2017/08/12

これでいいのか日本語!

本稿を書いている今年(西暦2017年、平成29年)は明治150年だ。近代国家になって150年も経つのに、日本はいまだ近代的な日本語を有していない。これは、文語・口語をいっているのではない。

二千年以前のラテン語にはるかに劣り、その派生語たる英語をはじめとするヨーロッパ語に後れを取っているといいたいのだ。

日本語を批判した人物は、歴史において、三人は存在し、そのうち二人は外国人だ。

はっきり言っておくが「空気を読む」などと、マヌケなことを言っている人物はただの一人もいない。そもそも、このIT万能の世の中で、こんな「空気が...」などというデタラメがまかり通っていいのか。

メッケルが直面した明治の日本

明治16年に日本に陸軍大学校ができ、ドイツ参謀本部からメッケル少佐が教官として招聘された。メッケルは、将来の参謀となる軍人を教育するなかで、参謀学生の間での日本語のやりとりがあいまいで不正確なことに気づく。
軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。
日本語はそういう文章なのか?
と指摘し、軍事における日本語の充実を提言した。そう、「簡潔で的確」に...。

Klemens Wilhelm Jacob Meckel

ミッドウェー海戦を、そして国家を
決定的な敗戦に導いた意味不明な電文

日本が決定的に敗れた海戦である。日本側は複雑な作戦を構想し、その第一段階で、空母から飛び立った爆撃隊がミッドウェー島の米軍基地を爆撃する。攻撃飛行隊隊長の友永丈市大尉は、ただ一言のあの有名な
反覆攻撃ノ要アリ
という無線通信を打電し、報告とした。この友永の打電内容の解釈をめぐって、待機する日本の空母艦隊では紛糾する。出先で一体、何が起こっているのかまったく意味不明だったのだ。その後の経緯は歴史にある通り、待機する日本の艦隊で大混乱が発生し、その虚をついて米軍機が襲いかかって日本の空母部隊は全滅。この一事が、敗戦への発端となった。

なんと、たった一つの連絡の文言が不明瞭だったために、まさにここにおいて勝敗がわかれ、国家の命運を制することになったのである。

チャーチルが冷徹に分析した日本語

英国の首相として日本、ドイツを相手に戦い、のちに「第二次大戦回想録」を書いたウィンストン・チャーチルは、そのなかで日本語に手厳しく言及している。ちなみに、 この回想録は「ノーベル文学賞」受賞作品である。
日本軍の計画の厳格さ、 そしてその計画が予定通り進展しない場合は目的を放棄するという傾向は、主として日本語のやっかいで不正確な性格のためであったと思われる。

日本語は信号通信によって即座に伝達を行うのはきわめて困難なのである。
チャーチルは日本語を「やっかいで不正確」と見事に見通していた。つまりは、日本語は近代戦を戦える言語ではなかったのだ。

Winston Churchill

 

大本営情報参謀の苦悩

原爆投下さえも、情報の精密な分析により予報したといわれる日本の大本営情報部参謀がいた。陸軍大佐、堀 栄三だ。米軍のルソン島上陸地点、本土へ上陸地点と時期なども正確に分析し、予言していた情報のエキスパートだ。日本の大本営においてはそのあまりの分析の鋭さに『マッカーサー参謀』とあだ名されたほどだった。

掘  栄三

その優秀な参謀の指摘は、あなどるべきものでなく今なお多くの示唆に富んでいる。「日本は漢字をやめて、ローマ字か片仮名を採用しない限り、将来戦争はできない」と、大本営において報告した。そして、次第に厳しくなる戦況に苛立ちを隠さなかった。
「先頭が戦闘」「戦果が戦火」「向後が交互」などの誤りが多く、中には意味不明のものも出てきた。
日本軍の暗号の非能率さ、あいまいさは、どんな角度から見ても第一戦力の減殺であって増強にはなっていなかった。
同音異語の多さ、日本語特有の含蓄の深さが不正確さと同義である、これらのことが致命的だったと指摘している。 また堀は、日本語で近代戦を戦うには、英語での場合では考えられないほどの労力を要し、
...日米の差は、手仕事と機械の差であったし、飛行場を作るにしても、ブルドーザとシャベルの違いであった。(日本語の暗号作成と暗号翻訳の)非能率的な手仕事は、人海戦術になって人員と労力を必要とするだけで疲労困憊(ひろうこんぱい)の上に、第一線で使い得る戦力を減殺してしまった。
と述懐した。さらに、ここで言及している「戦力の減殺」は、国家的な規模で考えれば、
恐らく5万、6万名、ざっと四、五個師団分(の人員)に相当したのではなかろうか
と数値化して述べている。日本語で近代戦を戦うのは、かくのごとく負荷の大きい大変なことだったのだ。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

戦後、現代の日本は、これらの教訓をまったく活用していない。国語学者、言語学者、社会学者には日本語をどうにかしようとする動きすらない。これでは、文系学部削減や、地方の文系大学のお取り潰しがあっても文句も言えまい。

一方、日本の科学者のなかには、正確な論文執筆のために日本語を変革しようとする動きがあるが、これについては後述しよう。

そして、世間(あくまで日本の...ではあるが)ではむしろ、「空気」という世界中どこにも通用しない珍妙なやり方を導入し、それを定着しようとしている。この「空気」なるものを、ITを経由して、どうやって伝達するつもりなのだろうか。そんなことをしていれば、またぞろ「ミッドウェー海戦」でのように負けます、ぞ。

言っておくが、戦前の日本における日本語の著述のなかにおいてすら、
空気を読む...
などという記述はほとんど出てこない。もしあったら、この浅学非才、無知蒙昧(むちもうまい)たる筆者にどうかご指摘、ご教示をたまわりたいものである。

日本は、日本人は、日本語の環境において、中世・古代がそうであった、近代科学以前の呪術と霊魂に呪縛されたあの時代にもどろうとしているのであろうか? このIT万能の時代に。またぞろ、チャーチルの冷笑と、大本営・堀栄三参謀の長嘆息が、聞こえるようだ...、ああ。



0 件のコメント:

コメントを投稿