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2018/09/23

靖国! ── [2] 陸海軍では靖国を警戒していた

かつてのこの国 ―― 大日本帝国には陸軍と海軍が存在した。これをあわせて帝国陸海軍と称した。

陸海軍の部隊が、靖国神社に部隊単位で拝礼したことがあったとしても、それは正式な作戦行動や陸海軍の行事としてではなく、あくまでその周辺的な行事として行ったにすぎない。そしてさらに重大なことは、帝国陸海軍では「靖国教徒」を警戒していたという事実である。


靖国教徒をもっとも警戒していたのは帝国陸軍


これは帝国陸海軍の従軍者の存命者が少なくなった現在、ほとんど語られない事実であり、敗戦以前であっても公然と語られることがなかった事実でもある。それは何と、陸軍ではいわゆる「靖国教徒」を警戒していたという事実である。

軍事組織は前線において、将校である指揮官(場合により下士官)の指揮のもと、一糸乱れぬ厳正な統率が行われなければならない。その時、この「指揮命令系統」と、それと併存する「靖国精神」が存在することは、作戦行動を行ううえで有害でこそあれ何らの助けとはならない。軍事組織としては当然の論理である。

したがって、とりわけ陸軍では「靖国!」と絶叫してヒステリー状態となるようなタイプの兵士を警戒し、「命令が絶対」であると諭(さと)していた。上官の命令は、天皇の命令(につながる)としていたのだ(「軍人勅諭」)。組織として行動するとき、さまざまな価値観が並存し、それをいちいち持ち出されては作戦行動が取れなくなるからだ。軍紀は厳正で絶対とされていたのだ。

現場の指揮官は、この「靖国キ●●イ」の扱いに苦慮していた。

そして、「軍人勅諭」「歩兵操典」などから始まるさまざまな「マニュアル」には「靖国」はただの一度も出てこない。命令の遂行において、命令系統が一直線であり疑義の余地はないとされていた。

これは他国のいかなる近代的な軍事組織においても同様であり、大日本帝国においても同様に行われた。

また、
「貴様、アーメンか!」
とクリスチャン(キリスト教徒)の部下兵士を罵倒し殴打したとしても、それは上官の正規の命令ではなく、ただの個人的な横暴にすぎないとされ、帝国陸海軍ではこれをも正式には厳禁していた。兵士は「陛下の兵」であって上官の私兵ではないからだ。

また、実際には頻発していた下士官による下級兵士に対する制裁や暴行も、建前としては厳禁していた。

しかし、もっとも恐れていたのは「靖国!」を絶叫し、指揮官による指揮統率に従おうとしないタイプである。

作戦行動の目的はすべて、敵の戦力を破砕し、戦意を喪失せしめることのみにある。それ以外のいかなる論理も、実際には過酷な軍事行動の命令への拒否として、とくに陸軍では大きな問題とされていた。したがって、陸軍では、なにかにつけて「靖国!」を絶叫するタイプを警戒していたのだ。

そしてこの事実すら、もはや、どのような文献にも記述されてはいない。この記事は、帝国陸軍における下級将校だった人物に直接、取材した事実にもとづいている。

問題は慰霊方式が確立していないということ


現在、日本の戦没兵士の慰霊の場としては「靖国神社」のみがそれに相当するかのように、識者までがそのように言及することがある。しかし、それはまったくの誤りである。

帝国陸海軍では、最高指揮官である「大元帥陛下(天皇を指す)」のため、もしくは天皇から授与された軍旗の栄光の下に死ぬことはあっても、それ以外の価値観を持ち込むことは絶対に許されなかった。そこには「靖国」が言及されることは絶対になかったのだ。

そして、あの、毎年の8月15日、特定の政治的あるいは反社会的勢力が結集し、大規模な道路占拠や品位を欠いた騒然たる示威行為がおこなわれる施設が、この国の唯一の戦死者の慰霊施設であるとしたら、これこそ、これらの騒乱こそ、戦死者に対しての冒とくであろう。このようなことで彼らの魂(たましい)が安んじるとは、とうてい考えられない。これこそ、彼らの事績を土足で踏みにじる行為であろう。

戦死者は、国家の戦争行為の発動としての行動中にその結果として死に至ったのであって、これを慰霊するのは、国家として、その国の国民として、当然に行わなければならない行為である。

また、戦死者には浄土真宗や日蓮宗などの「仏教徒」もいたし「キリスト教徒」も存在したのである。かれらは死後は「西方浄土」や「天国」へ召されると確信していたのである。なかには「何が靖国神社だ!」と反発した兵士もいたであろうし、さらに重大なこととして、昭和天皇は靖国神社へはある時点から絶対に参拝に訪れることはなかったことが挙げられる。

そして、さらなる問題は、国家がかつての戦死者をいかなる形式にせよ何らの尊崇と慰霊の姿勢を示さないことにある。ここに、本稿で問題とする、このいわゆる「靖国教」が入り込む余地があったのである。

あの、下品で粗野な「靖国症候群」とも呼称しうる行事・勢力が、使命を達成するために歴史に殉じた幾多の戦死者の魂(たましい)を、安んじられるはずがない。(使命 ―― これについては、本ブログの別稿において、述べる)

また、つい最近、朝鮮戦争における米軍の戦死者の遺骨が返還されたと報じられた。それだけではなく、第二次大戦の戦死者の回収については、連合国は非常な熱意をもって実行し、最大限の礼式と典礼をもって埋葬までの手続きを行ってきた。

兵士が各自、身につけていた「認識票」から個人特定を行い、墓標にはできうるかぎり正確にその姓名と没年を記述し、一人づつ墓標を建て埋葬している。正規の合衆国儀仗兵による葬列と葬送のラッパは、きわめて荘厳なものであり、一人ひとりが国旗に包まれて葬られる。この光景は、今を生きるわれわれに、立場の違いがあったとしても、さまざまなことを考えさせずにはおかない。

にもかかわらず、日本では戦死者に対して個々人の墓碑が建てられ、その姓名が記述されたことはない。残された遺族が個人で建立した墓標があっても、そこには一片の遺骨すらない。遺骨収集団が持ち帰ったとする「遺骨」は十把一絡げに大型容器に入ったままである。せめて、その地で戦没したであろう人物の氏名くらいは、記述できないものか...。なぜ、それすら、しないのだ? 

そして日本の戦死者は今もそのほとんどは、はるかなる山河や、深淵、あるいは、雲流るる果てに、捨て置かれ、放置されたままなのだ。その最期の瞬間に思い描いたのは、家族や祖国の風景であるに違いないのに...。

靖国教徒たちよ、それほどの情熱があるのなら、品位を欠いたあのような騒乱状態を演出するのではなく、真の慰霊の行動を開始せよ。

さあ、起て!靖国教徒よ


激戦が行われ、近年になってようやく日本へ返還された「硫黄島」では、今だに数万人の戦死者が、地中で、塹壕で、滑走路の下敷きとなって、放置されたままである。あの旧敵国において映画にさえされた、この島における当時の最高指揮官ですら、どこで戦死し、どこに埋められているのか、それすら解明されていない。誰も、この国の国家機関ですらこれを解明しようともしない。放置したまま知らぬ顔である。これはいったい、どうなっているのか。こんなことが許されるのか。

「靖国」でこれだけ議論しておきながら、この硫黄島の戦死者への扱いは、まったく理解ができない。また、あれだけ「靖国」で騒いでいる勢力も素知らぬ風情であることが、不思議でならない。

そして、そもそも、この「靖国!」と絶叫することと、靖国神社に祀られている(祀られるはずである?)戦死者とは、実際にはいかなる関係にあるのか、賢明なる読者諸氏には理解できる人物は存在するのであろうか。あれば、説明してほしい。筆者には少なくとも、まったく理解ができない。

真に、本当に、戦死者を心から悼む(いたむ)のなら、すべからく、靖国教徒たる者たちは、北は満州、南はパプア・ニューギニア、東はミッドウェー、西はインドにいたるまでの地域・海域に分け入り、300万ないし500万人に達するという戦死者の骨を、黙して拾って来るべきである。さあ、今ぞ起て、靖国教徒よ!

それでこそ、その努力こそが、はじめて彼ら、戦死者の魂(たましい)を救うことにつながるであろう。

そこで直面するであろう累々たる白骨や飛散した残骸に対峙することこそが、歴史の負の断面を、現代に生きるわれわれに深く考えさせることにつながるのである。これこそが「慰霊」なのである。

大岡昇平が描いた戦死者たち


作家の大岡昇平が書いた「レイテ戦記」には、日本の部隊(第57連隊)がフィリピンのレイテ島に上陸し、行軍を開始して直ぐにに米軍の砲撃を受け、「連隊旗」を奉持していた連隊旗手、田中忠美(たなか ただよし)少尉を直撃した、とある。少尉は戦死し、さらに他に戦死者、重傷者がでた。すぐに高橋少尉がそれに替わって、直ちに行軍を続けたという記述がある。この田中忠美少尉らはその地点に、放置されたのだ。
...200メートル前進してから、軍旗を身体に結びつけるバンドがないのに気がついた。内山軍曹が引き返し、田中少尉の死体からバンドをはずして持って帰った。
たとえば、この田中少尉の戦死体は、いったいだれが収容するのか? 「連隊旗手」が「連隊旗」を奉持して行軍することは、その連隊における最優秀の少尉が担当するきわめて栄光ある、栄誉に満ちた任務だった。この将校にしてこの扱いである。

「連隊旗」(大岡昇平によれば「聯隊旗」)とは、天皇から特定の連隊ごとに直接に授与されたものであり、出先の部隊では、まさにそこに天皇が臨在するのと同様な解釈がされていた光輝に満ちた存在だったのである。

さあ、「靖国教徒」よ、この田中忠美少尉(の遺体)を収容に行かないのか? 彼はきっと待っているに違いない。さらに、
...道路は(米軍の砲撃で)到るところ大穴があき、路地には友軍(日本軍)の死体が放置され、空中は死臭に満ちていた。...
とある。このとき、周辺は日本軍兵士の累々たる戦死体で満ちていたのだ。そして現在でも、彼らは、フィリピンのレイテ島タクロバン周辺に遺骨となって捨て置かれたままである。

筆者の家族だった者が、もし、今だにはるかなる山河や深淵に放置されているのであれば、その遺骨の一片なりとも、この手にしたい。万難を排して現地へ赴き、その埋められた場所の土壌の一握り、岩石の一片でも、持ち帰りたいと思う―― これこそ、慰霊であろう。

くり返すが、旧連合国はこれを連綿と現在に至るも行っているのである。

さあ靖国教徒よ、どうする。行かないのか。




2018/06/25

官庁・役所 ― おどろきの非能率

お役所へ手続きのために行ってみると、ああ!


今回は、驚くべき非能率を平然と行っていた、労働関係の某役所の、少し以前の話題だ。

この話、ある人物に話したところ「昔のソ連と同様だな」とコメントがあった。そういえば、ソビエト連邦最後の大統領ゴルバチョフは、西側の記者から社会主義の非効率をなじられたとき、
いや、社会主義が、ただひとつ、成功している国がある。 それは、日本だ。
と述懐したそうである。しかし、今回の話題は、そのゴルバチョフ閣下も驚くであろう物語だ。

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どうしても行きたがらない担当者に泣きつかれ、まったくの所管外の仕事ながら、東京の〇〇橋に行った際の、とあるお役所について、語ろう。企業に入退社すると、その手続として、労務関係のその窓口に、書類を企業から提出しなければならない。それだ。

該当のフロアーへ行くと、驚くことに、大病院の薬局で投薬待ちの外来患者のように、数百人の人々が長椅子に腰掛けて、待っている。

カウンターが10箇所くらいあり、それぞれ、2、3人の係の女子事務員さんが立って、待機している。

「株式会社~~さーん」と、左のカウンターから順に、呼ばれて、そこに書類を持って行くと、ちらっと見て、記載内容について講釈したり、スタンプ(受領印)したりしてくれる。それを、10回ほど繰り返すというわけだ。それぞれの間隔が、数十分。だから、全部、終わるのに、数時間はゆうに必要となる。たっぷりの一日仕事だ。

ただ、要するに、複写の書類を提出し、受領のスタンプをもらえばいいのだ。

だから、数百人が長椅子で待っているわけだ。だから担当外であるこの仕事が強引に、押し付けられたわけだ。

入室してその光景を目撃した瞬間、その異様さに「あ然」とし、どう考えても、これが必要不可欠な手続きであるとは考えられないことに、気づく。それに自分自身の仕事が山ほど、滞留しているのに...。

ここは一つ、非常手段の行使を行い、数分で切り抜けようと、意を決する。合法的に...。

まず、一つ目の受付に行く。長~い説明を聞いているうちに、まったく無意味なことをやらせようとしていることに気づく。そして、以下の物語を思い出した。

成規類聚、というマニュアル


斬新な視点で一世を風靡した評論家の山本七平は、かつて所属していた帝国陸軍におけるさまざまな書類上の手続が書かれてある規則書であるところの

成規類聚
(「せいきるいじゅう」と読む)

なる文書について言及している。ちなみに山本は、100人のうち96人が餓死・戦死した戦線(フィリピン・ルソン島北部のアパリ)からの数少ない生還者であり、この種の何の役にも立たない馬鹿げた規則について、満身の憤怒と悲しみをこめて批判、述懐している。

圧倒的な戦力の米軍と向かい合い、凄惨な飢餓状態のさなか、いま、まさに戦闘が開始されようというのに、この規則集を持ちだしてグダグダ言う連中が、大日本帝国陸軍には存在したというのである。

そして、悲しいかな、このグダグダ言っていた連中も、それに反抗して資材を掻っ払って戦闘に従事した連中も、その後、みんな戦死か餓死したというのである。要するに、なにもかも、すべてが無駄・徒労だったのだ。

戦後、東京の大本営から停戦命令とともに「所在の米軍に投降せよ」という命令が届いたあと、部隊でただ一人だけ英語ができた山本少尉は、従兵(将校の世話をする兵士)を伴い、使者として米軍と接触して投降の段取りを、米軍側と協議する。そして、協議を終えて所属部隊へ帰るとき、往路の途中で飢餓で歩けなくなって残置してきた従兵を収容するため帰路を急ぐと、彼の餓死してウジにおおわれた死体に出会い、号泣する。

出発に際し、山本は従兵へ「そんな体で付いて来なくていい」と言ったらしいが、「こんなときに、山本少尉殿を一人でやるわけにはいかない」と言ってきかず、無理して同行したという。山本は、彼には米軍への使者として出発する山本が唯一の生きる希望に見えたのだろう、と回想している。

山本は、結論として、どうでもいいからできるだけ良好な結果となるよう、自分の頭で全力で考えて行動せよ、と結論している。真面目で規則通りに忠実にやっていた連中は、みんな餓死し、アパリの土になってしまった、と。

また、帝国陸軍は、米軍と戦う以前に、すでにみずから崩壊し、敗北していたのだ、と...。

マニュアルがあるなら...


そこで、この役所では、以下の通りに行動した。一つ目の「カウンター」へ呼ばれて行った際に、以下のように、可能な限り、ていねいにお願いした。
本日の当方の目的は、急ぎ、この書類を提出して、受理してもらうだけの簡単な手続きのみであります。このような長時間で煩雑な手続きがどうしても必要なのなら、それを記した「規則集」なる文書が当然にして存在するはずです。それを、まずは、拝見したい。手続きというものは、やはり、規則通りにやらねばなりませんから...。
受付嬢は、キョトンとしている。それはそうであろう。こんな懇請を行う輩は、後にも先にも存在せず、空前絶後のことだったにちがいない。

とにかく、早く見せろとうながすと、奥の「ハゲ頭」氏のデスクへ行き、何やら相談している。「ハゲ頭」氏は、さらに後に位置する書類棚から、なにやら、厚さ数十センチはあるファイルを取り出し、頁をめくり始めた。待つこと5分くらい...か。

要するに、そんな事は、ここのマニュアルのどこにも記述などないのだ。そろそろ行動開始だ。
どこにも書いてない規則をタテに、このような長時間を拘束するとは、何ごとですか。勝手に「独断専行」でこんなことをやっているのでありますか? そうだとしたら、はなはだしい「専断逸脱行為」ですぞ。
「ハゲ頭」氏は、さらに必死になって文書に食い入っている。役人はこの言葉、「独断専行」や「専断逸脱行為」という語彙が、悪魔のように恐ろしいのだ。この方法で、他のすべてもカウンターでの処理(と言っても、ただ受理印のスタンプをもらうだけ)を次々と一気に通過し、合計して10分位で終了。なんのことはない。

しかし、後ろのソファーで、すでに数時間も待たされている大勢の人々は、皆、あ然としている。山本七平先生が、ニャとしている表情が脳裏をよぎる。退出するに際し、
まことに有り難うございました。心から感謝申し上げます。 ところで、このフロアの大勢の手続き要員さんたち、これ、この雇用自体が、『失業対策事業』であるわけですね。な~るほど...。
と、やや大声で言うと、ざわめいていた満座のフロア全体が、一瞬、静寂に包まれた。

ところで、この「専断逸脱行為」という用語は、もちろん、これも山本七平先生からの受け売りであって、かつての帝国陸軍においてさえ、悪魔のように恐れられた違反行為であるのだそうだ。

2017/08/21

空気論-「空気の研究」への最短理解

そもそも『空気』には、オバケが絶対に必要


だいぶ以前のことである。とあるラジオ放送を聴いていると、ある外国人が日本語で語っていたことに思わず耳を傾けた。おおむね、こんな内容だった:
...日本のアニメ作品はどれもファンタスティックで大好きだ。しかし、これだけはまったく理解ができなかったのが一つある。それは、さまざまなわけのわからない妖怪というか、オバケというのか、次々と出て来る。壊れたカサや、長いクビ、一本足のや、まるで理解できないモンスター、火の玉などが次々に登場する。理解できない。あれは一体、何なのか...。
日本人にはお馴染みの、オバケや妖怪が、欧米人にはまったく理解を超えたものにうつるらしい。オバケ、妖怪、もののけ、百鬼夜行や魑魅魍魎(ちみもうりょう)は、ふつうの日本人には、さして違和感のない存在だ。最近のアニメ・ブームもあって、かわいいオバケなどもいて、視覚的にも違和感なく受け入れられている。 

この相違はどこからくるのか。それは、一神教の欧米、イスラム教圏においては、これらの存在は許されない。

日本では、古代からお馴染みの、オバケ、もののけ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)であって、ふつうの日本人には、さして違和感のない「存在」だ。そして、これらの存在こそ、アニミズムそのものであるということである。

「もののけ」のチャンピオン級のきわめつけを一つ、語ろう。

その昔、平安時代のことである。京都の皇居の上空に夜な夜な現れて、主上(天皇)を、悩ましたてまつり、ついには病気にさせた鵺(ヌエ)なる正体不明の妖怪がいた。そこで、源頼政なる武将が弓でこれを射て、ヌエを退治したという物語がある。この功績により官職をたまわり、源三位頼政(げんざんみ・よりまさ)と呼ばれるようになった。今でも『ヌエ的存在』ということがあるが、これがその語源だ。

不思議きわまる、古代の荒唐無稽な話のようだが、基本的には現代の日本もこの価値観からさして遠くない地点に存在する。

その証拠が、もののけ、オバケの話にさしたる違和感がない。繰り返すが、欧米、イスラム圏では、このことは理解すらできないことなのだ。そして、『空気』にはさまざまな価値観や決定事項、慣習、意志という、本来は無形で成文化されていないことがらが、文字とおり「暗黙」に存在するのである。オバケの存在など、ワケはない。

難解な山本七平の空気論


『空気の研究』は、山本七平による、一世風靡(いっせいふうび)の本だ。その視点は鋭く、かつて誰も指摘しなかった思念に満ちているきわめて優れた著書である。

しかし問題は、難解であって、さらに説明が詳細をきわめるがゆえに、まわりくどいことだ。間違いなく言えることは、ほとんどの日本の読者はおそらくこの著書の半分も理解できないであろう。

なぜか。...

それは、はっきり言うと、山本七平「空気の研究」を理解するには、キリスト教の知識とバックグランドが必要不可欠である。この知見がないと、山本の定義する『空気』そのものが見えてこない。

では「キリスト教の知識とバックグランド」とは何か。これを雑駁にいうと、『(一神教の)神以外を信仰の対象としない』ということである。ではこの反対概念は何か。『神以外の霊的なモノの存在を認める』ということであり、オバケなどもこれに該当し、アニミズムとは、同義語である。つまり、オバケとは、信仰そのものであり、これを少々難しく言うと「アニミズム」というのだ。ここで論じている『空気』も、まさしく、これに該当する。

だから、日本のアニメには、オバケが豊富に出てきても、日本人の多くは違和感がない。そして、欧米人にはまったく理解ができない、となる。イスラム教においては、そのようなモノを描くことすら嫌悪すべきことであって、絶対に許されない。近年、あるイスラム過激派が、バーミヤンの巨大石仏を爆破したのはこのためである。彼らは、この「絶対に許されない」存在を消し去るという神聖なる行為を実行したと、確信しているはずだ。

だから、『空気』と『オバケ』が同義語だと言っているのだ。

私の見た山本七平


ここからは、筆者の私見や、私的な眼を通して見た山本七平を語るので、以降、「山本先生」と呼ぶ。

山本先生はプロテスタントのクリスチャンだった。日本の知識人にはきわめてまれなことに、キリスト教に深い知見を持つ、つまり、敬虔な「キリスト者」で、生家もクリスチャンホームだった。徴兵検査のとき、受付を担当していたのは、近所の商店から山本家に出入りして「御用聞き」をやっていた男だった。この「御用聞き」氏が、徴兵検査の会場で山本先生のことを姓名を呼ばずに
「オイ!、そこのアーメン!」
と言って呼び出したのは有名な話だ。

著書で展開する『臨在観的把握』、これはまったく理解が難しい。量子力学における、「観測者によって対象の状況が変化する」という考え方、これに近い難しさだ。アインシュタインはこの量子論を認めようとしなかったが、最後までこのことを理解さえもしなかった。「月は、私が見ようと見まいとそこに存在するではないか」と。アインシュタインでさえこうだったのだから、一般人が『臨在観的把握』が分からなくても、無理はない。

おそらく、山本先生は、キリスト教の論理や用語を一切使わずに、キリスト教を語ろうとしたのだろう。キリスト教特有の鼻持ちならない「押し付けがましさ」や「無誤謬性」をいくら振りかざしたところで、日本ではまったく通用しないことは、よく分かっていたに違いない。

先の大戦では、陸軍砲兵少尉として従軍した。末期の、フィリピンのルソン島北部アパリ周辺での戦いは、凄惨をきわめたものだった。餓死寸前の状況でありながら、包囲した優勢な米軍と対峙するという状況だった。最後まで部隊を離脱せず、降伏も命令により、英語ができる使者として所在の米軍部隊へ交渉に行った。この地獄に等しいあいだ、胸中を去来するものは何だったか。おそらく神との対話だったろう。奥底にあったであろう思いは、戦後にかかれた多くの手記的な文書にも一切語られていない。ただ淡々と当時の状況を書き記してあるばかりである。100人のうち、96人が餓死などで生きて帰らなかった戦場からの生還者であることを忘れてはならない。

終戦直後、内地の混みあう列車内で帰還兵どうしが話していて、たがいに「あんたは、どちらから?」とたづねあい「私は、ルソンから」「オレは、レイテ島」と話したとたん、周囲にいた普通の乗客は、満員の車内にもかかわらず、一斉に飛びすさったという逸話がある。それほど、恐ろしい地獄の戦場だったのだ。

また、戦後、著作活動や出版事業で多忙なころ、あるプロテスタント・キリスト教会で、招かれて「伝道集会」の講師として講演したことがある。なんと、そこで講演された主題は、当時、社会問題になっていた「女子高校生の売春」だった。結論は「今の日本では、だれも彼らを裁くことはできない」ということだった。「彼らを断罪できる論理は、今の日本には存在しない」と。教会で話されるテーマとしては、まことにふさわしくないものだったが、新約聖書にある『罪深い女の石打の刑の前に、断固として立ちはだかった』イエス・キリストの論理そのものだった。

その説話の方法たるや、いつも、いわば『静かな過激』というべきものだった。『空気』など、キリスト教の観念からすれば、一発で一刀両断に粉砕できる。しかし、そうはしない。静かに、用語に気をつけて、優しく語るのだ。日本の「オバケ」信者や「空気」教徒にも、よ~く解るように。

実際にお会いしたときも、市ヶ谷の事務所を訪ねたときも、本当に小声で話す物静かで小柄で痩身、伏し目がちな人物だった。物書きによくありがちな、オレがオレがの自己主張の塊のような横柄さは、みじんもない。怖い顔や難しい表情を見せたことなど一度もなく、いつも静かに微笑みをたたえていた。

ああ、本当にこんなヒトが、よくもまあ、あの地獄の戦場から生還できたものだと、つくづく、思ったものだ。