日本のメディア、本当のすがた
日本でただ一つ、天気・気象・地震火山をあつかう省庁が存在する。読者諸氏もよくお世話になっているはずのあの機関だ。
さて、このお役所、つい最近まで、毎日、夕方になると「飲み会」が庁舎内で盛大に行われていたのをご存知だろうか。
24時間3直勤務であり、年間を通じて業務に途切れがない ―― これが、庁舎内で飲み会をおこなわざるをえないのだ!という理由だった。それに、都心だから、ちょっと外に飲みに行っても、随分と高いし...。
連日、夕闇がせまるころ、庁舎一階のメイン・エントランスを入ると、各階の湯沸室で焼く、シシャモやアタリメなどの酒のサカナの臭いが立ち込めていたものだ。地下の「売店」が、20本入りのビール瓶ケースを各階のフロアへ、大きな台車を使って搬送するときの、独特のガシャンという音が、一日中、庁舎内に反響してこだましていた。各階の湯沸室には天井までビール瓶ケースがうず高く積まれ、翌朝にはそれが全てカラになる ―― これが毎日の繰り返しだった。
ある意味、アンニュイで平和な日々。これでいいではないか...。
ところがある日、ある所要で、とあるアメリカ人をともないこのお役所を、夕方、訪ね、一階エントランスを入ったとたん、この外人、驚愕していわく ――
この悪臭は何の臭いだ? エッ、飲み会? オードブルを焼いている? 一体、何のパーティーだ、仕事中ではないのか?
何をやっているんだ。ここは日本の政府機関ではないか! アメリカなら大問題になって、一斉に納税拒否が起きる。 アメリカの政府機関でこれをやれば、全員、間違いなくクビだ。
日本人は「クソ真面目」な連中と聞いていたのに、これは何だ。世界最低だ!
それに、オマエ、バカか! なんでこんなこと、だまっているんだ。言っておくが、この外人さん、決して品行方正な人物ではなく、日本で立場を利用して数々の女性と問題を起こし、筆者も手を焼いていた不良外人。その彼がア然とする体たらくだったということだ。
ではなぜ、これが可能で、なぜまったく、一度として報道されることがなかったのか?
これぞ世界に悪名高き、記者クラブ制度
それは、この官庁には
〇〇省(庁)記者クラブという報道機関(新聞・通信社・テレビ各局 など)の組織があり、あろうことか、省庁の建物内に居候して(つまりは、なんと、家賃タダで居座って)、省庁とは親密な関係を仲良く保ち、「記者会見」に出席する権利を排他的に保有し、そこで報道資料の配布を受け、皆さん、不都合なことは質問・糾弾などせず、おだやかに紳士的にふるまっていたからだ。
そりゃ、そうでしょう。「おりこうさん」にしていないと、記者会見でプリントを配布してもらえないもの。
記者クラブに所属しない、いかなる団体も、上記の記者会見に出席できず、資料などの配布も受けられない。
毎晩の「(ないしょの)飲み会」など暴露しようものなら、大変なことになって、記者会見に出られなくなるもの...。この「飲み会」、いつから行われていたのか、文献を渉猟しても(探しても)見つからない。戦前から、ですかね...。
こんな状況では、地震も津波も、的確な予想などできるはずはない。
日本の政府機関が、こういう点でまったく異常なのは、批判する視点に立った指摘・報道、つまり、メディアのあるべき本来の活動が行われず、いわば、メディアが政府機関の「広報課」のような存在となっていることだ。
もう一つ、少し古いが、これまた驚愕の事例を述べておく。
昭和17年(1942年)、すでに太平洋戦争(大東亜戦争)が開始されていて、戦地では熾烈な戦闘が展開中だった。
その時期、『外交官交換』という各国間の取り決めにより、アメリカから中立国を経由して帰国した日本のある外交官(陸軍軍人:実松 譲 (さねまつ ゆずる:在米大使館付武官補佐官) )は、帰国早々のある夕方、霞ヶ関の陸軍省へ行ったところ、あろうことか、
六時に、陸軍省の灯りが消えていた。と、なんと、驚愕の現実に直面して唖然とする。そして 日本の陸軍中枢がすっかり
サラリーマン化していたと、批判している。そして、この体たらくが報道された事実は、一度として、存在しない。
それはなぜか? それはすべての報道が「大本営発表」に一元化されていたからだ。
つまりは、「記者クラブ」とは、「大本営発表」と同等の機能をもつ、諸悪の根源なのだ。
そしてさらに、ちょうど同じ時期、英国では国運を賭けた英独戦、いわゆるBattle of Britain(英国の戦い)の真っ最中であり、ロンドンは連日の激しい爆撃を受け、
戦時、ロンドン、財務省地下、チャーチルの戦争指導部は、六畳一間ほどの部屋、チャーチル以下、閣僚、参謀クラスが泊まり込みで戦時指導体制となっていた、と実松 譲は指摘している。 これでは日本としては、勝てる戦いも負けようというもの。日本の新聞は、要するに「提灯記事」ばかり書いていたということだ。日本の三百万人におよぶ戦死者は、この陸軍中枢のこのご気楽加減・堕落ぶりを知れば、 地下において「安らかに眠る」ことなど到底できないであろう、に...。
現在も同時進行で、こんなことが起きているのであろう。
さらについでながら指摘しておくと、日本の帝国海軍では、艦船においては「酒保開ケ」の命令があって始めて「飲み会」が行われ、こっそり「飲み会」など、とんでもないことだった。「吉田満:戦艦大和ノ最期」に詳しくその描写がある。
どこもかしこも、記者クラブ
さらに、日本において最も著名な〇〇大学においても存在する。必要があって、資料をもらいに行っても
「配布対象社は、記者クラブ社だけです」
と、何度、門前払いで追っ払われたことか...。記者クラブの、優秀な報道各社の記者諸兄の心中を察するに:
配布されるプリントを文字に起こし、記事にすれば、仕事になるのである。ああ、なんと楽しげでラクな仕事であるか...。アンニュイで怠惰な日々、天下国家がどうなろうと知ったことではない ―― オレは正しく『資料』に基いて記事を書いているということなのだろう。
これではいけないと考えるが、記者クラブの諸兄よ、異論があるなら、受けて立とう、ぞ。
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