2017/08/21

空気論-「空気の研究」への最短理解

そもそも『空気』には、オバケが絶対に必要


だいぶ以前のことである。とあるラジオ放送を聴いていると、ある外国人が日本語で語っていたことに思わず耳を傾けた。おおむね、こんな内容だった:
...日本のアニメ作品はどれもファンタスティックで大好きだ。しかし、これだけはまったく理解ができなかったのが一つある。それは、さまざまなわけのわからない妖怪というか、オバケというのか、次々と出て来る。壊れたカサや、長いクビ、一本足のや、まるで理解できないモンスター、火の玉などが次々に登場する。理解できない。あれは一体、何なのか...。
日本人にはお馴染みの、オバケや妖怪が、欧米人にはまったく理解を超えたものにうつるらしい。オバケ、妖怪、もののけ、百鬼夜行や魑魅魍魎(ちみもうりょう)は、ふつうの日本人には、さして違和感のない存在だ。最近のアニメ・ブームもあって、かわいいオバケなどもいて、視覚的にも違和感なく受け入れられている。 

この相違はどこからくるのか。それは、一神教の欧米、イスラム教圏においては、これらの存在は許されない。

日本では、古代からお馴染みの、オバケ、もののけ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)であって、ふつうの日本人には、さして違和感のない「存在」だ。そして、これらの存在こそ、アニミズムそのものであるということである。

「もののけ」のチャンピオン級のきわめつけを一つ、語ろう。

その昔、平安時代のことである。京都の皇居の上空に夜な夜な現れて、主上(天皇)を、悩ましたてまつり、ついには病気にさせた鵺(ヌエ)なる正体不明の妖怪がいた。そこで、源頼政なる武将が弓でこれを射て、ヌエを退治したという物語がある。この功績により官職をたまわり、源三位頼政(げんざんみ・よりまさ)と呼ばれるようになった。今でも『ヌエ的存在』ということがあるが、これがその語源だ。

不思議きわまる、古代の荒唐無稽な話のようだが、基本的には現代の日本もこの価値観からさして遠くない地点に存在する。

その証拠が、もののけ、オバケの話にさしたる違和感がない。繰り返すが、欧米、イスラム圏では、このことは理解すらできないことなのだ。そして、『空気』にはさまざまな価値観や決定事項、慣習、意志という、本来は無形で成文化されていないことがらが、文字とおり「暗黙」に存在するのである。オバケの存在など、ワケはない。

難解な山本七平の空気論


『空気の研究』は、山本七平による、一世風靡(いっせいふうび)の本だ。その視点は鋭く、かつて誰も指摘しなかった思念に満ちているきわめて優れた著書である。

しかし問題は、難解であって、さらに説明が詳細をきわめるがゆえに、まわりくどいことだ。間違いなく言えることは、ほとんどの日本の読者はおそらくこの著書の半分も理解できないであろう。

なぜか。...

それは、はっきり言うと、山本七平「空気の研究」を理解するには、キリスト教の知識とバックグランドが必要不可欠である。この知見がないと、山本の定義する『空気』そのものが見えてこない。

では「キリスト教の知識とバックグランド」とは何か。これを雑駁にいうと、『(一神教の)神以外を信仰の対象としない』ということである。ではこの反対概念は何か。『神以外の霊的なモノの存在を認める』ということであり、オバケなどもこれに該当し、アニミズムとは、同義語である。つまり、オバケとは、信仰そのものであり、これを少々難しく言うと「アニミズム」というのだ。ここで論じている『空気』も、まさしく、これに該当する。

だから、日本のアニメには、オバケが豊富に出てきても、日本人の多くは違和感がない。そして、欧米人にはまったく理解ができない、となる。イスラム教においては、そのようなモノを描くことすら嫌悪すべきことであって、絶対に許されない。近年、あるイスラム過激派が、バーミヤンの巨大石仏を爆破したのはこのためである。彼らは、この「絶対に許されない」存在を消し去るという神聖なる行為を実行したと、確信しているはずだ。

だから、『空気』と『オバケ』が同義語だと言っているのだ。

私の見た山本七平


ここからは、筆者の私見や、私的な眼を通して見た山本七平を語るので、以降、「山本先生」と呼ぶ。

山本先生はプロテスタントのクリスチャンだった。日本の知識人にはきわめてまれなことに、キリスト教に深い知見を持つ、つまり、敬虔な「キリスト者」で、生家もクリスチャンホームだった。徴兵検査のとき、受付を担当していたのは、近所の商店から山本家に出入りして「御用聞き」をやっていた男だった。この「御用聞き」氏が、徴兵検査の会場で山本先生のことを姓名を呼ばずに
「オイ!、そこのアーメン!」
と言って呼び出したのは有名な話だ。

著書で展開する『臨在観的把握』、これはまったく理解が難しい。量子力学における、「観測者によって対象の状況が変化する」という考え方、これに近い難しさだ。アインシュタインはこの量子論を認めようとしなかったが、最後までこのことを理解さえもしなかった。「月は、私が見ようと見まいとそこに存在するではないか」と。アインシュタインでさえこうだったのだから、一般人が『臨在観的把握』が分からなくても、無理はない。

おそらく、山本先生は、キリスト教の論理や用語を一切使わずに、キリスト教を語ろうとしたのだろう。キリスト教特有の鼻持ちならない「押し付けがましさ」や「無誤謬性」をいくら振りかざしたところで、日本ではまったく通用しないことは、よく分かっていたに違いない。

先の大戦では、陸軍砲兵少尉として従軍した。末期の、フィリピンのルソン島北部アパリ周辺での戦いは、凄惨をきわめたものだった。餓死寸前の状況でありながら、包囲した優勢な米軍と対峙するという状況だった。最後まで部隊を離脱せず、降伏も命令により、英語ができる使者として所在の米軍部隊へ交渉に行った。この地獄に等しいあいだ、胸中を去来するものは何だったか。おそらく神との対話だったろう。奥底にあったであろう思いは、戦後にかかれた多くの手記的な文書にも一切語られていない。ただ淡々と当時の状況を書き記してあるばかりである。100人のうち、96人が餓死などで生きて帰らなかった戦場からの生還者であることを忘れてはならない。

終戦直後、内地の混みあう列車内で帰還兵どうしが話していて、たがいに「あんたは、どちらから?」とたづねあい「私は、ルソンから」「オレは、レイテ島」と話したとたん、周囲にいた普通の乗客は、満員の車内にもかかわらず、一斉に飛びすさったという逸話がある。それほど、恐ろしい地獄の戦場だったのだ。

また、戦後、著作活動や出版事業で多忙なころ、あるプロテスタント・キリスト教会で、招かれて「伝道集会」の講師として講演したことがある。なんと、そこで講演された主題は、当時、社会問題になっていた「女子高校生の売春」だった。結論は「今の日本では、だれも彼らを裁くことはできない」ということだった。「彼らを断罪できる論理は、今の日本には存在しない」と。教会で話されるテーマとしては、まことにふさわしくないものだったが、新約聖書にある『罪深い女の石打の刑の前に、断固として立ちはだかった』イエス・キリストの論理そのものだった。

その説話の方法たるや、いつも、いわば『静かな過激』というべきものだった。『空気』など、キリスト教の観念からすれば、一発で一刀両断に粉砕できる。しかし、そうはしない。静かに、用語に気をつけて、優しく語るのだ。日本の「オバケ」信者や「空気」教徒にも、よ~く解るように。

実際にお会いしたときも、市ヶ谷の事務所を訪ねたときも、本当に小声で話す物静かで小柄で痩身、伏し目がちな人物だった。物書きによくありがちな、オレがオレがの自己主張の塊のような横柄さは、みじんもない。怖い顔や難しい表情を見せたことなど一度もなく、いつも静かに微笑みをたたえていた。

ああ、本当にこんなヒトが、よくもまあ、あの地獄の戦場から生還できたものだと、つくづく、思ったものだ。


2017/08/12

これでいいのか日本語!

本稿を書いている今年(西暦2017年、平成29年)は明治150年だ。近代国家になって150年も経つのに、日本はいまだ近代的な日本語を有していない。これは、文語・口語をいっているのではない。

二千年以前のラテン語にはるかに劣り、その派生語たる英語をはじめとするヨーロッパ語に後れを取っているといいたいのだ。

日本語を批判した人物は、歴史において、三人は存在し、そのうち二人は外国人だ。

はっきり言っておくが「空気を読む」などと、マヌケなことを言っている人物はただの一人もいない。そもそも、このIT万能の世の中で、こんな「空気が...」などというデタラメがまかり通っていいのか。

メッケルが直面した明治の日本

明治16年に日本に陸軍大学校ができ、ドイツ参謀本部からメッケル少佐が教官として招聘された。メッケルは、将来の参謀となる軍人を教育するなかで、参謀学生の間での日本語のやりとりがあいまいで不正確なことに気づく。
軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。
日本語はそういう文章なのか?
と指摘し、軍事における日本語の充実を提言した。そう、「簡潔で的確」に...。

Klemens Wilhelm Jacob Meckel

ミッドウェー海戦を、そして国家を
決定的な敗戦に導いた意味不明な電文

日本が決定的に敗れた海戦である。日本側は複雑な作戦を構想し、その第一段階で、空母から飛び立った爆撃隊がミッドウェー島の米軍基地を爆撃する。攻撃飛行隊隊長の友永丈市大尉は、ただ一言のあの有名な
反覆攻撃ノ要アリ
という無線通信を打電し、報告とした。この友永の打電内容の解釈をめぐって、待機する日本の空母艦隊では紛糾する。出先で一体、何が起こっているのかまったく意味不明だったのだ。その後の経緯は歴史にある通り、待機する日本の艦隊で大混乱が発生し、その虚をついて米軍機が襲いかかって日本の空母部隊は全滅。この一事が、敗戦への発端となった。

なんと、たった一つの連絡の文言が不明瞭だったために、まさにここにおいて勝敗がわかれ、国家の命運を制することになったのである。

チャーチルが冷徹に分析した日本語

英国の首相として日本、ドイツを相手に戦い、のちに「第二次大戦回想録」を書いたウィンストン・チャーチルは、そのなかで日本語に手厳しく言及している。ちなみに、 この回想録は「ノーベル文学賞」受賞作品である。
日本軍の計画の厳格さ、 そしてその計画が予定通り進展しない場合は目的を放棄するという傾向は、主として日本語のやっかいで不正確な性格のためであったと思われる。

日本語は信号通信によって即座に伝達を行うのはきわめて困難なのである。
チャーチルは日本語を「やっかいで不正確」と見事に見通していた。つまりは、日本語は近代戦を戦える言語ではなかったのだ。

Winston Churchill

 

大本営情報参謀の苦悩

原爆投下さえも、情報の精密な分析により予報したといわれる日本の大本営情報部参謀がいた。陸軍大佐、堀 栄三だ。米軍のルソン島上陸地点、本土へ上陸地点と時期なども正確に分析し、予言していた情報のエキスパートだ。日本の大本営においてはそのあまりの分析の鋭さに『マッカーサー参謀』とあだ名されたほどだった。

掘  栄三

その優秀な参謀の指摘は、あなどるべきものでなく今なお多くの示唆に富んでいる。「日本は漢字をやめて、ローマ字か片仮名を採用しない限り、将来戦争はできない」と、大本営において報告した。そして、次第に厳しくなる戦況に苛立ちを隠さなかった。
「先頭が戦闘」「戦果が戦火」「向後が交互」などの誤りが多く、中には意味不明のものも出てきた。
日本軍の暗号の非能率さ、あいまいさは、どんな角度から見ても第一戦力の減殺であって増強にはなっていなかった。
同音異語の多さ、日本語特有の含蓄の深さが不正確さと同義である、これらのことが致命的だったと指摘している。 また堀は、日本語で近代戦を戦うには、英語での場合では考えられないほどの労力を要し、
...日米の差は、手仕事と機械の差であったし、飛行場を作るにしても、ブルドーザとシャベルの違いであった。(日本語の暗号作成と暗号翻訳の)非能率的な手仕事は、人海戦術になって人員と労力を必要とするだけで疲労困憊(ひろうこんぱい)の上に、第一線で使い得る戦力を減殺してしまった。
と述懐した。さらに、ここで言及している「戦力の減殺」は、国家的な規模で考えれば、
恐らく5万、6万名、ざっと四、五個師団分(の人員)に相当したのではなかろうか
と数値化して述べている。日本語で近代戦を戦うのは、かくのごとく負荷の大きい大変なことだったのだ。

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戦後、現代の日本は、これらの教訓をまったく活用していない。国語学者、言語学者、社会学者には日本語をどうにかしようとする動きすらない。これでは、文系学部削減や、地方の文系大学のお取り潰しがあっても文句も言えまい。

一方、日本の科学者のなかには、正確な論文執筆のために日本語を変革しようとする動きがあるが、これについては後述しよう。

そして、世間(あくまで日本の...ではあるが)ではむしろ、「空気」という世界中どこにも通用しない珍妙なやり方を導入し、それを定着しようとしている。この「空気」なるものを、ITを経由して、どうやって伝達するつもりなのだろうか。そんなことをしていれば、またぞろ「ミッドウェー海戦」でのように負けます、ぞ。

言っておくが、戦前の日本における日本語の著述のなかにおいてすら、
空気を読む...
などという記述はほとんど出てこない。もしあったら、この浅学非才、無知蒙昧(むちもうまい)たる筆者にどうかご指摘、ご教示をたまわりたいものである。

日本は、日本人は、日本語の環境において、中世・古代がそうであった、近代科学以前の呪術と霊魂に呪縛されたあの時代にもどろうとしているのであろうか? このIT万能の時代に。またぞろ、チャーチルの冷笑と、大本営・堀栄三参謀の長嘆息が、聞こえるようだ...、ああ。



2017/08/10

マッカーサーの見たレイテ海戦

ダグラス・マッカーサーが、太平洋戦争(大東亜戦争)において敗北寸前となって追いつめられたことは、二度ある。

初期の「フィリピン・バターン半島」からの脱出のとき、それと、本稿で語る大戦末期の掉尾(とうび)をかざるにふさわしい「レイテ海戦」だ。

レイテ島に上陸するマッカーサー 1944/10/20


何を今さらこの歴史を語るのか。いささか「昔を今になすよしもがな...」の詠嘆と言えなくもない。

しかし問題は、たんなる感傷や感慨にふけるだけではあまりにも大きすぎるし、またそう単純ではない。なぜなら、この辺りから、その後のマッカーサーの日本に対する「畏れ(おそれ)」とも「リスペクト」ともとれる想念が、通奏低音のように流れ始める。あの尊大にして傲慢きわまり、鼻持ちならないマッカーサーにして、かくのごとくであったということである。

そして戦後すぐ会見のために来訪した昭和天皇の想定外の発言に、マッカーサーは完全に圧倒される。

したがって、大戦末期の「レイテ海戦」においてのさまざまなでき事は、マッカーサーの戦後における対日政策や、大戦終了後の数々の発言のなかに大きく投影しているといっても、過言ではない。だとすると、さらに現代の日本のあり方にも大きく影響したと断言できよう。

敵を誉めそやしておいて、その敵を撃破した自分はもっと偉いというよく使われる姑息な自己顕示欲の手法もあるが、それをマッカーサーがやるには、この海戦は歴史的事実としてあまりに大き過ぎる。

この視点に立てば、「レイテ海戦」は日本側が敗北はしたものの、その戦争目的を達成したともいえる。そして、人類史上最大の海空戦として、民族の神話として、ながく語り伝えられるであろう。

マッカーサー側はとんでもないお粗末な指揮系統


レイテ海戦における日本の主敵は、
  • 第7艦隊(指揮官キンケード、レイテ島タクロバンのマッカーサー指揮下)
  • 第3艦隊(指揮官ハルゼー、ハワイのニミッツ指揮下)
だった。ところがあろうことか、この両部隊の統一指揮は設定がなく、このことが米軍側に決定的な事態をもたらす。マッカーサーは憤怒をこめて述懐する:
その後に行われた戦闘は、指揮の統一を欠くことがいかに危険であり、重要な作戦で最終的な責任を負っている司令官(マッカーサー自身を指す)が作戦に参加している全部隊を指揮できない場合、いかに誤解が起こりやすいかということを、現実にしめしてくれることとなった。
 人間のやることは、すべて錯誤の連続である。この場合、日米双方に重大な「錯誤」が起きた。

ありえないことが双方に連続して起きる


鉄壁の布陣でレイテ湾に上陸した部隊を守っていたはずの米側艦隊は、それぞれ、日本側の巧緻をきわめた作戦にひっかかって、本来の持ち場を離れ、レイテ湾岸に上陸したマッカーサーの指揮する部隊の守備はガラ空きで、部隊は裸同然となる。日本側には、まさに千載一遇の好機が訪れようとしていた。

日本艦隊は艱難辛苦(かんなんしんく)のすえ南下し、ああ、ついに目的の、レイテ島の東に位置するレイテ湾直前まで殺到した。そして、湾岸に上陸したばかりのマッカーサー軍はなんの防備も持たず、あわや、あの「大和」の史上最大の主砲をはじめ多数の日本艦隊の砲撃のもとに壊滅するばかりの最大の危機がせまった。

ところがそのとき、日本艦隊は目前にせまった攻撃を突如として放棄し、反転して北上を開始した。あの有名な『栗田艦隊のナゾの反転』だ。

こうして日本側がこの戦いで勝利しうる機会は永久に失われ、マッカーサーは、からくもすんでのところで虎口を脱した。

このときのマッカーサーの胸中に去来するものは何であったか。史家はそれには言及することなく、またマッカーサー自身も何らの述懐を残していない。

しかし、背後からの決定的な致命傷となる一撃を、みずからの力量ではなく、たんなる偶然によってかろうじてまぬがれることができたという一事は、マッカーサーの燦然たる軍歴を誇る尊大な自尊心に深い傷跡を残すと同時に、日本恐るべしとの畏敬ともいえる想念を深く胸中に抱かせるにいたったに違いない。

なぜなら、そのときのマッカーサーは、戦争初期のバターン半島のときとは違い、万全の準備のもとに大軍を率い、完全な勝利の確信に満ちて戦いに臨んでいたからである。

さらに、マッカーサーの目前まで迫った日本艦隊は、途上や帰路において多大の損害を受けはしたが完全に撃破されることなく日本本土に多数の艦艇を持ち帰ることができた。

マッカーサーは、自らの盤石の布陣にもかかわらず敵に追いつめられ、さらにその敵を取り逃がす結果となったわけである。

そしてこれが、マッカーサーの後の対日政策に大きく投影したことと考えられる。

そして神話たりうる物語が残った


フィリピンおよびその周辺では、多くの海空戦や陸戦が行われた。戦後、フィリピンのミンドロ島からかろうじて生還して作家となった大岡昇平は、ぼう大な著書『レイテ戦記』にその全貌を書き記し、『野火』においてこの戦域の陸戦で倒れた多くの日本兵がたどったであろう悲惨な運命の物語を書いた。

個々の海戦のなかにはこんな戦いもあった。駆逐艦「初月(はつづき)」の最期だ。包囲されて傷つき退避する味方の小艦隊を助けるため、「初月」はただ一艦、独断で反転し、追ってきた敵艦隊に向かう。激しい砲雷撃戦のすえ撃沈され、生存者は皆無だった。包囲した米艦隊は、そのあまりに豪胆なふるまいに「初月」を駆逐艦とは考えずに重巡洋艦と誤認し、艦隊ごとほんろうされて足止めをくらう。その虚をついて味方艦隊は北上して退避に成功する。

平家物語や、楠木正成の湊川の戦いの絵巻物を見ているかのような、みごとなそして悲しい戦いぶりだった。

まさに、民族の神話を書き残してくれたと前述したゆえんである。われわれは、このような戦いをおこなった者たちの子孫であることを誇りとしなければならない。


 

2017/08/03

記者クラブ ― 日本をダメにする最悪のメディア集団

日本のメディア、本当のすがた


日本でただ一つ、天気・気象・地震火山をあつかう省庁が存在する。読者諸氏もよくお世話になっているはずのあの機関だ。

さて、このお役所、つい最近まで、毎日、夕方になると「飲み会」が庁舎内で盛大に行われていたのをご存知だろうか。

24時間3直勤務であり、年間を通じて業務に途切れがない ―― これが、庁舎内で飲み会をおこなわざるをえないのだ!という理由だった。それに、都心だから、ちょっと外に飲みに行っても、随分と高いし...。

連日、夕闇がせまるころ、庁舎一階のメイン・エントランスを入ると、各階の湯沸室で焼く、シシャモやアタリメなどの酒のサカナの臭いが立ち込めていたものだ。地下の「売店」が、20本入りのビール瓶ケースを各階のフロアへ、大きな台車を使って搬送するときの、独特のガシャンという音が、一日中、庁舎内に反響してこだましていた。各階の湯沸室には天井までビール瓶ケースがうず高く積まれ、翌朝にはそれが全てカラになる ―― これが毎日の繰り返しだった。

ある意味、アンニュイで平和な日々。これでいいではないか...。

ところがある日、ある所要で、とあるアメリカ人をともないこのお役所を、夕方、訪ね、一階エントランスを入ったとたん、この外人、驚愕していわく ――
この悪臭は何の臭いだ? エッ、飲み会? オードブルを焼いている?  一体、何のパーティーだ、仕事中ではないのか?
何をやっているんだ。ここは日本の政府機関ではないか! アメリカなら大問題になって、一斉に納税拒否が起きる。 アメリカの政府機関でこれをやれば、全員、間違いなくクビだ。
日本人は「クソ真面目」な連中と聞いていたのに、これは何だ。世界最低だ!
それに、オマエ、バカか! なんでこんなこと、だまっているんだ。
言っておくが、この外人さん、決して品行方正な人物ではなく、日本で立場を利用して数々の女性と問題を起こし、筆者も手を焼いていた不良外人。その彼がア然とする体たらくだったということだ。

ではなぜ、これが可能で、なぜまったく、一度として報道されることがなかったのか?

これぞ世界に悪名高き、記者クラブ制度


それは、この官庁には
〇〇省(庁)記者クラブ
という報道機関(新聞・通信社・テレビ各局 など)の組織があり、あろうことか、省庁の建物内に居候して(つまりは、なんと、家賃タダで居座って)、省庁とは親密な関係を仲良く保ち、「記者会見」に出席する権利を排他的に保有し、そこで報道資料の配布を受け、皆さん、不都合なことは質問・糾弾などせず、おだやかに紳士的にふるまっていたからだ。

そりゃ、そうでしょう。「おりこうさん」にしていないと、記者会見でプリントを配布してもらえないもの。

記者クラブに所属しない、いかなる団体も、上記の記者会見に出席できず、資料などの配布も受けられない。

毎晩の「(ないしょの)飲み会」など暴露しようものなら、大変なことになって、記者会見に出られなくなるもの...。この「飲み会」、いつから行われていたのか、文献を渉猟しても(探しても)見つからない。戦前から、ですかね...。

こんな状況では、地震も津波も、的確な予想などできるはずはない。

日本の政府機関が、こういう点でまったく異常なのは、批判する視点に立った指摘・報道、つまり、メディアのあるべき本来の活動が行われず、いわば、メディアが政府機関の「広報課」のような存在となっていることだ。

もう一つ、少し古いが、これまた驚愕の事例を述べておく。

昭和17年(1942年)、すでに太平洋戦争(大東亜戦争)が開始されていて、戦地では熾烈な戦闘が展開中だった。

その時期、『外交官交換』という各国間の取り決めにより、アメリカから中立国を経由して帰国した日本のある外交官(陸軍軍人:実松 譲 (さねまつ ゆずる:在米大使館付武官補佐官) )は、帰国早々のある夕方、霞ヶ関の陸軍省へ行ったところ、あろうことか、
六時に、陸軍省の灯りが消えていた。
と、なんと、驚愕の現実に直面して唖然とする。そして 日本の陸軍中枢がすっかり
サラリーマン化していた
と、批判している。そして、この体たらくが報道された事実は、一度として、存在しない。

それはなぜか? それはすべての報道が「大本営発表」に一元化されていたからだ。

つまりは、「記者クラブ」とは、「大本営発表」と同等の機能をもつ、諸悪の根源なのだ。

そしてさらに、ちょうど同じ時期、英国では国運を賭けた英独戦、いわゆるBattle of Britain(英国の戦い)の真っ最中であり、ロンドンは連日の激しい爆撃を受け、
戦時、ロンドン、財務省地下、チャーチルの戦争指導部は、六畳一間ほどの部屋、チャーチル以下、閣僚、参謀クラスが泊まり込みで戦時指導体制
となっていた、と実松 譲は指摘している。 これでは日本としては、勝てる戦いも負けようというもの。日本の新聞は、要するに「提灯記事」ばかり書いていたということだ。日本の三百万人におよぶ戦死者は、この陸軍中枢のこのご気楽加減・堕落ぶりを知れば、 地下において「安らかに眠る」ことなど到底できないであろう、に...。

現在も同時進行で、こんなことが起きているのであろう。

さらについでながら指摘しておくと、日本の帝国海軍では、艦船においては「酒保開ケ」の命令があって始めて「飲み会」が行われ、こっそり「飲み会」など、とんでもないことだった。「吉田満:戦艦大和ノ最期」に詳しくその描写がある。

どこもかしこも、記者クラブ


さらに、日本において最も著名な〇〇大学においても存在する。必要があって、資料をもらいに行っても
「配布対象社は、記者クラブ社だけです」
と、何度、門前払いで追っ払われたことか...。記者クラブの、優秀な報道各社の記者諸兄の心中を察するに:
配布されるプリントを文字に起こし、記事にすれば、仕事になるのである。ああ、なんと楽しげでラクな仕事であるか...。アンニュイで怠惰な日々、天下国家がどうなろうと知ったことではない ―― オレは正しく『資料』に基いて記事を書いている
ということなのだろう。

これではいけないと考えるが、記者クラブの諸兄よ、異論があるなら、受けて立とう、ぞ。