2018/05/21

学童を守護せよ!-起て!老いたる者よ、今すぐ通学路で子どもを守れ!

新潟で痛ましい事件が起きた。どうしてあの子を守れなかっただろう。残念でならない。あの長い通学路を、たったひとりで歩いていたと思うと悲痛なおもいにかられ、いたたまれない。

さまざまな報道がされるが、具体的な「対抗策」は、まったく、なに一つ、伝わってこない。関係機関は、どこ吹く風をよそおい、責任回避をしている風情だ。

今日にも、同様な事件が起きないとも限らない。不審者(とおもわれる)人物については、しばしば目にすることもある。この事件に「触発」されて、次が起こることも大いにありうることである。

関係機関に対策を要請しても、いつも通りに、「予算が、人員が、方法が...」の弁明が繰り返されるばかりであろう。そんな言い訳は、問題解決には何の役にも立たない。「お役人」は、遁辞を作成することに、時間と精力の大半を費やす存在であることを、看過してはならない。

あと少しの年月が経過すれば、日本では数千万人の労働人口が、不足する(とされている)。一人ひとりの学童・児童が、今や、珠玉にもまして貴重な存在なのだ。

さあ、ここはみんなで守ろう!

老人よ、道に立とう

「視線」が子どもを守る

視線が連続するチェーンを作ろう

登下校時、学童・児童が通過するすべての路線・時間帯を把握し、そのすべてにおいて「視線」でカバーすべきである。それだけで、まずは防ぐことが可能だろう。

そこで、今すぐ、展開できる「作戦」は何か? 今すぐに動員できる人員とは? 

とにかく、緊急に展開する必要がある。犯罪者は、次をねらっているぞ。

そう、家々には、現役を引退して「老後」をおくる人々がいるはずだ。この経験豊かな世代に、このたびは、第一線に出ることをお願いしよう。

何もせずとも通学路を「もれなく」、「視線」でカバー

何もせずとも、通学路を「もれなく」、「視線」で、つなぎ、カバーするだけで、いいのだ。

万一、何か起こったら携帯電話で、110番通報するだけでじゅうぶんだ。間違っていても、「お巡りさん」から叱られることはない。

この「存在」じたいが、絶大な抑止力になるのだ。

一般に、犯罪者がもっとも忌み嫌うのは、人間の「視線」だ。「ドライブ・レコーダー」はただ記録するだけで、ネガティブな抑止力はあるが、即応性はまったくない。

行き帰りに、街かど、農道を歩くと、つぎつぎに「おじいちゃん」「おばーちゃん」に出会い、声をかけてくれ、あいさつができる。考えただけで楽しい毎日となろう。それは子どものがわだけではなかろう。「おじいちゃん」「おばーちゃん」がわも、毎日が楽しいだろう。

この環境は「不審者」がもっとも忌み嫌い、次なる同様な犯罪のもっとも効果的な防止策だ。

さあ、起て、シニア世代よ ― 安楽を捨てて、街に出よう!




2018/05/18

ああ!記者クラブ ― この驚愕の存在

ああ堂々の記者会見

ほんとうは「記者会見」ではなく「記者クラブ会見」

日本のすべての官庁・役所などには広報を担当する部署、たとえば「広報課」があって対外発表などの文書・資料はそこで作成・発表される。

問題なのは、その発表の方法である。

ああ、近世以前の...

ところが、それを受け取るのは国民や市民ではなく、なんと、あろうことか、21世紀にもなったにもかかわらず、特定の「御用商人」だけなのである。あたかも安物の時代劇にあるドラマ仕立ての前時代的な構造が、現在でも、昨日も、今日も、明後日も、この日本では連綿と持続して行われているのである。

日本では16世紀の後半ころには「楽市・楽座」政策が、織田信長などの戦国大名によって実行されて特定のギルドなどの市場独占を防ぎ、これにより円滑な経済政策をとることができた。当然、市場は活性化し、市中はにぎわった。

しかし、この「記者クラブ」は21世紀にもかかわらず、なんと、織田政権以前の前時代的なことを行っているわけである。世界に冠たる抱腹絶倒の事実である。が、しかし、事実を知れば、腹を抱えてわらっている場合でないことがわかる。報道各社は近代ではなく、中世に生きているのだ。

省庁、地方自治体、有力大学などが行う記者会見に出席し、資料を受け取り、質議応答に参加できるのは、「記者クラブ」加盟の報道各社に厳密に限定されているのだ。

つまり、「記者会見」ではなく、「記者クラブ・会見」なのである。

質議応答の多くは静粛におこなわれ、報道各社からの記者諸君は、それはもう、きわめて紳士的におだやかな対応に終始する。記者諸君はなぜ「静粛」なのか。それは、ある作業でご多忙だからだ。発表者が着席し、ほんの一語でも発言を開始すると、ほとんどの記者は即座にパソコンで入力を開始する。「締切」に間に合わせなければならないから、余計なことを考えたり発言したりする余裕など、あろうはずはない。「速記者」さながらにただひたすらに入力する。

なぜこうなったのか

そこにいるのは「気鋭のジャーナリスト」ではなく、ただの入力屋さん

発表者の一言ごとに、キーボード特有の、パシャパシャ、パシャパシャという低い音が追随して響くのみで、もし外部の一般の人々がこの様子を目撃すれば、その異様さに息をのまれるにちがいない。

たかがノートパソコンの微弱な操作音とはいえ、何十台ともなればその音量は異様である。

ああ、なんと、ご気楽な仕事であろうか。彼ら報道各社には、あの戦争での300万人の戦死者も、原発事故も、たんなる取材項目、いや入力原稿でしかない。もれなく入力して送稿するだけだ。

こんなことは他の欧米先進国の記者会見でも行われていると読者諸氏は考えるかもしれないが、それは、まったく違う。この状況は、ほぼ、日本独特の異様なことであることを知っておいてほしい。

ヨーロッパの某国で毎年行われる、著名で晴れがましい行事の該当者の選定について、その記者発表会場で、ただひたすらノートパソコンに向かって入力しているのは、日本からの記者のみである。

主催した発表機関側のスタッフは、下を向いて異様なキーボード音をあげるのみの集団に当惑ぎみだが、これがいかに異様なことなのかさえ、その日本からの記者らはまったく無頓着で素知らぬ風情だ。その異常さ加減は、世界の物笑いの対象になっているにもかかわらず...。

そして、彼らは全能感にひたり、無誤謬性 infarabiraty を確信してはばからない。ちなみに、この無誤謬性infarabiratyという言葉、この語彙(ごい)は、ヨーロッパでは「ローマ法王」のみを指す語彙として、歴史的に使われてきた。日本では、なんと「メディア法王」なのだ。

あの戦争は

かつて、戦争を煽ったのはだれであったか。新聞だった。

つまりは、発表機関側が、
「越後屋、おぬしもワルよ、のおぅ...」
と言い、御用商人が
「いえいえ、お殿様もなかなかなもので...」
とやりとりするような、こんな悪だくみをしているのではない。そんな度胸や度量、腹がすわった輩などどこにもいない ― チープで薄ぺらな連中ばかり。

何も考えず、ただただ正確に素早く入力しているだけなのだ。鋭い舌鋒も、深い洞察力も無用だ。つっこんだ質問などなおさら余計だ。ああ、面倒くさい、さっさと終わらせよう、と...。

想起するに、こんなことも...

ながらく続いた日中戦争のあげくに、日本は、なんとあろうことか米英を相手に戦争を始めた。この事実を、もし当時の良識と見識ある普通の市民が発表の現場に居合わせて聞いたとすれば、瞠目(どうもく)して言ったであろう ―― 正気ですか、あなた方は? ―― と。

当時のちょっと勉強している小中学生ですら、これをいきなり聞けば「勝ち目がないのに、なぜ?」と思ったに違いない。そして、この「判断」は正しい判断だったに違いない。

いや、当時の日本国民は戦争を望んでいた、という見方もある。しかし、出征した夫や息子の戦死の知らせが多くなるにつれ、国民のあいだに厭戦気分がまん延していたのは事実である。これを覆い隠し、戦争をあおったのが当時の新聞報道なのだ。

日本で重厚な真のジャーナリズムが育たなかったのは、きわめて残念であり、幾多の罪過を残してきた。

戦争を煽り、世をその惨禍に追いやり、負けると今度は自分たちだけは『良識』を装い、戦い破れ、ボロボロになった連中をたたく――これがその常とう手段。みんなペラペラの軽さ、変節ぶり。

そして、これらの正しい判断を封じるのが、今も行われている「記者会見」なのである。

なぜならば、出席の「記者」諸君は、これらの発表された記者会見資料を、ただひたすら受け流すのが仕事だと確信しているからである。

霞ヶ関という一等地にある省庁の建物の、見渡すかぎりの皇居の緑地に包まれ、見晴らしのよい最上階付近にデスクを与えられて、悠然とかまえることができれば、人間はだれしも全能感に包まれよう。ああ、オレは選りすぐりの報道機関の、選りすぐりの「記者」なのだ、と。

その記者クラブ室とは、税金を投入して作られた庁舎において冷暖房完備のうえ、「賃貸料・使用料」は無料。国家ぐるみの贈収賄である。これでは、何があろうと批判的に書くことなど、到底できはしない。御用新聞と成り下がるのは、当然であろう。こうして、すべての「新聞」は政府機関の広報紙となっているのである。日本のメディアは、なんと、今も、あの「大本営発表」の時代のそのままのスタンスで報道を行っているのである。

試しに「記者クラブ」の「記者室」へ行って、
ここのお家賃は、おいくらなのですかぁ~? さぞかし、お高いのでしょうねぇ~
などと、とぼけて、なるべく大声で、聞いてみるがいい。彼らは瞬時に、顔色が変わる。それは、後ろめたいからに他ならない。なぜなら、このことは諸法令に抵触していることは言うまでもないことだからだ。

そして、国家機関にとって、飼い慣らし、餌付けされた家畜となった「報道各社」を誑かす(たぶらかす)くらい、たやすいことはあるまい。なぜなら、挙げて「御用新聞」となっているのだから。


原発はどうなる


原発について、その安全性を省庁と一緒になって宣伝してまわったのは、どの報道機関だったか。

国家の命運、人間の生命にかかわるような重大事を、このようなあまりにも滑稽な構造に委ねておいてよいものか ―― 本稿では、これを問いたいのだ。

原発の問題は、明白に適切で充分な説明が行われていない。とりわけ、安全性においては、ほとんど「虚偽」がまかり通っているが、これを告発しようとするメディアは存在しない。

この尊大さ


ちなみに、日本記者クラブは、なんと、英語名称をJapan National Press Club と詐称している。

 national という語彙には、
  1. 国の、国家の、国家的な
  2. 国民の、国民的な
  3. 全国的な
  4. 国立の、国営の
  5. 愛国的な、国家主義的な
という意味がある。いったい、いつから、国営になったのか。いつ、いかなる方法で、どのような手続きをへて「国民の、国民的な」機関となったのか。彼らは「国の」機関であることを誇示したいのだ。

なんという不見識であろうか。尊大にも、ほどがあろう。彼らの「常識」の異常さかげんが、ここに、いかんなく表現されている。


2018/05/08

原発を今すぐ停止しなければならない最大の理由

大津波! 原発を今すぐ何とかしろ!

浜松原発を「パラムシル島」級の津波が直撃したらどうなるか、専門家諸君よ、今すぐ答えてほしい。

慰霊の日だった今年(2018年)3月11日はさまざまな報道がされた。それはそれで、有意義であっても、もっとも重要であって緊急な、迫りくる危機の問題を、あえて言及しないでいるようにさえ見える。

それは、近未来に必ずや発生する津波の直撃による、原発の崩壊・爆発である。

日本では、沿岸の低地に多くの原発が存在する。福島原発は、沿岸のただでさえ低い低地をさらに掘り下げて標高を低くして作られた。

つまり、福島原発は、なんとあろうことか、津波の襲来をまったく想定していなかったのである。想定できなかったのではなく、想定しなかったのである。まったく、身の毛がよだつような不気味な話である。
千年に一度の事象を想定して建設をすることはできない
これが、福島原発の事故が起きてから、建設の経緯を語る際に発せられた『言い訳』である。この科学者・技術者の良心・良識が微塵も感じられないコメント以外に、この迫りくる危機に対する何らの説明は存在しない。

あるというなら、見せてほしい。聴かせてほしい。

科学者、技術者の良心、良識はどこに

この『言い訳』は、断言するが、まったくのウソ、虚偽、デタラメである。科学者、技術者ともあろう者たちが、このような『ウソ』、語の正しい意味におけるデータ上の『虚言』を平然と公言するとは、何たる不埒(ふらち)さであろうか。

大本営発表 ―― こんなメディアも、もういらない

そして、その不埒な記者発表を、無批判にただひたすらに報じた報道機関の無責任さには、言語を失うありさまだ。

戦後になり、多くのいわゆる「進歩派」の知識人が戦前・戦中の報道機関のあり方を批判した。
大本営発表
という語句はそのあまりの虚言ぶりを揶揄(やゆ)するセリフとして、人口に膾炙(かいしゃ)した(=大いに語られた)。しかし、今回のこれは、それをはるかに上回る大罪であろう。

メディアの連中よ、もう、「記者クラブ」を捨てて、街に出ようぜ。良識に基いて記事を書く ―― これをやってほしい。

はっきり言っておくが、福島原発事故は、原子炉が破損してヒビが入り、放射能を少々「漏らした」、つまりほんの少しだけ「おもらし」した程度にすぎない。それでもこれだけの大事故だ。

地獄のかまのフタが開く

しかしここで言及する原発事故とは、原子炉(複数、おそらく多数の)が完全に爆発し、破壊されて四散し、大気中に危険物質を大量に拡散するということだ。まさに、語句が意味する通りに『地獄のかまのフタが開く』のである。日本列島は完全に死の島となり、さらにその惨害は近隣諸国、いや、地球全体に及ぶであろう。

千島列島には、第二次大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)が終結して7年後、1952年(昭和27年)、巨大津波が襲来している。千島列島の北端に近く、比較的人口が多かったパラムシル島ではこの時、人口の半数が繰り返し来襲した津波で死亡し、沿岸施設はすべて完全に破壊された。

パラムシル島に、当時「原発」が実在していれば、当然なことに、大事故となったはずだ。

福島原発の建設のための調査が開始されたのは、1958年、パラムシル島の惨劇からわずか6年後である。

この事実が意味するところは、はたして何か? 

そして、これがなぜ、同じ列島線上にならぶ日本列島には起こらないと断言できたのであろうか。日本列島の沿岸の多くの地点が、浜松に限らず、同じ運命にある。

現時点において、この問いかけに、責任ある立場からの回答・説明はまったくない。恐ろしい状況である。

あらためて、繰り返し言及すると、ここで言及する『地震』『津波』は、これだけでも大変な状況である。

しかし、『原発事故』 ―― これは、もう、比較を絶する危険度を有するということである。逃げ場所はこの惑星上のどこにもない。


2018/05/02

日本、英語ができない最大の理由

さらに再び、前節 
でご登場の「スイス在住のある世界的に著名な科学史研究者」のご高説を拝聴しよう。

われわれ日本人は、なぜ英語ができないのか ―― その2

日本だけが反対方向へ向かった ―― 「解体新書」とその方法論


『解体新書』をご存知だろうか。

江戸期、鎖国している時期にオランダ語から翻訳された解剖学の医学書である。この本、実は原著はドイツ語で刊行され、オランダ語版はいわば「海賊版」だったのである。オランダ商人からフッかけられて大枚な値段で買わされた、きわめて怪しげな文献だった。

あの科学史先生がのたまうには、日本の科学、文化はこの書籍、さらにその後の科学技術に対しても、世界の他の文化国家が一様にたどった歴史的経緯とはまったく反対の、とんでもない、あらぬ方向へ向かった、という。

世界標準では、このような圧倒的な力量をもった文物・文献が目の前に現れれば、それを研究するために、その言語に向かう、つまり先ずはその言語を習得する、さらに自己の文化圏内にその人口を増加させ、対象とする言語と一体化することによって、その文化・技術をわがものとする ―― この方向へ向かう。

しかるに、あろうことか、日本ではそうはならず、ひたすらそれを日本語化することによって、わがものとしようとした。 したがって 『解体新書』導入時において日本語に存在しない述語・専門用語、たとえば、骨・筋肉の一つひとつに付けられた、ラテン語の学術用語としての名称、ぼう大な数であるが、これに、いちいち日本語の漢字表記の述語を考案して名付けていった。

翻訳した杉田玄白・前野良沢らはこの労苦を
櫂(かい)や舵(かじ)の無い船で大海に乗り出したよう...
であると形容した。ふつうに「翻訳」と現代のわれわれが考える作業量の数十倍、いや数百倍であったろう。そして明治期以降も、この作業は多くの他の分野の専門書・技術書に対しても、連綿として続けられたのである。

しかもこの「解体新書・日本語版」は、なんと、古色蒼然(こしょくそうぜん=古めかしい)たる「漢文」で書かれていた。この時期、日本語の正式の文書とは、漢文だった。

吉田松蔭が、黒船として浦賀に来航したポーハタン号に国禁を犯して乗り込み、その乗員と筆談したとき、『漢文』で行ったことを想起してほしい。(松蔭は英会話ができなかったとされている) 「学術書」やあらたまった文書は漢文でしるさなければならないというのが、その当時の通例だった。

つまり、当時「最新科学情報」であるはずの医学書の刊行が、ああ!なんと、千年以上も前の「古式にのっとって」行われたのである。

そして、かの科学史先生は、いずれにせよ、これこそが、この方式こそが、
  • ぼう大な無駄と徒労で、まったく無意味
  • 日本人が英語ができない、決定的で持続的な原因・理由を確立した
と批判する。

つまり、日本は、英語など外国語の世界に入っていくことをせず、日本語のなかに、複製あるいはイルージョンを作ったと批判しているのである。とにかくこれが、
  • 世界の文明国の歴史に類例が存在しない
としている。それだけではなく、その後、このことにより国際的な孤立をまねき、
  • 第二次大戦で孤立し敗北
につながったと断言する。(これらの是非についてはここでは論じない。将来、別稿で書くとしよう)

想起してみるがいい。ローマ時代、ガリア人が、ローマの文物をガリアの現地語に翻訳して流布した例があっただろうか、そんなときは、みんなラテン語を学んでそれでそれを勉強したのだよ、という。それが学問というものだ、と...。

いずれにせよ、それ以降、すべての欧米からの科学技術情報やその他の分野の学問情報の移入は、この方式で行われた。 これが決定的な運命の分かれ目だったといえる。

そして、やや雑駁(ざっぱく)に言ってしまえば、日本ではこの方式が「日露戦争」に間に合った。ロシアを撃破できたことは、この方式が間違いではなかったことの何よりの証左であった(と、当時は考えられたのだろう)。


原爆の存在を予想すらできなかった、日本の最優秀の参謀


開戦に際しては『真珠湾攻撃』の攻撃隊隊長をつとめ、その後は、巧緻(こうち)をつくした作戦といわれ、マッカーサーを捕虜にしたかも知れないといわれた『捷一号作戦』を、参謀として策定した、きわめて真面目で真摯で優秀な軍人がいた。海軍大佐、淵田美津雄である。

しかしこの人物は、広島・長崎に原爆が投下されたとき、その物理学的な『原子力』の知識の片鱗すら持っていなかったと、戦後、述懐している。海軍総隊、および連合艦隊の参謀ともあろうものが、である。

敵が作っているであろう新兵器について、たんにその実戦配備を予想できなかったばかりではなく、その存在の可能性を想像することすらできなかったのだ。

日本における『専門家』とは、つねに、このパターンを踏襲する。自らの専門性ゆえに、そのわずか1センチとなりに位置する、あるいは、その先にある、より本来的で本質的な目的性が視野に入らず、それにより、自らのレゾン・デートル(存在理由)を見失うのだ。

『優秀な参謀』を自認するなら、原爆の可能性について言及し、対策をたてるべきであったろうし、そもそも、無謀で勝ち目のない戦争であることを提言すべきであった。敵が何をやっているかについて何の知見もなく、こちら側の価値基準のみで戦争しているという、お粗末きわまるありさまだったわけである。

つまり、淵田参謀が戦っていた「敵」 は、現実の「敵」とは、まったく乖離(かいり)していたのである。さらにまた、淵田とそのスタッフが、生(なま)の英語で敵側情報を同時進行的に解析していれば、原爆の存在を知ることができ、その時点で降伏することもできただろう。

日本における英語環境、英語教育は、完全にこのパターンを踏襲していると言える。

本来的で本質的な目的性について、全世界から旺盛な要求を突き付けられていながら、それが見えない、まったく見ようとしないのだ。

「国際的な英語教育...」を標榜する連中が、それが世界的な物笑いの対象となっていることが、まったく見えないのだ。

英文解釈、英文法、英作文に固執し、その技術を偏差値化することに没頭し、英語教育の本来の存在理由を否定をしてはばからない、というわけである。

この「受験産業」の「商売道具」としての「英語」を、21世紀にもなって、いつまで、続けるつもりなのか。つまり、今や世界中で共通語として飛び交っている「英語」と、現実に学習すべき対象としての「英語」が、完全に乖離していることが理解できないのだ。そして、世にもめずらしい、世界的にも珍無類、「英語ができない英語教師」が、学校で堂々と英語を教えるということになるのである。

淵田参謀が戦っていた「敵」と、現実の「敵」が、乖離していたごとくである。

ある日本のコメンテータは、こういう。ネイティブが話す英語で
  • we can
  • weekend
は、何度、聴いても判別ができない ―― と。

ただ、わずかな相違を聞き分けることは、ネイティブでも難しいらしい。前後の脈絡で判断しているにすぎない(らしい)。こういうことは、英語ができる、できないの本質的問題ではないのだが...。

奥行きはあるが幅がない近視眼的思考


さらに加えて、日本は科学技術において、日本語で、世界標準を凌駕しつつある ―― この確信が運命の分かれ目だった。いわゆる「高度経済成長」のときである。

しかし、この方式が『世界標準』でないことは、はっきりと何度でも強調しておこう。その是非の判断は、賢明なる読者諸氏におまかせする。

しかし、日本がおちいりやすい行動様式として、なにゆえ、「袋小路 dead end」におちいるのかは、今後も大いに反省と研究の余地がある。

LED技術を基礎にした液晶テレビは、日本のメーカーが世界をリードした。しかし、今はその勢いは片鱗もない。

「ウォークマン」で世界を凌駕したメーカーが、なぜ、その次世代の i-Tuneやi-Phoneを作れなかったのか。世界最大の口径をもつ戦艦を作る技術が、なぜ、航空戦を想定することができなかったのか。これを挙げれば、数限りない。