解であって、さらに説明が詳細をきわめるがゆえに、まわりくどいことだ。間違いなく言えることは、ほとんどの日本の読者はおそらくこの著書の半分も理解できないであろう。
なぜか。...
それは、はっきり言うと、山本七平「空気の研究」を理解するには、キリスト教の知識とバックグランドが必要不可欠である。この知見がないと、山本の定義する『空気』そのものが見えてこない。
では「キリスト教の知識とバックグランド」とは何か。これを雑駁にいうと、『(一神教の)神以外を信仰の対象としない』ということである。ではこの反対概念は何か。『神以外の霊的なモノの存在を認める』ということであり、オバケなどもこれに該当し、アニミズムとは、同義語である。つまり、オバケとは、信仰そのものであり、これを少々難しく言うと「アニミズム」というのだ。ここで論じている『空気』も、まさしく、これに該当する。
だから、日本のアニメには、オバケが豊富に出てきても、日本人の多くは違和感がない。そして、欧米人にはまったく理解ができない、となる。イスラム教においては、そのようなモノを描くことすら嫌悪すべきことであって、絶対に許されない。近年、あるイスラム過激派が、バーミヤンの巨大石仏を爆破したのはこのためである。彼らは、この「絶対に許されない」存在を消し去るという神聖なる行為を実行したと、確信しているはずだ。
だから、『空気』と『オバケ』が同義語だと言っているのだ。
私の見た山本七平
ここからは、筆者の私見や、私的な眼を通して見た山本七平を語るので、以降、「山本先生」と呼ぶ。
山本先生はプロテスタントのクリスチャンだった。日本の知識人にはきわめてまれなことに、キリスト教に深い知見を持つ、つまり、敬虔な「キリスト者」で、生家もクリスチャンホームだった。徴兵検査のとき、受付を担当していたのは、近所の商店から山本家に出入りして「御用聞き」をやっていた男だった。この「御用聞き」氏が、徴兵検査の会場で山本先生のことを姓名を呼ばずに
「オイ!、そこのアーメン!」
と言って呼び出したのは有名な話だ。
著書で展開する『臨在観的把握』、これはまったく理解が難しい。量子力学における、「観測者によって対象の状況が変化する」という考え方、これに近い難しさだ。アインシュタインはこの量子論を認めようとしなかったが、最後までこのことを理解さえもしなかった。「月は、私が見ようと見まいとそこに存在するではないか」と。アインシュタインでさえこうだったのだから、一般人が『臨在観的把握』が分からなくても、無理はない。
おそらく、山本先生は、キリスト教の論理や用語を一切使わずに、キリスト教を語ろうとしたのだろう。キリスト教特有の鼻持ちならない「押し付けがましさ」や「無誤謬性」をいくら振りかざしたところで、日本ではまったく通用しないことは、よく分かっていたに違いない。
先の大戦では、陸軍砲兵少尉として従軍した。末期の、フィリピンのルソン島北部アパリ周辺での戦いは、凄惨をきわめたものだった。餓死寸前の状況でありながら、包囲した優勢な米軍と対峙するという状況だった。最後まで部隊を離脱せず、降伏も命令により、英語ができる使者として所在の米軍部隊へ交渉に行った。この地獄に等しいあいだ、胸中を去来するものは何だったか。おそらく神との対話だったろう。奥底にあったであろう思いは、戦後にかかれた多くの手記的な文書にも一切語られていない。ただ淡々と当時の状況を書き記してあるばかりである。100人のうち、96人が餓死などで生きて帰らなかった戦場からの生還者であることを忘れてはならない。
終戦直後、内地の混みあう列車内で帰還兵どうしが話していて、たがいに「あんたは、どちらから?」とたづねあい「私は、ルソンから」「オレは、レイテ島」と話したとたん、周囲にいた普通の乗客は、満員の車内にもかかわらず、一斉に飛びすさったという逸話がある。それほど、恐ろしい地獄の戦場だったのだ。
また、戦後、著作活動や出版事業で多忙なころ、あるプロテスタント・キリスト教会で、招かれて「伝道集会」の講師として講演したことがある。なんと、そこで講演された主題は、当時、社会問題になっていた「女子高校生の売春」だった。結論は「今の日本では、だれも彼らを裁くことはできない」ということだった。「彼らを断罪できる論理は、今の日本には存在しない」と。教会で話されるテーマとしては、まことにふさわしくないものだったが、新約聖書にある『罪深い女の石打の刑の前に、断固として立ちはだかった』イエス・キリストの論理そのものだった。
その説話の方法たるや、いつも、いわば『静かな過激』というべきものだった。『空気』など、キリスト教の観念からすれば、一発で一刀両断に粉砕できる。しかし、そうはしない。静かに、用語に気をつけて、優しく語るのだ。日本の「オバケ」信者や「空気」教徒にも、よ~く解るように。
実際にお会いしたときも、市ヶ谷の事務所を訪ねたときも、本当に小声で話す物静かで小柄で痩身、伏し目がちな人物だった。物書きによくありがちな、オレがオレがの自己主張の塊のような横柄さは、みじんもない。怖い顔や難しい表情を見せたことなど一度もなく、いつも静かに微笑みをたたえていた。
ああ、本当にこんなヒトが、よくもまあ、あの地獄の戦場から生還できたものだと、つくづく、思ったものだ。