さまざまな報道がされるが、具体的な「対抗策」は、まったく、なに一つ、伝わってこない。関係機関は、どこ吹く風をよそおい、責任回避をしている風情だ。
今日にも、同様な事件が起きないとも限らない。不審者(とおもわれる)人物については、しばしば目にすることもある。この事件に「触発」されて、次が起こることも大いにありうることである。
関係機関に対策を要請しても、いつも通りに、「予算が、人員が、方法が...」の弁明が繰り返されるばかりであろう。そんな言い訳は、問題解決には何の役にも立たない。「お役人」は、遁辞を作成することに、時間と精力の大半を費やす存在であることを、看過してはならない。
あと少しの年月が経過すれば、日本では数千万人の労働人口が、不足する(とされている)。一人ひとりの学童・児童が、今や、珠玉にもまして貴重な存在なのだ。
さあ、ここはみんなで守ろう!
老人よ、道に立とう
「視線」が子どもを守る
視線が連続するチェーンを作ろう
登下校時、学童・児童が通過するすべての路線・時間帯を把握し、そのすべてにおいて「視線」でカバーすべきである。それだけで、まずは防ぐことが可能だろう。そこで、今すぐ、展開できる「作戦」は何か? 今すぐに動員できる人員とは?
とにかく、緊急に展開する必要がある。犯罪者は、次をねらっているぞ。
そう、家々には、現役を引退して「老後」をおくる人々がいるはずだ。この経験豊かな世代に、このたびは、第一線に出ることをお願いしよう。
何もせずとも通学路を「もれなく」、「視線」でカバー
何もせずとも、通学路を「もれなく」、「視線」で、つなぎ、カバーするだけで、いいのだ。万一、何か起こったら携帯電話で、110番通報するだけでじゅうぶんだ。間違っていても、「お巡りさん」から叱られることはない。
この「存在」じたいが、絶大な抑止力になるのだ。
一般に、犯罪者がもっとも忌み嫌うのは、人間の「視線」だ。「ドライブ・レコーダー」はただ記録するだけで、ネガティブな抑止力はあるが、即応性はまったくない。
行き帰りに、街かど、農道を歩くと、つぎつぎに「おじいちゃん」「おばーちゃん」に出会い、声をかけてくれ、あいさつができる。考えただけで楽しい毎日となろう。それは子どものがわだけではなかろう。「おじいちゃん」「おばーちゃん」がわも、毎日が楽しいだろう。
この環境は「不審者」がもっとも忌み嫌い、次なる同様な犯罪のもっとも効果的な防止策だ。
さあ、起て、シニア世代よ ― 安楽を捨てて、街に出よう!
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