でご登場の「スイス在住のある世界的に著名な科学史研究者」のご高説を拝聴しよう。
われわれ日本人は、なぜ英語ができないのか ―― その2
日本だけが反対方向へ向かった ―― 「解体新書」とその方法論
『解体新書』をご存知だろうか。
江戸期、鎖国している時期にオランダ語から翻訳された解剖学の医学書である。この本、実は原著はドイツ語で刊行され、オランダ語版はいわば「海賊版」だったのである。オランダ商人からフッかけられて大枚な値段で買わされた、きわめて怪しげな文献だった。
あの科学史先生がのたまうには、日本の科学、文化はこの書籍、さらにその後の科学技術に対しても、世界の他の文化国家が一様にたどった歴史的経緯とはまったく反対の、とんでもない、あらぬ方向へ向かった、という。
世界標準では、このような圧倒的な力量をもった文物・文献が目の前に現れれば、それを研究するために、その言語に向かう、つまり先ずはその言語を習得する、さらに自己の文化圏内にその人口を増加させ、対象とする言語と一体化することによって、その文化・技術をわがものとする ―― この方向へ向かう。
しかるに、あろうことか、日本ではそうはならず、ひたすらそれを日本語化することによって、わがものとしようとした。 したがって 『解体新書』導入時において日本語に存在しない述語・専門用語、たとえば、骨・筋肉の一つひとつに付けられた、ラテン語の学術用語としての名称、ぼう大な数であるが、これに、いちいち日本語の漢字表記の述語を考案して名付けていった。
翻訳した杉田玄白・前野良沢らはこの労苦を
櫂(かい)や舵(かじ)の無い船で大海に乗り出したよう...であると形容した。ふつうに「翻訳」と現代のわれわれが考える作業量の数十倍、いや数百倍であったろう。そして明治期以降も、この作業は多くの他の分野の専門書・技術書に対しても、連綿として続けられたのである。
しかもこの「解体新書・日本語版」は、なんと、古色蒼然(こしょくそうぜん=古めかしい)たる「漢文」で書かれていた。この時期、日本語の正式の文書とは、漢文だった。
吉田松蔭が、黒船として浦賀に来航したポーハタン号に国禁を犯して乗り込み、その乗員と筆談したとき、『漢文』で行ったことを想起してほしい。(松蔭は英会話ができなかったとされている) 「学術書」やあらたまった文書は漢文でしるさなければならないというのが、その当時の通例だった。
つまり、当時「最新科学情報」であるはずの医学書の刊行が、ああ!なんと、千年以上も前の「古式にのっとって」行われたのである。
そして、かの科学史先生は、いずれにせよ、これこそが、この方式こそが、
- ぼう大な無駄と徒労で、まったく無意味
- 日本人が英語ができない、決定的で持続的な原因・理由を確立した
つまり、日本は、英語など外国語の世界に入っていくことをせず、日本語のなかに、複製あるいはイルージョンを作ったと批判しているのである。とにかくこれが、
- 世界の文明国の歴史に類例が存在しない
- 第二次大戦で孤立し敗北
想起してみるがいい。ローマ時代、ガリア人が、ローマの文物をガリアの現地語に翻訳して流布した例があっただろうか、そんなときは、みんなラテン語を学んでそれでそれを勉強したのだよ、という。それが学問というものだ、と...。
いずれにせよ、それ以降、すべての欧米からの科学技術情報やその他の分野の学問情報の移入は、この方式で行われた。 これが決定的な運命の分かれ目だったといえる。
そして、やや雑駁(ざっぱく)に言ってしまえば、日本ではこの方式が「日露戦争」に間に合った。ロシアを撃破できたことは、この方式が間違いではなかったことの何よりの証左であった(と、当時は考えられたのだろう)。
原爆の存在を予想すらできなかった、日本の最優秀の参謀
開戦に際しては『真珠湾攻撃』の攻撃隊隊長をつとめ、その後は、巧緻(こうち)をつくした作戦といわれ、マッカーサーを捕虜にしたかも知れないといわれた『捷一号作戦』を、参謀として策定した、きわめて真面目で真摯で優秀な軍人がいた。海軍大佐、淵田美津雄である。
しかしこの人物は、広島・長崎に原爆が投下されたとき、その物理学的な『原子力』の知識の片鱗すら持っていなかったと、戦後、述懐している。海軍総隊、および連合艦隊の参謀ともあろうものが、である。
敵が作っているであろう新兵器について、たんにその実戦配備を予想できなかったばかりではなく、その存在の可能性を想像することすらできなかったのだ。
日本における『専門家』とは、つねに、このパターンを踏襲する。自らの専門性ゆえに、そのわずか1センチとなりに位置する、あるいは、その先にある、より本来的で本質的な目的性が視野に入らず、それにより、自らのレゾン・デートル(存在理由)を見失うのだ。
『優秀な参謀』を自認するなら、原爆の可能性について言及し、対策をたてるべきであったろうし、そもそも、無謀で勝ち目のない戦争であることを提言すべきであった。敵が何をやっているかについて何の知見もなく、こちら側の価値基準のみで戦争しているという、お粗末きわまるありさまだったわけである。
つまり、淵田参謀が戦っていた「敵」 は、現実の「敵」とは、まったく乖離(かいり)していたのである。さらにまた、淵田とそのスタッフが、生(なま)の英語で敵側情報を同時進行的に解析していれば、原爆の存在を知ることができ、その時点で降伏することもできただろう。
日本における英語環境、英語教育は、完全にこのパターンを踏襲していると言える。
本来的で本質的な目的性について、全世界から旺盛な要求を突き付けられていながら、それが見えない、まったく見ようとしないのだ。
「国際的な英語教育...」を標榜する連中が、それが世界的な物笑いの対象となっていることが、まったく見えないのだ。
英文解釈、英文法、英作文に固執し、その技術を偏差値化することに没頭し、英語教育の本来の存在理由を否定をしてはばからない、というわけである。
この「受験産業」の「商売道具」としての「英語」を、21世紀にもなって、いつまで、続けるつもりなのか。つまり、今や世界中で共通語として飛び交っている「英語」と、現実に学習すべき対象としての「英語」が、完全に乖離していることが理解できないのだ。そして、世にもめずらしい、世界的にも珍無類、「英語ができない英語教師」が、学校で堂々と英語を教えるということになるのである。
淵田参謀が戦っていた「敵」と、現実の「敵」が、乖離していたごとくである。
ある日本のコメンテータは、こういう。ネイティブが話す英語で
- we can
- weekend
ただ、わずかな相違を聞き分けることは、ネイティブでも難しいらしい。前後の脈絡で判断しているにすぎない(らしい)。こういうことは、英語ができる、できないの本質的問題ではないのだが...。
奥行きはあるが幅がない近視眼的思考
さらに加えて、日本は科学技術において、日本語で、世界標準を凌駕しつつある ―― この確信が運命の分かれ目だった。いわゆる「高度経済成長」のときである。
しかし、この方式が『世界標準』でないことは、はっきりと何度でも強調しておこう。その是非の判断は、賢明なる読者諸氏におまかせする。
しかし、日本がおちいりやすい行動様式として、なにゆえ、「袋小路 dead end」におちいるのかは、今後も大いに反省と研究の余地がある。
LED技術を基礎にした液晶テレビは、日本のメーカーが世界をリードした。しかし、今はその勢いは片鱗もない。
「ウォークマン」で世界を凌駕したメーカーが、なぜ、その次世代の i-Tuneやi-Phoneを作れなかったのか。世界最大の口径をもつ戦艦を作る技術が、なぜ、航空戦を想定することができなかったのか。これを挙げれば、数限りない。
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