欧米諸国、日本に「慰安婦問題」を絶対に認めてほしくはない
本稿では、いわゆる「慰安婦問題」の真偽や是非を論じることはしない。
ここで考察したいのは、その議論をめぐって、最近は欧米のさまざまな識者らが某国の主張を問題、もしくは、やり過ぎとして「日本に味方」しているかのような考え方の背景 ― ここに存在する世界史的問題についてである。
欧米がなぜ日本のことを心配してくれるのか
しかし、彼ら欧米諸国は決して日本のことを心配してくれるほどのお人好しではない。では、なぜか? なぜ、彼ら欧米諸国は日本の肩を持つのか? それは彼らの国家利益と大きく関係しているからである。近世の世界史をもう一度、さめた眼で見てみると
ヨーロッパへ旅行すれば見ることができる、壮麗な建築物、教会の大伽藍。たとえば、ほとんど国内に産業らしい産業などが存在しないオランダの街並みが、なぜあのような華麗な建築物に満ちているのか。これらを社会経済史的に見て、どうなっているのかと考えたことはないだろうか。欧米は、とりわけ大航海時代以降、世界に進出して植民地獲得に狂奔し、そこでは侵略を正当化するため、あらゆる悪徳と不正が行われた。したがって欧米諸国は、日本が「慰安婦問題」を認めて謝罪するときわめて困難な立場に立たされることになるのである。
それら欧米植民地については、今やすべて歴史の彼方の物語とされていて、しいていえば「時効」である。
日本の謝罪外交がもたらす恐怖のシナリオ
ところが、もし今後も日本が某国の要求に応じ、「賠償金」を支払い続けるのであれば、同様な論拠と理由で植民地支配や侵攻における戦乱、さらにそれにともなった破壊、殺人、暴行、そしてそもそもの搾取にたいし「賠償」しなければならない「前例」が確立することになる。これら植民地支配にともなう損失が、補償、賠償の対象とすることが正当であると仮定すれば、それは想像を絶するぼう大な金額となろう。
なぜならば、世界史をひもとけば容易にわかるが、欧米が過去数百年にわたり、アジア、アフリカ、北米、南米に対して行ってきた侵略と暴虐、そして収奪、搾取の歴史は言語に絶する過酷なものであって、たとえ日本による「慰安婦問題」が某国の主張通りであったとしても、それとは比較をはるかに絶する、はるかにケタのスケールが違う、ぼう大な件数と量だからである。
日本が世界紛争の導火線に火をつける
つまり、日本は、これらの植民地支配被害国が行うかもしれない「主張」がかろうじて鎮静化しているという危うい均衡の状況にある現代において、あろうことかこの均衡を破り、いわば地獄のカマのフタを開くこれを実行しようとしているのである。「慰安婦問題」の補償をおこなうことによって。
いったん「フタ」が開いてしまえば、世界中の植民地被支配経験国が一斉に補償の要求を、旧宗主国に対し行うであろうし、要求された側はこれに絶対に応じることはないであろう。そもそも応じようにも、支払うための原資など、今さらどこにもありはしない。
ではどうなるか。この際限のない「補償」をめぐっての、際限のない議論が開始されるであろう。さらにこの応酬が続くうちに過激派的な勢力が成長し、格好の根拠として自己正当化を行い活動を開始するであろう。
第三次世界大戦が始まるのか
これはもう、ほとんど、多数の国々を巻き込んだ新たな「第三次世界大戦」の招来である。この恐怖のシナリオが開始された世界を想像してみよう。そうなればもう世界の崩壊である。
問題だったのは、ここまでのシナリオを想像すらできなかった日本の政治家の力量と定見のなさである。
誠意をもって謝罪すれば相手はその誠意を受け止め、感謝をもって受け入れるに違いないなどという感傷的な楽観主義。国際政治の現実は、そのように甘いものではなく、楽観的ではない。
現実に某国は日本の謝罪が行われるたびに、「ゆるし」の「しきい値」をつり上げ、どこまでやっても際限がない。これこそが国際政治の現実であって、日本の政治家の政治感覚が間違っているのである。
そしてこれが、今こそ決定的に重大な結果をもたらそうとしている。
つまり、「平和国家」であるはずの日本が、第三次大戦勃発の引き金に「ユビ」をかけているのである。ああ、なんたる皮肉であろうか。そして気がついてみれば、これは「いつか来た道」だった。
大東亜戦争は植民地開放戦争だったはず、それが...
大東亜戦争(太平洋戦争)のそもそもの戦争目的とは、アジアの植民地開放ではなかったか。
先の大戦では、欧米からの輸入に依存していた日本の基本的かつ必要不可欠な物資が、戦略物資として貿易による供給が停止され、日本は開戦せざるをえなくなった。
そこで日本は、そもそもこれら資源供給源を欧米が抑えていること自体が問題であるとして、植民地となっていたアジア資源供給地である植民地を「開放する」ことを旗印とした。資源供給を求めての生存をかけての戦いだった。
たとえば、インドネシアは350年前に進駐したオランダにより植民地となった。インドネシアが独立したのは、第二次大戦終了後にすぎない。その間、収奪され続けたわけであり、インドネシアはまったく歴史が停止したままという状態だった。
この収奪による「未払い」を「決済」しようとすれば、まずその算定をめぐって激烈な議論となろうし、その総額がどうなるのかは想像もつかない。
これらはいづれも、日本と某国とのあいだにたとえ「慰安婦問題」が実際に存在したとしても、それとは比較を絶する期間と規模と苛酷さをもって行われたからである。
これこそが、日本により「地獄のかまのフタが開かれる」というゆえんである。