ラベル 地震 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 地震 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022/02/11

新幹線水没・原発放射能、そして学校火災

中学生のときの校舎火災

もう数十年も以前の古い話だ。学校祭の日だった。校舎は、L字形に展開する、二階建ての、嗚呼(ああ)、ため息が出るような、古色蒼然、古~い、オンボロの木造だ。

ふと、そのL字の内側から、向こう側のウイングの窓を見ると、窓から大量の煙が噴き出し、立ち上っている。状況は全くわからない。現実とは思えない不思議な光景に当惑する…こんなの見たことないぞ、と。

とにかく駆けつけなければ…と、行ってみる。と、なんと、床から立ち上った炎が垂直に天井まで届き、炎の先端は天井できれいに放射状に割れて、天井の大半をなめている。一見して、きわめて危険な大火災だ。周囲は無人で、何の音もしない。誰もいないし、放送での説明、避難指示などもない。ただ大きな火炎が垂直に火柱となって吹きあがっている。

夢の中の幻想を見るような、映画の一場面を見るような、遠い過去の思い出のような、なんとも言えない不思議な風景であり、見たこともない異様な美しさがあり、とても現実とは思えない。これがいったい何であるか、自分自身に納得させることができない、しばし見惚れるような、非現実的な、奇妙な現実だ。

が、ここまで見届けると、私は何らのためらいもなく、行動を開始した。事は急を要することはあまりにも明らかだった。一秒の無駄も、命とりだ。

同時、私は中学校の最上級生。意のごとく動かせる「手下」が何人もいて、平素からボス気取りだった。私の後を息を切らせて追ってきた、その手下どもに「どこからでいいから、消火器を、できるだけ沢山、集めて来い! 急げ、早くしろ!」と、命令。自分で引きずってきた一本は、すぐに出なくなる。火勢は、まったく止まない。「手下ども」は、「勝手にそんなことして消火器を開けたら、先生に叱られる。先生に聞いてからやっては ...」などと、まだ怪訝な風情だ。

どんな時にも、この種の間抜けな「慎重論」のようなことを、グダグダと言い出す輩がいるものである。ここで慎重になっていてどうなるというのだ! お利巧さんに、用はない。

そこで、一喝して「ダマレ!、うるさい! 馬鹿野郎!。 黙って言う通りにやれ! 俺が叱られてやる。いう通りにやらない奴はブッ飛ばすぞ!」と怒鳴る。それでも「探しに行ったけれど、見つからない」などと泣き言を言ってくる野郎がいる。いちいち、消火器が鎮座している場所を教えて「すぐに持って来なければ、ただではすまさないぞ、この野郎!」と脅迫し、慎重派をことごとく粉砕する。

やがて集ってきた消火器を次々と開栓。消火器20数本ほどでようやく制圧。鎮火。あたりは、消火器の残骸がゴロゴロして、なかなか壮観だ。

災害とはそもそも、こんなものだ。ここで、行動を一瞬でもためらっていれば、間違いなく校舎は全焼していた。とにかく、考えうる最善を尽くすのだ。これが男というものだ、と。

この間、たった一人の戦い、だった。何だか、うっとりするような話ではないか。男を挙げるのは、こんなときだ、と…、得意満面だった、が......。

ところがである。なんと、その後、あろうことか、驚くべきことに、私は、その功績を誉められるどころか、厳しく叱責されることとなった。全校生徒が避難指示に従い、整然と校庭に避難していたのに、たった一人だけ、参集しようとせず「馬鹿なお前は、またまた、勝手なことをしていた」ということで...。全員が避難して集合し、点呼して、アッ、あいつまた「どこかでフラフラしていた」トンデモない不埒(ふらち)なヤツだというわけだ。

まっ、このお叱りに対しては、腹のなかで「誰が火事を消したと思ってるんだ。やれたのなら、やって見せればよかっただろうに」と、胸をそらして昂然(こうぜん)として聞いていたが…。

ここで指摘したいのは、驚くべきことに、その時、教職員を含め、だれ一人、「消火しよう」と発想しなかったということだ。

また、そもそも学園祭の展示物のなかに、火を使い、それを見過ごしていたということの失態。そしてさらに、出火してからは「消火する」という発想に誰一人としてたどり着かなかったということだ。

想定外でした...本当に?

さて、ここからが本論。

本稿で指摘したいのは、あの水没した車両、水に浸かるまえに、現場の要員たちが高台に移動する発想がなぜできなかったのか ─ これだ(2019-10-13)。全車両が整然と水没している体たらくは、異様でさえある。そしてさらに驚愕するのは、「専門家」あるいは「関係者」諸氏がだれ一人、そのことを、事後であっても車両を退避させえたことを指摘すらせず、素知らぬ風情であることだ。損害額はいくらか知らぬが、甚大な金額となっていよう。

そしてまた、太平洋の海岸に「ツナミさん、どうぞ!」と言わんばかりに原発を並べておいて、津波が来襲したら、いったい、どうするつもりだったのだ。(福島第一原子力発電所事故、2011年3月11日)結局のところ、どうもできなかったわけであるが、こんなことでよいのか?

さらにまた、甲板上に爆弾・魚雷を搭載した航空機を大量に並べておいて、その瞬間に敵機が来て爆撃したら、どうするのか。(ミッドウェー海戦:昭和17年・1942年、6月5日~7日

想定外!ーこの何にでも効く特効薬、免罪符、言い訳? まさに「想定外」のオンパレードだ。

悲しいかな、日本の歴史にはこのような場面がいくつも見出だすことができる。損害額は、それぞれ、数千億円どころか、はるかな天文学的数字となるであろうが、このツケは、全て利用者、つまりは納税者としての国民に付け回しされるのである。

そして、これらの歴史的事件の関係者・当事者・専門家からは、今にいたるも、何らの説明や釈明、言い訳や、泣き言すらもない。

嗚呼(ああ)!

 

2018/06/04

福島原発事故-驚きの背景

原子力の研究機関、その監督官庁ともあろうものが...


「日本原子力研究開発機構」という官庁がある。

その機関がまだ
日本原子力研究所
と呼称されていたころ、東京にある、日比谷公園の近くの壮麗なビルの最上階近く、数フロアを使って、この機関の「本部」があった。

ああ、安楽の日々

そして、そこには目を疑う、驚くべき光景が広がっていた。

仕切りなどまったくない、大きなビル、ワンフロアの吹き抜けのオフィスに、この機関の大勢の係官たちがいた。

ところが、である。そのうちのほとんど全てが、業務時間中にもかかわらず、デスクが集まるいっかくの合間、合間にある、対面するソファーの長椅子 ―― ここにそれぞれ集い、手に手に「寿司屋」でお目にかかるような大きな湯のみ茶碗を持って、楽しそうに談笑、歓談しているのである。

デスクに向かい、仕事らしいことを行っている風情なのは ―― 探してみれば ―― 事務員風の女性たちのみ。率直に言って「えっ! 何、これは?」という風情...。

これが、業務の合間のたんなる「休憩」でないことは、やがて、誰であれ、容易に理解できたあろう。

なぜなら、いつも、いつその庁舎を訪ねても、同じ風景であるからだ。そう、つまり、彼らは何と、ほぼ一日中、連日、「休憩」していたのだ。ああ...。

士気の低下、モラルの崩壊、公的資金の無駄(いわゆる税金ドロボウ)は、言うまでもない。このような状況を許し、平然としていた体制とはいったい何であろうか。

あの「優秀な」記者諸君、メディア各社は、なぜ、国民にこのあ然とする体たらくを報道しなかったのだろう。

これが「原研(日本原子力研究所)」の実態だった。

そして津波が


彼らは、いったい、何をやっていたのであろうか。

この幾年かのちに、福島原発は津波に襲来され、その結果、放射能をまき散らし、近傍の地域は人間の住む場所としては壊滅した。

油断しきってまったく仕事らしい仕事をせず、彼らの士気の低下は明らかだった。これを知っている者としては、原発事故についての彼らのいかなる説明、釈明も、弁明も、未来永劫にいたるまで、絶対に信用するつもりはない。

悲しいかな、どうして、組織が、人間が、ここまで堕落できるものなのか...。

原発が、たかが「津波」で、あのようなお粗末な結末をむかえ、そして、その後の対応も、まったくできなかったとは、なんたることであろう。

日本列島は、50年ないし100年ごとに、大規模な地震・津波に襲われていた。これは太古の昔から変わるはなく、これからも、何度も、数十年ごとに、大規模な津波の襲来を受けるであろう。このことは、たんなる自然現象であって、地球という惑星のさまざまな活動の一つに過ぎない。

原発事故は、いつ起きても何の不思議もない。具体的には、海洋に面した原発だ。

なのに、彼らは漫然とノンキに「茶飲み話」に、うつつをぬかしていたである。

「専門家」としてこのような事態に対応するために、巨額の国家予算を費やして運営されてきた専門機関なのにもかかわらず、やっていたことは、この通りだったのである。

「関係者」諸氏の釈明を ―― もし、あれば、であるが ―― ぜひとも、聴きたいものである。お願いしたい。



2018/05/08

原発を今すぐ停止しなければならない最大の理由

大津波! 原発を今すぐ何とかしろ!

浜松原発を「パラムシル島」級の津波が直撃したらどうなるか、専門家諸君よ、今すぐ答えてほしい。

慰霊の日だった今年(2018年)3月11日はさまざまな報道がされた。それはそれで、有意義であっても、もっとも重要であって緊急な、迫りくる危機の問題を、あえて言及しないでいるようにさえ見える。

それは、近未来に必ずや発生する津波の直撃による、原発の崩壊・爆発である。

日本では、沿岸の低地に多くの原発が存在する。福島原発は、沿岸のただでさえ低い低地をさらに掘り下げて標高を低くして作られた。

つまり、福島原発は、なんとあろうことか、津波の襲来をまったく想定していなかったのである。想定できなかったのではなく、想定しなかったのである。まったく、身の毛がよだつような不気味な話である。
千年に一度の事象を想定して建設をすることはできない
これが、福島原発の事故が起きてから、建設の経緯を語る際に発せられた『言い訳』である。この科学者・技術者の良心・良識が微塵も感じられないコメント以外に、この迫りくる危機に対する何らの説明は存在しない。

あるというなら、見せてほしい。聴かせてほしい。

科学者、技術者の良心、良識はどこに

この『言い訳』は、断言するが、まったくのウソ、虚偽、デタラメである。科学者、技術者ともあろう者たちが、このような『ウソ』、語の正しい意味におけるデータ上の『虚言』を平然と公言するとは、何たる不埒(ふらち)さであろうか。

大本営発表 ―― こんなメディアも、もういらない

そして、その不埒な記者発表を、無批判にただひたすらに報じた報道機関の無責任さには、言語を失うありさまだ。

戦後になり、多くのいわゆる「進歩派」の知識人が戦前・戦中の報道機関のあり方を批判した。
大本営発表
という語句はそのあまりの虚言ぶりを揶揄(やゆ)するセリフとして、人口に膾炙(かいしゃ)した(=大いに語られた)。しかし、今回のこれは、それをはるかに上回る大罪であろう。

メディアの連中よ、もう、「記者クラブ」を捨てて、街に出ようぜ。良識に基いて記事を書く ―― これをやってほしい。

はっきり言っておくが、福島原発事故は、原子炉が破損してヒビが入り、放射能を少々「漏らした」、つまりほんの少しだけ「おもらし」した程度にすぎない。それでもこれだけの大事故だ。

地獄のかまのフタが開く

しかしここで言及する原発事故とは、原子炉(複数、おそらく多数の)が完全に爆発し、破壊されて四散し、大気中に危険物質を大量に拡散するということだ。まさに、語句が意味する通りに『地獄のかまのフタが開く』のである。日本列島は完全に死の島となり、さらにその惨害は近隣諸国、いや、地球全体に及ぶであろう。

千島列島には、第二次大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)が終結して7年後、1952年(昭和27年)、巨大津波が襲来している。千島列島の北端に近く、比較的人口が多かったパラムシル島ではこの時、人口の半数が繰り返し来襲した津波で死亡し、沿岸施設はすべて完全に破壊された。

パラムシル島に、当時「原発」が実在していれば、当然なことに、大事故となったはずだ。

福島原発の建設のための調査が開始されたのは、1958年、パラムシル島の惨劇からわずか6年後である。

この事実が意味するところは、はたして何か? 

そして、これがなぜ、同じ列島線上にならぶ日本列島には起こらないと断言できたのであろうか。日本列島の沿岸の多くの地点が、浜松に限らず、同じ運命にある。

現時点において、この問いかけに、責任ある立場からの回答・説明はまったくない。恐ろしい状況である。

あらためて、繰り返し言及すると、ここで言及する『地震』『津波』は、これだけでも大変な状況である。

しかし、『原発事故』 ―― これは、もう、比較を絶する危険度を有するということである。逃げ場所はこの惑星上のどこにもない。


2017/08/03

記者クラブ ― 日本をダメにする最悪のメディア集団

日本のメディア、本当のすがた


日本でただ一つ、天気・気象・地震火山をあつかう省庁が存在する。読者諸氏もよくお世話になっているはずのあの機関だ。

さて、このお役所、つい最近まで、毎日、夕方になると「飲み会」が庁舎内で盛大に行われていたのをご存知だろうか。

24時間3直勤務であり、年間を通じて業務に途切れがない ―― これが、庁舎内で飲み会をおこなわざるをえないのだ!という理由だった。それに、都心だから、ちょっと外に飲みに行っても、随分と高いし...。

連日、夕闇がせまるころ、庁舎一階のメイン・エントランスを入ると、各階の湯沸室で焼く、シシャモやアタリメなどの酒のサカナの臭いが立ち込めていたものだ。地下の「売店」が、20本入りのビール瓶ケースを各階のフロアへ、大きな台車を使って搬送するときの、独特のガシャンという音が、一日中、庁舎内に反響してこだましていた。各階の湯沸室には天井までビール瓶ケースがうず高く積まれ、翌朝にはそれが全てカラになる ―― これが毎日の繰り返しだった。

ある意味、アンニュイで平和な日々。これでいいではないか...。

ところがある日、ある所要で、とあるアメリカ人をともないこのお役所を、夕方、訪ね、一階エントランスを入ったとたん、この外人、驚愕していわく ――
この悪臭は何の臭いだ? エッ、飲み会? オードブルを焼いている?  一体、何のパーティーだ、仕事中ではないのか?
何をやっているんだ。ここは日本の政府機関ではないか! アメリカなら大問題になって、一斉に納税拒否が起きる。 アメリカの政府機関でこれをやれば、全員、間違いなくクビだ。
日本人は「クソ真面目」な連中と聞いていたのに、これは何だ。世界最低だ!
それに、オマエ、バカか! なんでこんなこと、だまっているんだ。
言っておくが、この外人さん、決して品行方正な人物ではなく、日本で立場を利用して数々の女性と問題を起こし、筆者も手を焼いていた不良外人。その彼がア然とする体たらくだったということだ。

ではなぜ、これが可能で、なぜまったく、一度として報道されることがなかったのか?

これぞ世界に悪名高き、記者クラブ制度


それは、この官庁には
〇〇省(庁)記者クラブ
という報道機関(新聞・通信社・テレビ各局 など)の組織があり、あろうことか、省庁の建物内に居候して(つまりは、なんと、家賃タダで居座って)、省庁とは親密な関係を仲良く保ち、「記者会見」に出席する権利を排他的に保有し、そこで報道資料の配布を受け、皆さん、不都合なことは質問・糾弾などせず、おだやかに紳士的にふるまっていたからだ。

そりゃ、そうでしょう。「おりこうさん」にしていないと、記者会見でプリントを配布してもらえないもの。

記者クラブに所属しない、いかなる団体も、上記の記者会見に出席できず、資料などの配布も受けられない。

毎晩の「(ないしょの)飲み会」など暴露しようものなら、大変なことになって、記者会見に出られなくなるもの...。この「飲み会」、いつから行われていたのか、文献を渉猟しても(探しても)見つからない。戦前から、ですかね...。

こんな状況では、地震も津波も、的確な予想などできるはずはない。

日本の政府機関が、こういう点でまったく異常なのは、批判する視点に立った指摘・報道、つまり、メディアのあるべき本来の活動が行われず、いわば、メディアが政府機関の「広報課」のような存在となっていることだ。

もう一つ、少し古いが、これまた驚愕の事例を述べておく。

昭和17年(1942年)、すでに太平洋戦争(大東亜戦争)が開始されていて、戦地では熾烈な戦闘が展開中だった。

その時期、『外交官交換』という各国間の取り決めにより、アメリカから中立国を経由して帰国した日本のある外交官(陸軍軍人:実松 譲 (さねまつ ゆずる:在米大使館付武官補佐官) )は、帰国早々のある夕方、霞ヶ関の陸軍省へ行ったところ、あろうことか、
六時に、陸軍省の灯りが消えていた。
と、なんと、驚愕の現実に直面して唖然とする。そして 日本の陸軍中枢がすっかり
サラリーマン化していた
と、批判している。そして、この体たらくが報道された事実は、一度として、存在しない。

それはなぜか? それはすべての報道が「大本営発表」に一元化されていたからだ。

つまりは、「記者クラブ」とは、「大本営発表」と同等の機能をもつ、諸悪の根源なのだ。

そしてさらに、ちょうど同じ時期、英国では国運を賭けた英独戦、いわゆるBattle of Britain(英国の戦い)の真っ最中であり、ロンドンは連日の激しい爆撃を受け、
戦時、ロンドン、財務省地下、チャーチルの戦争指導部は、六畳一間ほどの部屋、チャーチル以下、閣僚、参謀クラスが泊まり込みで戦時指導体制
となっていた、と実松 譲は指摘している。 これでは日本としては、勝てる戦いも負けようというもの。日本の新聞は、要するに「提灯記事」ばかり書いていたということだ。日本の三百万人におよぶ戦死者は、この陸軍中枢のこのご気楽加減・堕落ぶりを知れば、 地下において「安らかに眠る」ことなど到底できないであろう、に...。

現在も同時進行で、こんなことが起きているのであろう。

さらについでながら指摘しておくと、日本の帝国海軍では、艦船においては「酒保開ケ」の命令があって始めて「飲み会」が行われ、こっそり「飲み会」など、とんでもないことだった。「吉田満:戦艦大和ノ最期」に詳しくその描写がある。

どこもかしこも、記者クラブ


さらに、日本において最も著名な〇〇大学においても存在する。必要があって、資料をもらいに行っても
「配布対象社は、記者クラブ社だけです」
と、何度、門前払いで追っ払われたことか...。記者クラブの、優秀な報道各社の記者諸兄の心中を察するに:
配布されるプリントを文字に起こし、記事にすれば、仕事になるのである。ああ、なんと楽しげでラクな仕事であるか...。アンニュイで怠惰な日々、天下国家がどうなろうと知ったことではない ―― オレは正しく『資料』に基いて記事を書いている
ということなのだろう。

これではいけないと考えるが、記者クラブの諸兄よ、異論があるなら、受けて立とう、ぞ。


2014/04/03

日本で原発は是か非か ── [2] 南海トラフ地震で原発はどうなる

南海トラフ地震のシュミレーション


2014年3月11日、東北の地震・津波の慰霊の日、まだ悲しみが冷めやらないなか、各メディアは近い将来に予定される「南海トラフ地震」のシュミュレーションを 放映していた。

最大、34メートルの津波が押し寄せるであろうという想定でのさまざまなシュミュレーションは、息をのむリアルさで見る者を圧倒した。





そのとき原発はどうなる

このシュミレーションをなぜ公開しない 

しかし、いまかいまかと待っていながら、最後までどのメディアも放映しなかった(すべてを検証したわけではないでので、おそらく…)のは、そのとき、地震による激震とそれに続く巨大津波によって、原発がどのように破壊され、原子炉がどのように壊滅し、あるいは爆発し、そののち放射能がどのように拡散し、その後、さまざまな生命たちがどのように息絶えていくか ── これだった。

大地震、そしてそれに続く巨大津波は、たいへんな恐怖である。その惨禍は言語に絶するものとなろう。しかしこれらは一過性のものであり、その瞬間をかろうじて生き延びれば、何とか助かるということは想定できる。

しかし、高濃度の放射能が降ってくることに対しては、もう、われわれはなすすべがない。そして、その後、長期間、途方もない広範囲にわたり、死の地帯となるのである。

原発による発電がなければ産業が、日本経済が成り立たない ── そうであろう。

原発で発電しなければ二酸化炭素排出の問題に直面する ── そうであろう。

しかし、ここで論じている問題は、だれがどのように説明し、納得させてくれるのであろうか。

いわゆる「専門家」による驚愕のコメント

かつて、米国スリーマイル島の原発事故があってまだ年月が経過していないころ、この国でもっとも権威があるという大学の工学部で、この分野を直接に研究する学科の複数の研究者(教授)たち、この人たちをおいてほかに「専門家」というべき人材がいないという人物たちが、ふとあるときに述懐していた言い回しを、いまさらのように思い出す。

スリーマイル島の事故は不幸な事故であるが、技術的に、今の(つまり、当時の)日本よりはるかに劣っているから起きた事故だ。日本の原子力工学は、今や世界最高のレベルで、あのようなお粗末な事故は、絶対に起きない。この分野においては、日本は世界で独走態勢になっているよ...。
これからは日本が、世界のこの分野を引っ張って行かなくてはならない。技術や人材を供給するという意味で世界に貢献できることは多大だよ...。

これは、論文や技術文献に記されたことではなく、たんなる談話あるいは雑談であって、文献の仕分けとしては private talk にもならない、たんなる「お話」にすぎないのだが、そのときはその研究者たちが胸をそらせて語る自負を頼もしく感じたものだった。

思わず出た気の置けない「ホンネ」というところであろう。であるから、このコメントを、挙げ足取りのように、今になって『したり顔で批判するつもりなどさらさらないし、発言したご本人たちも、とっくに忘却しているであろう。

しかし今にして思うと、この言いまわし、どこかで同じようなことを聞いたことがあると思わざるをえない。

そう、世界に冠たる帝国陸海軍、波浪を蹴立てて海原を疾駆する鍛えぬいた艨艟(もうどう=海軍艦艇のこと)、世界最強攻撃精神に横溢した歩兵 ── これらは、まぎれもなくこの国でもっとも優秀とされたひとびとによって声高に唱えられ、そのときのほとんどの国民、政府機関における枢要な地位を占める官僚、そして帝国陸海軍の軍人たちは、こぞって、何の疑問もなくこのことを信じていた。

さらには、この「ひとびと」とは、かつて全国にあった旧制中学で、上から数えて何番以内の「優秀さ」で陸士、海兵(陸軍士官学校、海軍兵学校)に進学し、ときにはさらにその上に位置する、陸軍大学校、海軍大学校に進み、自信と栄誉につつまれ、胸をはって何の疑いもなく大日本帝国陸海軍が世界最強であると信じていたのである。

これが大いなる幻想だったことは、悲しいことに、今や周知のとおりである。

残されたのは、300万人の戦死者、そのほとんどは今なお現地に放置・残置・捨てられたままであり、さらには、ほとんどアジア・太平洋全域にわたる戦禍の跡、国内の主要なあらゆる都市が徹底的に爆撃されただけでなく、二度も原爆で攻撃され、その後の日本の将来を担ったであろうぼう大な数の人材の喪失と悲嘆、多大な血税を浪費して建造された膨大な数の艦艇や航空機、そしてさらに、今に続く近隣諸国からの怨嗟の声 ── これらのことを、あの「ひとびと」は、はたして思い描くことができたのだろうか。
 
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

『専門家』とは、ときに、その専門性がゆえに、見るべきものがもっとも見えないことがある。あの原子力工学の専門家たちの『自信』は、そのもっとも顕著な例であろう。

さて、原発は、そのとき、どうなるのであろう? 

専門家によるシュミュレーションを、ぜひとも見たいものである。さあ、早く見せてくれ。

2014/02/23

日本で原発は是か非か ── [1] パラムシル島を襲った巨大津波

25m巨大津波、パラムシル島を襲

戦後間もない1952年(昭和27年)、千島列島北端近くのパラムシル島を、高さ25メートルともいわれる巨大津波が襲った。

しかし、福島原発の建設が決定されたときの検討事項のなかに、この教訓が生かされることはなかった。


 

豪腕零戦パイロット岩本徹三による、パラムシル島地誌

少なくともかつては日本領だったこの島の地誌を記す日本の文献は、きわめて少ない。

そのなかに、あの有名な凄腕零戦パイロット、日本一の撃墜王といわれた、「岩本徹三」 ── 日中戦争から太平洋戦争末期までを、つねに最前線で戦いぬいて生還し、220機以上を撃墜したといわれる ── による、戦中のノートにもとづいて、戦後になって記した手記がある。

岩本はパプアニューギニア・ニューブリテン島にある有名な「ラバウル」で活躍することになる前の一時期、零戦とともに、このパラムシル島に赴任していた。パラムシル島から、東北東の方向にさらに千キロも離れた、当時、日本が占領していた米国領アッツ島やキスカ島を支援するためである。

この地方特有の濃霧や寒冷による悪天候に封じ込められて飛行できることが少なかった岩本らは、勤務のない日には、手つかずの自然のままの同地で、森に分け入ってサケのつかみ取りなどに興じていたらしい。

岩本らの活躍にもかかわらず、アッツ島は、岩本がラバウルへ転勤するため、パラムシル島を去ったあと、米軍の攻撃を受けて奪い返され、日本のアッツ島守備隊は全滅した。

Google の「地図」の「航空写真」の機能を使って、パラムシル島の最南端にある半島を、大きく拡大して見ると、その一郭に、岩本徹三がかつて零戦を駆った滑走路の廃墟の痕跡を、今でもかすかに見ることができる。 

このパラムシル島の北隣にあるのが、日本がポツダム宣言の受諾を宣言した後にもソ連軍との激戦が行われた千島列島最端の、シュムシュ島(占守島)、さらにそれから、カムチャッカ半島へと続く。

アイヌ語で、
幌筵島 (パラムシル島=「広い島」「大きい島」の意)

といわれ、江戸時代、幕府に提出された、北海道を領有した松前藩による地誌に記されこともあるこのパラムシル島では、三度も襲来した巨大津波は、日本統治時代の施設もふくめ、このときすでにソ連領となっていた同地方の6000人の人口のうち、2336人の命を奪った。これ以降、同島の主要な集落や施設は、標高250メートルの山裾に、作られることになった。

 
1945年の終戦までは、シュムシュ島までが、日本領だった。

 

もし25メートルの規模の津波が福島を直撃していれば

 

千年に一度だから、いいのか

千年に一度の自然災害を前提に原発の安全性の是非を論ずることはできない ── これが、1950年代の後半ころから検討が始まった福島原発を策定するときの切り札となった。


「千年に一度...」とは、
貞観地震 (西暦896年、貞観11年)

のときの津波のことを指しているが、北海道を中心として半径千キロの円を描けば、コンパスの半径内に、このパラムシル島と、本州最西端の山口県が入ってくる。

にもかかわらず、福島原発建設のための検討が始まった当時においては、ほんの数年前の出来事である同島でのこの惨劇を検証した形跡はない。

もし、25メートルの規模の津波が福島を直撃していれば、どうなっていたか? 

原発は完全に破壊され、その惨禍と損害は、現実に起こった程度をはるかに越え、想像を絶するものとなったはずだ。ほんのつい最近の過去に、このような大津波があったのにもかかわらず、原発策定のときに、この事実はなぜ検証されなかったのだろうか。

三陸沖地震も、このカムチャッカ津波も、環太平洋造山帯上の地震多発地帯に起きた現象にすぎない。しかも、同島は当時ソ連領といわれてはいたが(現在は、ロシア領)、条約上は当時も現在でも「日本領」といえなくもない。

いわば、離島とはいえ、日本の「内地」で起こったことだったのである。

福島原発建設のとき、三陸沖地震・巨大津波の発生が予見できないはずはなかったのである。


どうなる、南海トラフ地震  


また、最近、報道され始めた近未来に予想される「メガ地震」と原発の対応についても、正面切って論じられることはない。

最悪の場合には32万人が死亡し、さらに34万人の要救助者が出ると政府が試算している「南海トラフ」による地震、津波 ── そのとき、原発はどうなるのか? しかもこれらの数字には、おそらく、放射能被曝・原発避難による被害は計上されていない。

福島原発についていえば、津波到達以前の地震だけですでに原子炉が損傷し、放射能漏れを起こしていたという分析もある。

日本の原発は、かくも危険なのである。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

そして現在でも、このパラムシル島の惨劇と科学的事実が、日本において原発の是非を論ずる際の議論のテーブルに出されることはない。