原子力の研究機関、その監督官庁ともあろうものが...
「日本原子力研究開発機構」という官庁がある。
その機関がまだ
日本原子力研究所と呼称されていたころ、東京にある、日比谷公園の近くの壮麗なビルの最上階近く、数フロアを使って、この機関の「本部」があった。
ああ、安楽の日々
そして、そこには目を疑う、驚くべき光景が広がっていた。仕切りなどまったくない、大きなビル、ワンフロアの吹き抜けのオフィスに、この機関の大勢の係官たちがいた。
ところが、である。そのうちのほとんど全てが、業務時間中にもかかわらず、デスクが集まるいっかくの合間、合間にある、対面するソファーの長椅子 ―― ここにそれぞれ集い、手に手に「寿司屋」でお目にかかるような大きな湯のみ茶碗を持って、楽しそうに談笑、歓談しているのである。
デスクに向かい、仕事らしいことを行っている風情なのは ―― 探してみれば ―― 事務員風の女性たちのみ。率直に言って「えっ! 何、これは?」という風情...。
これが、業務の合間のたんなる「休憩」でないことは、やがて、誰であれ、容易に理解できたあろう。
なぜなら、いつも、いつその庁舎を訪ねても、同じ風景であるからだ。そう、つまり、彼らは何と、ほぼ一日中、連日、「休憩」していたのだ。ああ...。
士気の低下、モラルの崩壊、公的資金の無駄(いわゆる税金ドロボウ)は、言うまでもない。このような状況を許し、平然としていた体制とはいったい何であろうか。
あの「優秀な」記者諸君、メディア各社は、なぜ、国民にこのあ然とする体たらくを報道しなかったのだろう。
これが「原研(日本原子力研究所)」の実態だった。
そして津波が
彼らは、いったい、何をやっていたのであろうか。
この幾年かのちに、福島原発は津波に襲来され、その結果、放射能をまき散らし、近傍の地域は人間の住む場所としては壊滅した。
油断しきってまったく仕事らしい仕事をせず、彼らの士気の低下は明らかだった。これを知っている者としては、原発事故についての彼らのいかなる説明、釈明も、弁明も、未来永劫にいたるまで、絶対に信用するつもりはない。
悲しいかな、どうして、組織が、人間が、ここまで堕落できるものなのか...。
原発が、たかが「津波」で、あのようなお粗末な結末をむかえ、そして、その後の対応も、まったくできなかったとは、なんたることであろう。
日本列島は、50年ないし100年ごとに、大規模な地震・津波に襲われていた。これは太古の昔から変わるはなく、これからも、何度も、数十年ごとに、大規模な津波の襲来を受けるであろう。このことは、たんなる自然現象であって、地球という惑星のさまざまな活動の一つに過ぎない。
原発事故は、いつ起きても何の不思議もない。具体的には、海洋に面した原発だ。
なのに、彼らは漫然とノンキに「茶飲み話」に、うつつをぬかしていたである。
「専門家」としてこのような事態に対応するために、巨額の国家予算を費やして運営されてきた専門機関なのにもかかわらず、やっていたことは、この通りだったのである。
「関係者」諸氏の釈明を ―― もし、あれば、であるが ―― ぜひとも、聴きたいものである。お願いしたい。
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