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2022/03/04

北方領土へ直ちに進攻せよ ― 今こそあの国の背後をつく好機!

今も残る第二次大戦の負の遺産

国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島、樺太の南半分および、その周辺の小島は、日本固有の領土であったし、現在でもそれに何らの変更はない。太平洋戦争で日本が連合国に降伏後、占領期間を経て「サンフランシスコ条約」において領土を回復したにもかかわらず、これらの諸島は、かつてはソビエト連邦、現在はロシア共和国に不法に占拠されたままである。

沖縄は、同様に大戦末期に激戦のすえ占領されたが、その後、米国との粘り強い交渉を経て、返還された。

さまざまな経緯については緒論あろうが、北方領土は、実態においてロシアが不法に占拠したままで何らの変化がない。

この、ロシアの、領土に対するあくなき野心・要求は、いわゆる「ロシア」が隣接するあらゆる諸国に対して歴史的、伝統的に行ってきた方式であり、今回のロシア西方 ― ウクライナなど ― に対しても、変化がない。変化があるとすれば、より過激に、より直接的に領土に対する野心をあらわにしたことであろう。

われわれ日本としては、 これらの災厄をこうむった国々に対しては、距離的な問題が要因となって、ほとんど何らの援助や応援すらさしのべる方策がない。政府、民間とも、残念ながら腰が重い。

そこで、現在、ユーラシア大陸の西方でプーチン政権により行われているこのありうべからざる暴挙を阻止する、ほとんど唯一の方策として、今こそ、国後島、択捉島などの北方領土の回復を実行すべきだと提言したいのである。

背後を衝く(つく)、これをやるのである。強調しておきたいのは、これは、不法行為的なことではなく、現時点においてロシアが不法に占拠していることが、問題なのである。

ロシアに対し、現時点において考えうる、最大の牽制となるであろう。

今、ロシアはウクライナなどの問題で翻弄されている。ウクライナを支援するためにも、今こそ、ほとんど、唯一の好機である。

今回のウクライナ侵攻であきらかになった事項として、ロシアとは、どのような理由であれ、少しでも油断すれば、周辺諸国に対し、機会を見過ごすことなく領土を狙うというということである。日本が、日本本来の領土回復について断念することがないことを、これを機会に披瀝するのは、語のまったき意味における恒久平和の確立に資することは疑う余地がない。



















 

2022/02/11

新幹線水没・原発放射能、そして学校火災

中学生のときの校舎火災

もう数十年も以前の古い話だ。学校祭の日だった。校舎は、L字形に展開する、二階建ての、嗚呼(ああ)、ため息が出るような、古色蒼然、古~い、オンボロの木造だ。

ふと、そのL字の内側から、向こう側のウイングの窓を見ると、窓から大量の煙が噴き出し、立ち上っている。状況は全くわからない。現実とは思えない不思議な光景に当惑する…こんなの見たことないぞ、と。

とにかく駆けつけなければ…と、行ってみる。と、なんと、床から立ち上った炎が垂直に天井まで届き、炎の先端は天井できれいに放射状に割れて、天井の大半をなめている。一見して、きわめて危険な大火災だ。周囲は無人で、何の音もしない。誰もいないし、放送での説明、避難指示などもない。ただ大きな火炎が垂直に火柱となって吹きあがっている。

夢の中の幻想を見るような、映画の一場面を見るような、遠い過去の思い出のような、なんとも言えない不思議な風景であり、見たこともない異様な美しさがあり、とても現実とは思えない。これがいったい何であるか、自分自身に納得させることができない、しばし見惚れるような、非現実的な、奇妙な現実だ。

が、ここまで見届けると、私は何らのためらいもなく、行動を開始した。事は急を要することはあまりにも明らかだった。一秒の無駄も、命とりだ。

同時、私は中学校の最上級生。意のごとく動かせる「手下」が何人もいて、平素からボス気取りだった。私の後を息を切らせて追ってきた、その手下どもに「どこからでいいから、消火器を、できるだけ沢山、集めて来い! 急げ、早くしろ!」と、命令。自分で引きずってきた一本は、すぐに出なくなる。火勢は、まったく止まない。「手下ども」は、「勝手にそんなことして消火器を開けたら、先生に叱られる。先生に聞いてからやっては ...」などと、まだ怪訝な風情だ。

どんな時にも、この種の間抜けな「慎重論」のようなことを、グダグダと言い出す輩がいるものである。ここで慎重になっていてどうなるというのだ! お利巧さんに、用はない。

そこで、一喝して「ダマレ!、うるさい! 馬鹿野郎!。 黙って言う通りにやれ! 俺が叱られてやる。いう通りにやらない奴はブッ飛ばすぞ!」と怒鳴る。それでも「探しに行ったけれど、見つからない」などと泣き言を言ってくる野郎がいる。いちいち、消火器が鎮座している場所を教えて「すぐに持って来なければ、ただではすまさないぞ、この野郎!」と脅迫し、慎重派をことごとく粉砕する。

やがて集ってきた消火器を次々と開栓。消火器20数本ほどでようやく制圧。鎮火。あたりは、消火器の残骸がゴロゴロして、なかなか壮観だ。

災害とはそもそも、こんなものだ。ここで、行動を一瞬でもためらっていれば、間違いなく校舎は全焼していた。とにかく、考えうる最善を尽くすのだ。これが男というものだ、と。

この間、たった一人の戦い、だった。何だか、うっとりするような話ではないか。男を挙げるのは、こんなときだ、と…、得意満面だった、が......。

ところがである。なんと、その後、あろうことか、驚くべきことに、私は、その功績を誉められるどころか、厳しく叱責されることとなった。全校生徒が避難指示に従い、整然と校庭に避難していたのに、たった一人だけ、参集しようとせず「馬鹿なお前は、またまた、勝手なことをしていた」ということで...。全員が避難して集合し、点呼して、アッ、あいつまた「どこかでフラフラしていた」トンデモない不埒(ふらち)なヤツだというわけだ。

まっ、このお叱りに対しては、腹のなかで「誰が火事を消したと思ってるんだ。やれたのなら、やって見せればよかっただろうに」と、胸をそらして昂然(こうぜん)として聞いていたが…。

ここで指摘したいのは、驚くべきことに、その時、教職員を含め、だれ一人、「消火しよう」と発想しなかったということだ。

また、そもそも学園祭の展示物のなかに、火を使い、それを見過ごしていたということの失態。そしてさらに、出火してからは「消火する」という発想に誰一人としてたどり着かなかったということだ。

想定外でした...本当に?

さて、ここからが本論。

本稿で指摘したいのは、あの水没した車両、水に浸かるまえに、現場の要員たちが高台に移動する発想がなぜできなかったのか ─ これだ(2019-10-13)。全車両が整然と水没している体たらくは、異様でさえある。そしてさらに驚愕するのは、「専門家」あるいは「関係者」諸氏がだれ一人、そのことを、事後であっても車両を退避させえたことを指摘すらせず、素知らぬ風情であることだ。損害額はいくらか知らぬが、甚大な金額となっていよう。

そしてまた、太平洋の海岸に「ツナミさん、どうぞ!」と言わんばかりに原発を並べておいて、津波が来襲したら、いったい、どうするつもりだったのだ。(福島第一原子力発電所事故、2011年3月11日)結局のところ、どうもできなかったわけであるが、こんなことでよいのか?

さらにまた、甲板上に爆弾・魚雷を搭載した航空機を大量に並べておいて、その瞬間に敵機が来て爆撃したら、どうするのか。(ミッドウェー海戦:昭和17年・1942年、6月5日~7日

想定外!ーこの何にでも効く特効薬、免罪符、言い訳? まさに「想定外」のオンパレードだ。

悲しいかな、日本の歴史にはこのような場面がいくつも見出だすことができる。損害額は、それぞれ、数千億円どころか、はるかな天文学的数字となるであろうが、このツケは、全て利用者、つまりは納税者としての国民に付け回しされるのである。

そして、これらの歴史的事件の関係者・当事者・専門家からは、今にいたるも、何らの説明や釈明、言い訳や、泣き言すらもない。

嗚呼(ああ)!

 

2019/04/20

パリ、ノートルダム大聖堂の火災-ヨーロッパはどうなる

火災事故をいたむ・・・が、しかし

フランス、パリのノートルダム大聖堂の火災では、歴史的建造物が大きく損傷した。残念でならない事故であるが、ここからさまざまなことが見えてくる。これについて論ずる。

ここで展開する分析とは、これはあるいは「神の鉄槌」ではないのかということである。

旧約聖書では、旧約の「神」はかつて、ソドムとゴムラという背徳の都市を焼き払ったとされている。

大航海時代以降のヨーロッパの植民地主義の苛烈さ、残虐さは言語を絶するものだった。フランスも例外ではない。日本が第二次大戦に先立ち、「仏印進駐」と称してフランス勢力を駆逐するまで、ベトナムに居座っていた。地中海の対岸のアルジェリア、アフリカの国々のいくつかもまたフランスの植民地だった。インドネシアはオランダが350年間、植民地として搾取した。

ヨーロッパの国々は、その覇権を獲得するために狂奔した。当時のキリスト教は、その植民地取得のための「先兵」として送り込まれ、アジア、アフリカの国々を先ずは内部から崩壊させ、しかる後に植民地としたのである。あろうことか、「キリスト教」の名において侵略したのだ。

きわめて残念なことに、現近代のヨーロッパの知識人、思想家、あるいは、キリスト教の聖職者といわれる人々の思想や論調においても、これへの分析や批判、反省はきわめてまれである。

この植民地主義の下での人道に反する搾取は、第二次大戦が終結するまで数百年間にわたり、行われたのだ。

神による歴史批判なのか?


だから、神は背徳の国々の本拠ともいうべきフランスのパリを、少しだけではあるが、炎上させたもうたと言いたいのだ。神の怒りだったのだ。

今回の火災へのさまざまな「識者」のコメントにも、これらは、まったく言及がない。これでいいのか? 聖職者、教会関係者として、信仰のもとにある者としてほんとうにこれでよいのか? どうなのだ。

新約聖書によると、イエス・キリストは、ここに指摘した問題提起に極似することを実行している。神殿、つまり「神のやしろ」で出店して商売する人々の施設を破壊してまわったのだ。イエスは、ときとして「過激派」であり、ただ静かに祈る存在だけではなかった。

パリ、その驚くべき凋落ぶり


そもそも今回の火災は「修復工事」にともなって、発生したとされる。まことに不可解ではある。またその原因・経緯すら発表されていない。

いったい、何のための「修復」だったのだ。こんな「修復」なら、はじめからしなければよかったのだ。

シテ島は美しい。だが、それ以外のパリの街路は、現代の日本では考えられないほどの汚濁と混乱に満ちている。広い表通りは美しいが、その裏通りは、散乱する大量のゴミと、きわめて不快な排泄物の臭気に満ちている。一流ホテルは良好なのだろうが、「普通」かそれ以下のホテルは設備の老朽化、応対品質のはなはだしい低下が顕著であり、耐え難い。

したがって、きわめて感覚的で雑駁な言い方をすれば、今回の火災事故は、そのお粗末さ加減からして何らの不思議はない。その原因・経過すら不明であっても。

そして...

パリは燃えているか? ―― かつて、こう叫んだ歴史上の人物が存在したが、そう、今こそパリは炎上したのだ。











2018/12/30

IWC離脱、戦前の「国際連盟」脱退と相似形

日本は、IWC(国際捕鯨委員会)からの離脱を表明した。これをめぐってさまざまな議論があろうが、これはかつて日本が歩んだ暗い歴史 ―― 国際連盟からの脱退と相似形である。

この離脱にいたるまで、日本の挙動についてIWCでどのような議論や決議が行われたのか、それはきわめて重要なことではあるが決定的な問題ではない。問題はこのような岐路において離脱を選択したという事実である。「非を認めて逃げた」という解釈が成り立ちうる選択肢であろう。

なぜその場に残って議論をねばり強く続けないのか。かつて、このような選択を行い、解決のない混迷に突き進んだ暗い歴史があったことは、その後、重大な結果をむかえてからさまざまな人々が幾度も悔恨の言辞を通じて表明してきたことではないか。500万人にも及ぶ戦死者は何のために死んだのだ?

なぜ? なぜ放り出して、議論の場から立ち去ったのか?

IWCにおいて議論を続けよ


日本は1931年に、日本の現地軍(中国大陸に駐屯する日本軍)が「満州国」を建国した。

このとき、1933年2月、国際連盟総会は「リットン調査団」報告書を審議し、日本の代表である外相松岡洋右は満州国を自主的に独立した国家であると主張したが、審議の結果、反対は日本のみ、賛成が42カ国で可決された。 これを受けて日本政府は翌3月、国際連盟脱退を通告した。

当時の混乱した中国の事情を見れば、「満州国」の存在も許容できうるものであろうが、ここでは、その議論を行わない。

それからの日本の国際的な孤立は、歴史にある通りである。ついに1941年、真珠湾攻撃と同時に太平洋戦争開始。1945年、敗戦となる。500万人にもおよぶぼう大な戦死者、焦土と化した国土、原爆、...。

もしあのとき、国際連盟を脱退することなく議論を続けていれば歴史は大きく変わっていただろう。日本人の気質として、「議論」を避ける、「議論」はもはや交渉が決裂した状況であると考えてしまう傾向がある。しかしこれは大きな間違い。欧米を始めとする国際社会では、「議論」はたんに交渉が始まったにすぎないのである。

反捕鯨国勢力は今回の日本の選択について、日本を一気に土俵際まで追い詰めたとほくそ笑んでいるであろうに違いない。

これを見れば、このIWC離脱は、まさしく、この「国際連盟脱退」と相似形であると知れる。

日本の政治家の繊細すぎる政治感覚が問われよう。また、一部の海外のメディアは「シーシェパードの勝利」などと報じている。問題を中途で投げ出したと解釈されるであろうことは、論をまたない。

日本は断じて、IWC(国際捕鯨委員会)に残留し、その正当性をねばり強く主張すべきである。どうしてそれができないのだろうか。

孟子いわく
自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん
と。

もし、IWCにおける日本代表があのW, チャーチルであれば、論戦ですべてをひっくり返し、新たな展開を切り開いたであろう。

日本代表よ、しっかりせよ。何をおそれ、何をためらっているのか?

捕鯨そのものより、IWC離脱が世界で悪評


たとえば、国連環境委員会の議長だった、エリック・ソルヘイム氏は、BBCに対し
日本のIWC離脱はきわめて危険だ。日本に再考を求める。これでは、せっかく合意してきた合意事項が、各国の利害で空中分解してしまうことにつながる...。
Japan will start commercial whaling.
Let’s ask Japan to reconsider!
It’s dangerous when nations break out of global agreements and start setting their own rules.
とコメント。世界で悪評なのだ。これでは捕鯨どころではなくなるのでは...。主張があれば交渉のテーブルから去ることなく自己主張し続けるするのが国際社会での鉄則なのだ。

世界の論調は日本にきわめて手きびしい。日本代表よ、席に戻れ! あくまで、ひるむことなく主張せよ。



2018/09/23

靖国! ── [2] 陸海軍では靖国を警戒していた

かつてのこの国 ―― 大日本帝国には陸軍と海軍が存在した。これをあわせて帝国陸海軍と称した。

陸海軍の部隊が、靖国神社に部隊単位で拝礼したことがあったとしても、それは正式な作戦行動や陸海軍の行事としてではなく、あくまでその周辺的な行事として行ったにすぎない。そしてさらに重大なことは、帝国陸海軍では「靖国教徒」を警戒していたという事実である。


靖国教徒をもっとも警戒していたのは帝国陸軍


これは帝国陸海軍の従軍者の存命者が少なくなった現在、ほとんど語られない事実であり、敗戦以前であっても公然と語られることがなかった事実でもある。それは何と、陸軍ではいわゆる「靖国教徒」を警戒していたという事実である。

軍事組織は前線において、将校である指揮官(場合により下士官)の指揮のもと、一糸乱れぬ厳正な統率が行われなければならない。その時、この「指揮命令系統」と、それと併存する「靖国精神」が存在することは、作戦行動を行ううえで有害でこそあれ何らの助けとはならない。軍事組織としては当然の論理である。

したがって、とりわけ陸軍では「靖国!」と絶叫してヒステリー状態となるようなタイプの兵士を警戒し、「命令が絶対」であると諭(さと)していた。上官の命令は、天皇の命令(につながる)としていたのだ(「軍人勅諭」)。組織として行動するとき、さまざまな価値観が並存し、それをいちいち持ち出されては作戦行動が取れなくなるからだ。軍紀は厳正で絶対とされていたのだ。

現場の指揮官は、この「靖国キ●●イ」の扱いに苦慮していた。

そして、「軍人勅諭」「歩兵操典」などから始まるさまざまな「マニュアル」には「靖国」はただの一度も出てこない。命令の遂行において、命令系統が一直線であり疑義の余地はないとされていた。

これは他国のいかなる近代的な軍事組織においても同様であり、大日本帝国においても同様に行われた。

また、
「貴様、アーメンか!」
とクリスチャン(キリスト教徒)の部下兵士を罵倒し殴打したとしても、それは上官の正規の命令ではなく、ただの個人的な横暴にすぎないとされ、帝国陸海軍ではこれをも正式には厳禁していた。兵士は「陛下の兵」であって上官の私兵ではないからだ。

また、実際には頻発していた下士官による下級兵士に対する制裁や暴行も、建前としては厳禁していた。

しかし、もっとも恐れていたのは「靖国!」を絶叫し、指揮官による指揮統率に従おうとしないタイプである。

作戦行動の目的はすべて、敵の戦力を破砕し、戦意を喪失せしめることのみにある。それ以外のいかなる論理も、実際には過酷な軍事行動の命令への拒否として、とくに陸軍では大きな問題とされていた。したがって、陸軍では、なにかにつけて「靖国!」を絶叫するタイプを警戒していたのだ。

そしてこの事実すら、もはや、どのような文献にも記述されてはいない。この記事は、帝国陸軍における下級将校だった人物に直接、取材した事実にもとづいている。

問題は慰霊方式が確立していないということ


現在、日本の戦没兵士の慰霊の場としては「靖国神社」のみがそれに相当するかのように、識者までがそのように言及することがある。しかし、それはまったくの誤りである。

帝国陸海軍では、最高指揮官である「大元帥陛下(天皇を指す)」のため、もしくは天皇から授与された軍旗の栄光の下に死ぬことはあっても、それ以外の価値観を持ち込むことは絶対に許されなかった。そこには「靖国」が言及されることは絶対になかったのだ。

そして、あの、毎年の8月15日、特定の政治的あるいは反社会的勢力が結集し、大規模な道路占拠や品位を欠いた騒然たる示威行為がおこなわれる施設が、この国の唯一の戦死者の慰霊施設であるとしたら、これこそ、これらの騒乱こそ、戦死者に対しての冒とくであろう。このようなことで彼らの魂(たましい)が安んじるとは、とうてい考えられない。これこそ、彼らの事績を土足で踏みにじる行為であろう。

戦死者は、国家の戦争行為の発動としての行動中にその結果として死に至ったのであって、これを慰霊するのは、国家として、その国の国民として、当然に行わなければならない行為である。

また、戦死者には浄土真宗や日蓮宗などの「仏教徒」もいたし「キリスト教徒」も存在したのである。かれらは死後は「西方浄土」や「天国」へ召されると確信していたのである。なかには「何が靖国神社だ!」と反発した兵士もいたであろうし、さらに重大なこととして、昭和天皇は靖国神社へはある時点から絶対に参拝に訪れることはなかったことが挙げられる。

そして、さらなる問題は、国家がかつての戦死者をいかなる形式にせよ何らの尊崇と慰霊の姿勢を示さないことにある。ここに、本稿で問題とする、このいわゆる「靖国教」が入り込む余地があったのである。

あの、下品で粗野な「靖国症候群」とも呼称しうる行事・勢力が、使命を達成するために歴史に殉じた幾多の戦死者の魂(たましい)を、安んじられるはずがない。(使命 ―― これについては、本ブログの別稿において、述べる)

また、つい最近、朝鮮戦争における米軍の戦死者の遺骨が返還されたと報じられた。それだけではなく、第二次大戦の戦死者の回収については、連合国は非常な熱意をもって実行し、最大限の礼式と典礼をもって埋葬までの手続きを行ってきた。

兵士が各自、身につけていた「認識票」から個人特定を行い、墓標にはできうるかぎり正確にその姓名と没年を記述し、一人づつ墓標を建て埋葬している。正規の合衆国儀仗兵による葬列と葬送のラッパは、きわめて荘厳なものであり、一人ひとりが国旗に包まれて葬られる。この光景は、今を生きるわれわれに、立場の違いがあったとしても、さまざまなことを考えさせずにはおかない。

にもかかわらず、日本では戦死者に対して個々人の墓碑が建てられ、その姓名が記述されたことはない。残された遺族が個人で建立した墓標があっても、そこには一片の遺骨すらない。遺骨収集団が持ち帰ったとする「遺骨」は十把一絡げに大型容器に入ったままである。せめて、その地で戦没したであろう人物の氏名くらいは、記述できないものか...。なぜ、それすら、しないのだ? 

そして日本の戦死者は今もそのほとんどは、はるかなる山河や、深淵、あるいは、雲流るる果てに、捨て置かれ、放置されたままなのだ。その最期の瞬間に思い描いたのは、家族や祖国の風景であるに違いないのに...。

靖国教徒たちよ、それほどの情熱があるのなら、品位を欠いたあのような騒乱状態を演出するのではなく、真の慰霊の行動を開始せよ。

さあ、起て!靖国教徒よ


激戦が行われ、近年になってようやく日本へ返還された「硫黄島」では、今だに数万人の戦死者が、地中で、塹壕で、滑走路の下敷きとなって、放置されたままである。あの旧敵国において映画にさえされた、この島における当時の最高指揮官ですら、どこで戦死し、どこに埋められているのか、それすら解明されていない。誰も、この国の国家機関ですらこれを解明しようともしない。放置したまま知らぬ顔である。これはいったい、どうなっているのか。こんなことが許されるのか。

「靖国」でこれだけ議論しておきながら、この硫黄島の戦死者への扱いは、まったく理解ができない。また、あれだけ「靖国」で騒いでいる勢力も素知らぬ風情であることが、不思議でならない。

そして、そもそも、この「靖国!」と絶叫することと、靖国神社に祀られている(祀られるはずである?)戦死者とは、実際にはいかなる関係にあるのか、賢明なる読者諸氏には理解できる人物は存在するのであろうか。あれば、説明してほしい。筆者には少なくとも、まったく理解ができない。

真に、本当に、戦死者を心から悼む(いたむ)のなら、すべからく、靖国教徒たる者たちは、北は満州、南はパプア・ニューギニア、東はミッドウェー、西はインドにいたるまでの地域・海域に分け入り、300万ないし500万人に達するという戦死者の骨を、黙して拾って来るべきである。さあ、今ぞ起て、靖国教徒よ!

それでこそ、その努力こそが、はじめて彼ら、戦死者の魂(たましい)を救うことにつながるであろう。

そこで直面するであろう累々たる白骨や飛散した残骸に対峙することこそが、歴史の負の断面を、現代に生きるわれわれに深く考えさせることにつながるのである。これこそが「慰霊」なのである。

大岡昇平が描いた戦死者たち


作家の大岡昇平が書いた「レイテ戦記」には、日本の部隊(第57連隊)がフィリピンのレイテ島に上陸し、行軍を開始して直ぐにに米軍の砲撃を受け、「連隊旗」を奉持していた連隊旗手、田中忠美(たなか ただよし)少尉を直撃した、とある。少尉は戦死し、さらに他に戦死者、重傷者がでた。すぐに高橋少尉がそれに替わって、直ちに行軍を続けたという記述がある。この田中忠美少尉らはその地点に、放置されたのだ。
...200メートル前進してから、軍旗を身体に結びつけるバンドがないのに気がついた。内山軍曹が引き返し、田中少尉の死体からバンドをはずして持って帰った。
たとえば、この田中少尉の戦死体は、いったいだれが収容するのか? 「連隊旗手」が「連隊旗」を奉持して行軍することは、その連隊における最優秀の少尉が担当するきわめて栄光ある、栄誉に満ちた任務だった。この将校にしてこの扱いである。

「連隊旗」(大岡昇平によれば「聯隊旗」)とは、天皇から特定の連隊ごとに直接に授与されたものであり、出先の部隊では、まさにそこに天皇が臨在するのと同様な解釈がされていた光輝に満ちた存在だったのである。

さあ、「靖国教徒」よ、この田中忠美少尉(の遺体)を収容に行かないのか? 彼はきっと待っているに違いない。さらに、
...道路は(米軍の砲撃で)到るところ大穴があき、路地には友軍(日本軍)の死体が放置され、空中は死臭に満ちていた。...
とある。このとき、周辺は日本軍兵士の累々たる戦死体で満ちていたのだ。そして現在でも、彼らは、フィリピンのレイテ島タクロバン周辺に遺骨となって捨て置かれたままである。

筆者の家族だった者が、もし、今だにはるかなる山河や深淵に放置されているのであれば、その遺骨の一片なりとも、この手にしたい。万難を排して現地へ赴き、その埋められた場所の土壌の一握り、岩石の一片でも、持ち帰りたいと思う―― これこそ、慰霊であろう。

くり返すが、旧連合国はこれを連綿と現在に至るも行っているのである。

さあ靖国教徒よ、どうする。行かないのか。




2018/06/25

官庁・役所 ― おどろきの非能率

お役所へ手続きのために行ってみると、ああ!


今回は、驚くべき非能率を平然と行っていた、労働関係の某役所の、少し以前の話題だ。

この話、ある人物に話したところ「昔のソ連と同様だな」とコメントがあった。そういえば、ソビエト連邦最後の大統領ゴルバチョフは、西側の記者から社会主義の非効率をなじられたとき、
いや、社会主義が、ただひとつ、成功している国がある。 それは、日本だ。
と述懐したそうである。しかし、今回の話題は、そのゴルバチョフ閣下も驚くであろう物語だ。

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どうしても行きたがらない担当者に泣きつかれ、まったくの所管外の仕事ながら、東京の〇〇橋に行った際の、とあるお役所について、語ろう。企業に入退社すると、その手続として、労務関係のその窓口に、書類を企業から提出しなければならない。それだ。

該当のフロアーへ行くと、驚くことに、大病院の薬局で投薬待ちの外来患者のように、数百人の人々が長椅子に腰掛けて、待っている。

カウンターが10箇所くらいあり、それぞれ、2、3人の係の女子事務員さんが立って、待機している。

「株式会社~~さーん」と、左のカウンターから順に、呼ばれて、そこに書類を持って行くと、ちらっと見て、記載内容について講釈したり、スタンプ(受領印)したりしてくれる。それを、10回ほど繰り返すというわけだ。それぞれの間隔が、数十分。だから、全部、終わるのに、数時間はゆうに必要となる。たっぷりの一日仕事だ。

ただ、要するに、複写の書類を提出し、受領のスタンプをもらえばいいのだ。

だから、数百人が長椅子で待っているわけだ。だから担当外であるこの仕事が強引に、押し付けられたわけだ。

入室してその光景を目撃した瞬間、その異様さに「あ然」とし、どう考えても、これが必要不可欠な手続きであるとは考えられないことに、気づく。それに自分自身の仕事が山ほど、滞留しているのに...。

ここは一つ、非常手段の行使を行い、数分で切り抜けようと、意を決する。合法的に...。

まず、一つ目の受付に行く。長~い説明を聞いているうちに、まったく無意味なことをやらせようとしていることに気づく。そして、以下の物語を思い出した。

成規類聚、というマニュアル


斬新な視点で一世を風靡した評論家の山本七平は、かつて所属していた帝国陸軍におけるさまざまな書類上の手続が書かれてある規則書であるところの

成規類聚
(「せいきるいじゅう」と読む)

なる文書について言及している。ちなみに山本は、100人のうち96人が餓死・戦死した戦線(フィリピン・ルソン島北部のアパリ)からの数少ない生還者であり、この種の何の役にも立たない馬鹿げた規則について、満身の憤怒と悲しみをこめて批判、述懐している。

圧倒的な戦力の米軍と向かい合い、凄惨な飢餓状態のさなか、いま、まさに戦闘が開始されようというのに、この規則集を持ちだしてグダグダ言う連中が、大日本帝国陸軍には存在したというのである。

そして、悲しいかな、このグダグダ言っていた連中も、それに反抗して資材を掻っ払って戦闘に従事した連中も、その後、みんな戦死か餓死したというのである。要するに、なにもかも、すべてが無駄・徒労だったのだ。

戦後、東京の大本営から停戦命令とともに「所在の米軍に投降せよ」という命令が届いたあと、部隊でただ一人だけ英語ができた山本少尉は、従兵(将校の世話をする兵士)を伴い、使者として米軍と接触して投降の段取りを、米軍側と協議する。そして、協議を終えて所属部隊へ帰るとき、往路の途中で飢餓で歩けなくなって残置してきた従兵を収容するため帰路を急ぐと、彼の餓死してウジにおおわれた死体に出会い、号泣する。

出発に際し、山本は従兵へ「そんな体で付いて来なくていい」と言ったらしいが、「こんなときに、山本少尉殿を一人でやるわけにはいかない」と言ってきかず、無理して同行したという。山本は、彼には米軍への使者として出発する山本が唯一の生きる希望に見えたのだろう、と回想している。

山本は、結論として、どうでもいいからできるだけ良好な結果となるよう、自分の頭で全力で考えて行動せよ、と結論している。真面目で規則通りに忠実にやっていた連中は、みんな餓死し、アパリの土になってしまった、と。

また、帝国陸軍は、米軍と戦う以前に、すでにみずから崩壊し、敗北していたのだ、と...。

マニュアルがあるなら...


そこで、この役所では、以下の通りに行動した。一つ目の「カウンター」へ呼ばれて行った際に、以下のように、可能な限り、ていねいにお願いした。
本日の当方の目的は、急ぎ、この書類を提出して、受理してもらうだけの簡単な手続きのみであります。このような長時間で煩雑な手続きがどうしても必要なのなら、それを記した「規則集」なる文書が当然にして存在するはずです。それを、まずは、拝見したい。手続きというものは、やはり、規則通りにやらねばなりませんから...。
受付嬢は、キョトンとしている。それはそうであろう。こんな懇請を行う輩は、後にも先にも存在せず、空前絶後のことだったにちがいない。

とにかく、早く見せろとうながすと、奥の「ハゲ頭」氏のデスクへ行き、何やら相談している。「ハゲ頭」氏は、さらに後に位置する書類棚から、なにやら、厚さ数十センチはあるファイルを取り出し、頁をめくり始めた。待つこと5分くらい...か。

要するに、そんな事は、ここのマニュアルのどこにも記述などないのだ。そろそろ行動開始だ。
どこにも書いてない規則をタテに、このような長時間を拘束するとは、何ごとですか。勝手に「独断専行」でこんなことをやっているのでありますか? そうだとしたら、はなはだしい「専断逸脱行為」ですぞ。
「ハゲ頭」氏は、さらに必死になって文書に食い入っている。役人はこの言葉、「独断専行」や「専断逸脱行為」という語彙が、悪魔のように恐ろしいのだ。この方法で、他のすべてもカウンターでの処理(と言っても、ただ受理印のスタンプをもらうだけ)を次々と一気に通過し、合計して10分位で終了。なんのことはない。

しかし、後ろのソファーで、すでに数時間も待たされている大勢の人々は、皆、あ然としている。山本七平先生が、ニャとしている表情が脳裏をよぎる。退出するに際し、
まことに有り難うございました。心から感謝申し上げます。 ところで、このフロアの大勢の手続き要員さんたち、これ、この雇用自体が、『失業対策事業』であるわけですね。な~るほど...。
と、やや大声で言うと、ざわめいていた満座のフロア全体が、一瞬、静寂に包まれた。

ところで、この「専断逸脱行為」という用語は、もちろん、これも山本七平先生からの受け売りであって、かつての帝国陸軍においてさえ、悪魔のように恐れられた違反行為であるのだそうだ。

2017/10/02

欧米が「慰安婦問題」で日本に味方する本当の理由

欧米諸国、日本に「慰安婦問題」を絶対に認めてほしくはない


本稿では、いわゆる「慰安婦問題」の真偽や是非を論じることはしない。

ここで考察したいのは、その議論をめぐって、最近は欧米のさまざまな識者らが某国の主張を問題、もしくは、やり過ぎとして「日本に味方」しているかのような考え方の背景 ― ここに存在する世界史的問題についてである。

欧米がなぜ日本のことを心配してくれるのか

しかし、彼ら欧米諸国は決して日本のことを心配してくれるほどのお人好しではない。では、なぜか? なぜ、彼ら欧米諸国は日本の肩を持つのか? それは彼らの国家利益と大きく関係しているからである。

近世の世界史をもう一度、さめた眼で見てみると

ヨーロッパへ旅行すれば見ることができる、壮麗な建築物、教会の大伽藍。たとえば、ほとんど国内に産業らしい産業などが存在しないオランダの街並みが、なぜあのような華麗な建築物に満ちているのか。これらを社会経済史的に見て、どうなっているのかと考えたことはないだろうか。

欧米は、とりわけ大航海時代以降、世界に進出して植民地獲得に狂奔し、そこでは侵略を正当化するため、あらゆる悪徳と不正が行われた。したがって欧米諸国は、日本が「慰安婦問題」を認めて謝罪するときわめて困難な立場に立たされることになるのである。

それら欧米植民地については、今やすべて歴史の彼方の物語とされていて、しいていえば「時効」である。

日本の謝罪外交がもたらす恐怖のシナリオ

ところが、もし今後も日本が某国の要求に応じ、「賠償金」を支払い続けるのであれば、同様な論拠と理由で植民地支配や侵攻における戦乱、さらにそれにともなった破壊、殺人、暴行、そしてそもそもの搾取にたいし「賠償」しなければならない「前例」が確立することになる。

これら植民地支配にともなう損失が、補償、賠償の対象とすることが正当であると仮定すれば、それは想像を絶するぼう大な金額となろう。

なぜならば、世界史をひもとけば容易にわかるが、欧米が過去数百年にわたり、アジア、アフリカ、北米、南米に対して行ってきた侵略と暴虐、そして収奪、搾取の歴史は言語に絶する過酷なものであって、たとえ日本による「慰安婦問題」が某国の主張通りであったとしても、それとは比較をはるかに絶する、はるかにケタのスケールが違う、ぼう大な件数と量だからである。

日本が世界紛争の導火線に火をつける

つまり、日本は、これらの植民地支配被害国が行うかもしれない「主張」がかろうじて鎮静化しているという危うい均衡の状況にある現代において、あろうことかこの均衡を破り、いわば
地獄のカマのフタを開く
これを実行しようとしているのである。「慰安婦問題」の補償をおこなうことによって。

いったん「フタ」が開いてしまえば、世界中の植民地被支配経験国が一斉に補償の要求を、旧宗主国に対し行うであろうし、要求された側はこれに絶対に応じることはないであろう。そもそも応じようにも、支払うための原資など、今さらどこにもありはしない。

ではどうなるか。この際限のない「補償」をめぐっての、際限のない議論が開始されるであろう。さらにこの応酬が続くうちに過激派的な勢力が成長し、格好の根拠として自己正当化を行い活動を開始するであろう。
 

第三次世界大戦が始まるのか


これはもう、ほとんど、多数の国々を巻き込んだ新たな「第三次世界大戦」の招来である。この恐怖のシナリオが開始された世界を想像してみよう。そうなればもう世界の崩壊である。

問題だったのは、ここまでのシナリオを想像すらできなかった日本の政治家の力量と定見のなさである。

誠意をもって謝罪すれば相手はその誠意を受け止め、感謝をもって受け入れるに違いないなどという感傷的な楽観主義。国際政治の現実は、そのように甘いものではなく、楽観的ではない。

現実に某国は日本の謝罪が行われるたびに、「ゆるし」の「しきい値」をつり上げ、どこまでやっても際限がない。これこそが国際政治の現実であって、日本の政治家の政治感覚が間違っているのである。

そしてこれが、今こそ決定的に重大な結果をもたらそうとしている。

つまり、「平和国家」であるはずの日本が、第三次大戦勃発の引き金に「ユビ」をかけているのである。ああ、なんたる皮肉であろうか。そして気がついてみれば、これは「いつか来た道」だった。

大東亜戦争は植民地開放戦争だったはず、それが...


大東亜戦争(太平洋戦争)のそもそもの戦争目的とは、アジアの植民地開放ではなかったか。

先の大戦では、欧米からの輸入に依存していた日本の基本的かつ必要不可欠な物資が、戦略物資として貿易による供給が停止され、日本は開戦せざるをえなくなった。

そこで日本は、そもそもこれら資源供給源を欧米が抑えていること自体が問題であるとして、植民地となっていたアジア資源供給地である植民地を「開放する」ことを旗印とした。資源供給を求めての生存をかけての戦いだった。

たとえば、インドネシアは350年前に進駐したオランダにより植民地となった。インドネシアが独立したのは、第二次大戦終了後にすぎない。その間、収奪され続けたわけであり、インドネシアはまったく歴史が停止したままという状態だった。

この収奪による「未払い」を「決済」しようとすれば、まずその算定をめぐって激烈な議論となろうし、その総額がどうなるのかは想像もつかない。

これらはいづれも、日本と某国とのあいだにたとえ「慰安婦問題」が実際に存在したとしても、それとは比較を絶する期間と規模と苛酷さをもって行われたからである。

これこそが、日本により「地獄のかまのフタが開かれる」というゆえんである。








2017/09/13

リンドバーグ ― 神の視座へ近づいた男の見た戦場

チャールズ A. リンドバーグ Charles A. Lindbergh は、1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」号により大西洋無着陸単独飛行を最初に行い、
翼よ、あれがパリの灯だ
を書いて「ピュリッツァー賞」を受賞した冒険家として知られ、この手記は映画化もされた。

リンドバーグとセントルイス号
チャールズ A. リンドバーグ 1902 - 1974

しかし、第二次大戦中は、パイロットして日本軍とも戦い、ゼロ戦と空中戦を行ったこともあることは、日本ではあまり知られていない。また一兵士としてよりは軍事顧問的な立場であったので、従軍中、太平洋戦線で展開されたさまざまな戦いを、自身の『日記』を書き残すことにより、戦争の実態を覚めた眼で記録することができた。

神の視座から見た戦場の真実


そこには歴史史料やいわゆる「戦記」にはまったく記録されていない、おどろくべき真実の記録がある。それらは、同じように欧州戦線をパイロットとして戦った『星の王子さま』のサン=テグジュペリ(フランス)と共通した、ある特別な視座から見た歴史の一側面であったのだろう。それは、ともに、神の高みから見た人間の愚かしさへの痛烈な『おもい』に満ちている。

比較的人道的であった(とされていた)米軍など連合軍の、じつは鬼畜にも等しい残虐な所業がなんのためらいもなく記録され、すでに当時においてリンドバーグは心を痛め激しく批判している。眼下にひろがる地平は、言いようのない残虐と悪徳に満ちていたのだ。

戦争とは、人間とは何かを考える、ほとんど知られていない第一級の史料である。

降伏する日本兵の運命


日本軍に降伏はないとよく言われてきたが、そんなことはない。ただ、米軍の「兵士が戦場で捕虜を取ろうとしない(受け入れない)」ことが原因であったという。
捕虜をとった場合でも、英語を話せる者は尋問のため連行され、あとの連中は「一人も捕虜にされなかった」(ブログ筆者注:つまり無抵抗の捕虜を「殺害した」)

一部の海兵隊員はスーベニア用の金歯を手にいれるべく日本軍将兵の遺体を掘り起こしたそうだ。

オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方へ送らねばならなくなっっとき...捕虜を(飛行中の)機上から山中へ突き落とし、ジャップはハラキリをやっちまったと報告した...

日本軍の野戦病院を占領したとき...わが軍が通り抜けたとき、生存者は一人も残さなかった...(ブログ筆者注:つまり無抵抗の傷病者の捕虜を「全員殺害した」)
 こういう記録が、これでもかこれでもかと書かれている。 日本兵の頭蓋骨や大腿骨のペーパーナイフが「みやげ物」として取引され、これを作るために戦死体の頭部を「煮る」ことが流行し、金歯を取るための死体損壊が横行したという。

これらのことを、リンドバーグは、
別世界を映画館でスクリーンを眺めるように、操縦士は島の地表から隔絶されているのである。...
近代戦にあっては、殺戮は距離をおいて行われ、しかも殺戮を行うにあたり、人間を殺しているという意識すら湧かないのだ。
と、悲嘆している。

参考文献:
チャールズ A. リンドバーグ 著、新庄哲夫 訳
リンドバーグ第二次大戦日記(上・下巻)
平成28年 角川書店


2017/08/10

マッカーサーの見たレイテ海戦

ダグラス・マッカーサーが、太平洋戦争(大東亜戦争)において敗北寸前となって追いつめられたことは、二度ある。

初期の「フィリピン・バターン半島」からの脱出のとき、それと、本稿で語る大戦末期の掉尾(とうび)をかざるにふさわしい「レイテ海戦」だ。

レイテ島に上陸するマッカーサー 1944/10/20


何を今さらこの歴史を語るのか。いささか「昔を今になすよしもがな...」の詠嘆と言えなくもない。

しかし問題は、たんなる感傷や感慨にふけるだけではあまりにも大きすぎるし、またそう単純ではない。なぜなら、この辺りから、その後のマッカーサーの日本に対する「畏れ(おそれ)」とも「リスペクト」ともとれる想念が、通奏低音のように流れ始める。あの尊大にして傲慢きわまり、鼻持ちならないマッカーサーにして、かくのごとくであったということである。

そして戦後すぐ会見のために来訪した昭和天皇の想定外の発言に、マッカーサーは完全に圧倒される。

したがって、大戦末期の「レイテ海戦」においてのさまざまなでき事は、マッカーサーの戦後における対日政策や、大戦終了後の数々の発言のなかに大きく投影しているといっても、過言ではない。だとすると、さらに現代の日本のあり方にも大きく影響したと断言できよう。

敵を誉めそやしておいて、その敵を撃破した自分はもっと偉いというよく使われる姑息な自己顕示欲の手法もあるが、それをマッカーサーがやるには、この海戦は歴史的事実としてあまりに大き過ぎる。

この視点に立てば、「レイテ海戦」は日本側が敗北はしたものの、その戦争目的を達成したともいえる。そして、人類史上最大の海空戦として、民族の神話として、ながく語り伝えられるであろう。

マッカーサー側はとんでもないお粗末な指揮系統


レイテ海戦における日本の主敵は、
  • 第7艦隊(指揮官キンケード、レイテ島タクロバンのマッカーサー指揮下)
  • 第3艦隊(指揮官ハルゼー、ハワイのニミッツ指揮下)
だった。ところがあろうことか、この両部隊の統一指揮は設定がなく、このことが米軍側に決定的な事態をもたらす。マッカーサーは憤怒をこめて述懐する:
その後に行われた戦闘は、指揮の統一を欠くことがいかに危険であり、重要な作戦で最終的な責任を負っている司令官(マッカーサー自身を指す)が作戦に参加している全部隊を指揮できない場合、いかに誤解が起こりやすいかということを、現実にしめしてくれることとなった。
 人間のやることは、すべて錯誤の連続である。この場合、日米双方に重大な「錯誤」が起きた。

ありえないことが双方に連続して起きる


鉄壁の布陣でレイテ湾に上陸した部隊を守っていたはずの米側艦隊は、それぞれ、日本側の巧緻をきわめた作戦にひっかかって、本来の持ち場を離れ、レイテ湾岸に上陸したマッカーサーの指揮する部隊の守備はガラ空きで、部隊は裸同然となる。日本側には、まさに千載一遇の好機が訪れようとしていた。

日本艦隊は艱難辛苦(かんなんしんく)のすえ南下し、ああ、ついに目的の、レイテ島の東に位置するレイテ湾直前まで殺到した。そして、湾岸に上陸したばかりのマッカーサー軍はなんの防備も持たず、あわや、あの「大和」の史上最大の主砲をはじめ多数の日本艦隊の砲撃のもとに壊滅するばかりの最大の危機がせまった。

ところがそのとき、日本艦隊は目前にせまった攻撃を突如として放棄し、反転して北上を開始した。あの有名な『栗田艦隊のナゾの反転』だ。

こうして日本側がこの戦いで勝利しうる機会は永久に失われ、マッカーサーは、からくもすんでのところで虎口を脱した。

このときのマッカーサーの胸中に去来するものは何であったか。史家はそれには言及することなく、またマッカーサー自身も何らの述懐を残していない。

しかし、背後からの決定的な致命傷となる一撃を、みずからの力量ではなく、たんなる偶然によってかろうじてまぬがれることができたという一事は、マッカーサーの燦然たる軍歴を誇る尊大な自尊心に深い傷跡を残すと同時に、日本恐るべしとの畏敬ともいえる想念を深く胸中に抱かせるにいたったに違いない。

なぜなら、そのときのマッカーサーは、戦争初期のバターン半島のときとは違い、万全の準備のもとに大軍を率い、完全な勝利の確信に満ちて戦いに臨んでいたからである。

さらに、マッカーサーの目前まで迫った日本艦隊は、途上や帰路において多大の損害を受けはしたが完全に撃破されることなく日本本土に多数の艦艇を持ち帰ることができた。

マッカーサーは、自らの盤石の布陣にもかかわらず敵に追いつめられ、さらにその敵を取り逃がす結果となったわけである。

そしてこれが、マッカーサーの後の対日政策に大きく投影したことと考えられる。

そして神話たりうる物語が残った


フィリピンおよびその周辺では、多くの海空戦や陸戦が行われた。戦後、フィリピンのミンドロ島からかろうじて生還して作家となった大岡昇平は、ぼう大な著書『レイテ戦記』にその全貌を書き記し、『野火』においてこの戦域の陸戦で倒れた多くの日本兵がたどったであろう悲惨な運命の物語を書いた。

個々の海戦のなかにはこんな戦いもあった。駆逐艦「初月(はつづき)」の最期だ。包囲されて傷つき退避する味方の小艦隊を助けるため、「初月」はただ一艦、独断で反転し、追ってきた敵艦隊に向かう。激しい砲雷撃戦のすえ撃沈され、生存者は皆無だった。包囲した米艦隊は、そのあまりに豪胆なふるまいに「初月」を駆逐艦とは考えずに重巡洋艦と誤認し、艦隊ごとほんろうされて足止めをくらう。その虚をついて味方艦隊は北上して退避に成功する。

平家物語や、楠木正成の湊川の戦いの絵巻物を見ているかのような、みごとなそして悲しい戦いぶりだった。

まさに、民族の神話を書き残してくれたと前述したゆえんである。われわれは、このような戦いをおこなった者たちの子孫であることを誇りとしなければならない。