2018/12/30

IWC離脱、戦前の「国際連盟」脱退と相似形

日本は、IWC(国際捕鯨委員会)からの離脱を表明した。これをめぐってさまざまな議論があろうが、これはかつて日本が歩んだ暗い歴史 ―― 国際連盟からの脱退と相似形である。

この離脱にいたるまで、日本の挙動についてIWCでどのような議論や決議が行われたのか、それはきわめて重要なことではあるが決定的な問題ではない。問題はこのような岐路において離脱を選択したという事実である。「非を認めて逃げた」という解釈が成り立ちうる選択肢であろう。

なぜその場に残って議論をねばり強く続けないのか。かつて、このような選択を行い、解決のない混迷に突き進んだ暗い歴史があったことは、その後、重大な結果をむかえてからさまざまな人々が幾度も悔恨の言辞を通じて表明してきたことではないか。500万人にも及ぶ戦死者は何のために死んだのだ?

なぜ? なぜ放り出して、議論の場から立ち去ったのか?

IWCにおいて議論を続けよ


日本は1931年に、日本の現地軍(中国大陸に駐屯する日本軍)が「満州国」を建国した。

このとき、1933年2月、国際連盟総会は「リットン調査団」報告書を審議し、日本の代表である外相松岡洋右は満州国を自主的に独立した国家であると主張したが、審議の結果、反対は日本のみ、賛成が42カ国で可決された。 これを受けて日本政府は翌3月、国際連盟脱退を通告した。

当時の混乱した中国の事情を見れば、「満州国」の存在も許容できうるものであろうが、ここでは、その議論を行わない。

それからの日本の国際的な孤立は、歴史にある通りである。ついに1941年、真珠湾攻撃と同時に太平洋戦争開始。1945年、敗戦となる。500万人にもおよぶぼう大な戦死者、焦土と化した国土、原爆、...。

もしあのとき、国際連盟を脱退することなく議論を続けていれば歴史は大きく変わっていただろう。日本人の気質として、「議論」を避ける、「議論」はもはや交渉が決裂した状況であると考えてしまう傾向がある。しかしこれは大きな間違い。欧米を始めとする国際社会では、「議論」はたんに交渉が始まったにすぎないのである。

反捕鯨国勢力は今回の日本の選択について、日本を一気に土俵際まで追い詰めたとほくそ笑んでいるであろうに違いない。

これを見れば、このIWC離脱は、まさしく、この「国際連盟脱退」と相似形であると知れる。

日本の政治家の繊細すぎる政治感覚が問われよう。また、一部の海外のメディアは「シーシェパードの勝利」などと報じている。問題を中途で投げ出したと解釈されるであろうことは、論をまたない。

日本は断じて、IWC(国際捕鯨委員会)に残留し、その正当性をねばり強く主張すべきである。どうしてそれができないのだろうか。

孟子いわく
自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん
と。

もし、IWCにおける日本代表があのW, チャーチルであれば、論戦ですべてをひっくり返し、新たな展開を切り開いたであろう。

日本代表よ、しっかりせよ。何をおそれ、何をためらっているのか?

捕鯨そのものより、IWC離脱が世界で悪評


たとえば、国連環境委員会の議長だった、エリック・ソルヘイム氏は、BBCに対し
日本のIWC離脱はきわめて危険だ。日本に再考を求める。これでは、せっかく合意してきた合意事項が、各国の利害で空中分解してしまうことにつながる...。
Japan will start commercial whaling.
Let’s ask Japan to reconsider!
It’s dangerous when nations break out of global agreements and start setting their own rules.
とコメント。世界で悪評なのだ。これでは捕鯨どころではなくなるのでは...。主張があれば交渉のテーブルから去ることなく自己主張し続けるするのが国際社会での鉄則なのだ。

世界の論調は日本にきわめて手きびしい。日本代表よ、席に戻れ! あくまで、ひるむことなく主張せよ。



2018/12/09

移民による労働力依存は亡国の第一歩

日本は移民により、安易に新たな労働力を獲得しようとしている。そもそも、かくも大胆にカジをきる必要があるのだろうか。なぜ、こうなったのだろうか。

また、それにより何がもたらされるのだろうか。それを論じてみたい。

「品質」についての過剰で貪欲で異常な要求


コンビニ・スーパーなど小売店における消費者の品質への要求は、必要な限度をとっくに超越し、その実態はもはや、世界屈指の異常な状況になっている。コンビニなどへは「品質・鮮度保持」と称して、一日に何度も少量づつを配送するために車両、そして人員を配備し、それを駆動するための多大な燃料を消費しているのである。

これが物価を押し上げていることは言うまでもなく、また、ぼう大なの労力と資源を必要としていることも容易に理解できることである。これらの「労力と資源」は、間違いなく、まったく無駄に浪費されているのである。

また、日本の生産物の「品質」は世界一であると誇らしげに豪語しているが、これは同時に大量の資源と労力を浪費していることと表裏一体なのである。「品質保持」を実現するため、大量の廃棄物 ―― 消費期限切れと称して ―― が発生しているのである。

嘆かわしいのは、このことを論点とした経済学者など専門家、流通のプロからの提言・指摘がまったく聞こえてこないことである。いったい、彼らは何をしているのか?

日本人は、ピカピカの製品、みずみずしい野菜、やわらかな精肉、出来立ての料理...が、あたりまえで当然とするようになった。これは、一面において大いなる堕落である。ほんの少し前の日本人は、一粒のコメを、大切に食べていたのものだ。日本人の精神構造は、ある時点で、完全に崩壊したのだ。

古代ローマ帝国がなにゆえに滅んだか? 帝国全土から流入する物資をふんだんに消費し、市民は競技場などでの連日の遊興を楽しむのみで、生産・建設への気風を失ったからに他ならない。では古代ローマ市民は必要とする労力をどこから調達したか? 属州からの「奴隷」の調達でまかなっていたのである。

今回の日本の選択に、相似形で重なるのであろう。

そして、そもそも、まったく論じられないことであるが、われわれ日本人は悲しいことに、組織だって「人肉」を食べざるをえなかった人類最後の民族なのである。フィリピンのレイテ島、ルソン島、ニューギニアの島々などにおいて...。ほんの70年前のことだ。

「野坂昭如『火垂るの墓』は、つい昨日のことなのだ。

その、ほんの少し以前までろくに喰えもしなかった日本人が何を血迷って、ゼイタクをするのだ。

「徴用工問題」すら解決していないのに...


現時点で日本で労働する「技能実習生」すら、やがて母国に帰り、しばらくしてその時点での日本人一般との労賃の格差についてこれを「未払い」とし、大規模な訴訟を起こすであろうことは想像に難くない。その覚悟はあるのだろうか。

さらに、先の大戦までに某国などから調達した労働力について、その支払を求められている(徴用工問題)。これについて解決の端緒すら見出すことができないでいる。幾度も、どのような「解決」を講じても、彼らは何度でも「未払い」と称して請求してくるのである。

これらを解決することすらできていないのに、いったい、どうするのだ。

日米近現代史研究家の渡辺惣樹氏は、
移民との蜜月は長く続かない...
として、日米間のあの戦争も、日本からアメリカへの移民が原因の一つだったと、鋭く指摘している。(2019/01/16 産経新聞)

欧米の植民地主義の結末は


ロンドンやパリは、もはやかつての精彩はない。かつて「花の都」と謳われたパリは、いたるところゴミだらけであり、裏通りは異様な臭気に満ちている。日本はこのような選択を、今こそ行おうとしている。

さあ、どうする。それでも、やるのか?



2018/09/30

日本の国家機関を徘徊する無気力という妖怪

一匹の妖怪(ようかい)が、日本の国家機関を徘徊(はいかい)している──無気力という妖怪が。およそ古い日本のすべての権力が、この妖怪を祓い(はらい)清めるという神聖な目的など考えもせず、同盟を結んでいる。 

この
    一匹の妖怪が...徘徊している。
    妖怪を...せず..
とは、マルクスの『共産党宣言』序文に書かれている有名な言い回しである。

そして、この「妖怪」が、今こそ、日本の国家機関を徘徊している ― 祓い清めることもされずに...。 

 昼夜を分かたずの無気力 

 民間の企業であれば、出世コースを外され、能力を問われて傘下企業へ「肩たたき」で追放、あるいは、退職を勧奨されることがある。そうしなければその企業自体が競争に負けて困難な状況となり、存在理由を問われるからだ。 

ところが、日本の国家機関では、それがない。仕事がなくてもデスク脇のソファーで夕方までは、ご同様な境遇の「同僚」と、すし屋にあるような大型の湯のみ茶碗を持ち寄って茶飲み話をやり、就業時間が過ぎれば、それをビールに切り替えて楽しい時間を毎日、過ごせるのだ。もちろん、この人々の人件費も税金から支払われている。

文字通りの「穀潰し(ごくつぶし)」である。 某中央官庁の地下の、ある「地下売店」は、大瓶20本入りのビール瓶ケースを大型台車に積載しての納入に、毎日、大忙しであった。1フロアで、毎日々々、数十ケース、全階で数百ケース、本数にして数千本は納入しなければならない大得意様である。それはもう、ああ、もうかって仕方がない。詳細は、他稿ですでに書いておいた。 

ゴルバチョフは見た 

かつて、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の最後の大統領、ゴルバチョフ氏(ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ)は記者会見で、西側の記者から社会主義の非効率をなじられたとき、ニヤリとして、 いや、社会主義が、ただひとつ、成功している先進国がある。 それは、日本だ。 と言ったと伝えられる。 現実に、筆者のある知人がソ連時代の首都モスクワへ行ったときの話だが ――: 

港のトイレ内の広いフロアに、清掃用モップを持った「彫像」がある。さすが「労働者の国」と感心して近寄ってよく見ると、なんとそれは人間の掃除夫さん。 なぜなら、わずかに、非常にゆっくりとスローモーション映画のようにわずかに動いている。何かのパフォーマンスなのか? あるいは、ノンキで不思議な清掃員だといぶかりながら通り過ぎた。そして数時間後、やはりその同じトイレへ行くと、彼は、なっ、なんと、ほんの数メーター先の位置で彫像のように、まったく同じ動作をしていたそうである。 彼は、その「ノルマ」をこなすためだけに、彫像に近い緩慢な動作を、大まじめに、平然と、公然と、厳粛に、「労働者」の矜持を持って、誇らかに、行っていたのだ。 

かの清掃員氏には、これこそが共産主義国家における労働者の偉大な「仕事」だったのだ。 しかし、笑うなかれ、日本の中央官庁は、じつは、このような状況と大差ない。さすが慧眼(けいがん)のゴルバチョフ大統領は、よくこの状況をすっかり見通していた。日本の中央官庁の体たらくを(スパイを使ってか?)すっかり把握し、知っていたのだ。前述の清掃員氏のほうが、わが日本の某省庁でビールをあおっている自堕落な連中より、ほんのわずかに、ましではあるが...。 あのゴルバチョフ閣下も驚愕の事実だ。そして、これが北◯◯なら、いくらなんでもこのまま放置はしないだろう。全員を機関砲で銃殺かな...。 

省庁に必ず存在する「記者クラブ」がなぜ問題なのか ?
 
役所で、ろくに仕事もせずに楽しくビールを飲んでいる連中が、もし万一、存在すれば、これを記事にして告発するのが、メディアの重要な仕事なのだが、わが日本では、絶対にこれをやらない。やれない。なぜか? かれらは「記者クラブ」という制度において、特権的に、これら省庁の「飼い犬」となっているからだ。およそこの世には、飼い主に噛みつく飼い犬はいない。これをやれば、飼い犬は放逐され、野良犬となる。だからひたすら「大本営発表」方式で、21世紀にもなったというに、有り難く報道しているのだ。 各省庁におごそかに鎮座する「記者クラブ」室とは、飼い犬の『犬小屋』なのだ。 

「無気力という妖怪」に対しての、ほとんど唯一の特効薬は、メディア・報道機関からの告発・摘発・つっこみなのだが、わが日本においては、これはほとんど効果がない。効かない薬なのだ。だれもこんな記事を書かないからだ。いや、むしろ、「妖怪」さんたちを元気づけるに寄与しているとさえ言える。 

ごくまれに、きわめて優秀で、なおかつ、国家を憂え、この士気が低下して弛み切った状況を憂え、改革しようとするような気高い志操(こころざし)を持つ官僚が省庁内にあらわれることがある。しかし、これを葬り去るのは簡単、容易である。このように組織に対して負荷を高めるような、そんなとんでもない高い志操の持ち主は、凡百の小役人にとっては百害こそあれ何の利益をもたらさない。わずらわしいだけの存在だ。 

組織の結束や調和を乱すものは、すべからく排除の対象となる。これを、社会主義国家群では、「粛清(しゅくせい)」という。組織の安泰こそが、その存在目的、存在理由となる。 業績への毀誉褒貶(きよほうへん)、世間の評価などは、いかようにでもできる。スキャンダルでもなんでも、探しだすのは、そんなに難しいことではない。さらにそれに加えて、メディア、マスコミはこぞって、協力し助けてくれる。「世論」など、メディアを使えば容易に操作できる。 こうして、「お役所」と「記者クラブ」は、和気あいあい、濃密な関係でおたがいが持ちつ持たれつで、すっかり出来上がっているのだ。彼ら、それぞれが、みずからの存立自体のみが自己目的となっているからだ。 

これこそ、『旧ソ連圏』のいわゆる「社会主義国家」が目指していた理想郷ではなかったか? そう、「邪魔な存在は粛清」するのだ。

ゴルバチョフ氏の指摘は、きわめて、意味深長である。         

2018/09/23

靖国! ── [2] 陸海軍では靖国を警戒していた

かつてのこの国 ―― 大日本帝国には陸軍と海軍が存在した。これをあわせて帝国陸海軍と称した。

陸海軍の部隊が、靖国神社に部隊単位で拝礼したことがあったとしても、それは正式な作戦行動や陸海軍の行事としてではなく、あくまでその周辺的な行事として行ったにすぎない。そしてさらに重大なことは、帝国陸海軍では「靖国教徒」を警戒していたという事実である。


靖国教徒をもっとも警戒していたのは帝国陸軍


これは帝国陸海軍の従軍者の存命者が少なくなった現在、ほとんど語られない事実であり、敗戦以前であっても公然と語られることがなかった事実でもある。それは何と、陸軍ではいわゆる「靖国教徒」を警戒していたという事実である。

軍事組織は前線において、将校である指揮官(場合により下士官)の指揮のもと、一糸乱れぬ厳正な統率が行われなければならない。その時、この「指揮命令系統」と、それと併存する「靖国精神」が存在することは、作戦行動を行ううえで有害でこそあれ何らの助けとはならない。軍事組織としては当然の論理である。

したがって、とりわけ陸軍では「靖国!」と絶叫してヒステリー状態となるようなタイプの兵士を警戒し、「命令が絶対」であると諭(さと)していた。上官の命令は、天皇の命令(につながる)としていたのだ(「軍人勅諭」)。組織として行動するとき、さまざまな価値観が並存し、それをいちいち持ち出されては作戦行動が取れなくなるからだ。軍紀は厳正で絶対とされていたのだ。

現場の指揮官は、この「靖国キ●●イ」の扱いに苦慮していた。

そして、「軍人勅諭」「歩兵操典」などから始まるさまざまな「マニュアル」には「靖国」はただの一度も出てこない。命令の遂行において、命令系統が一直線であり疑義の余地はないとされていた。

これは他国のいかなる近代的な軍事組織においても同様であり、大日本帝国においても同様に行われた。

また、
「貴様、アーメンか!」
とクリスチャン(キリスト教徒)の部下兵士を罵倒し殴打したとしても、それは上官の正規の命令ではなく、ただの個人的な横暴にすぎないとされ、帝国陸海軍ではこれをも正式には厳禁していた。兵士は「陛下の兵」であって上官の私兵ではないからだ。

また、実際には頻発していた下士官による下級兵士に対する制裁や暴行も、建前としては厳禁していた。

しかし、もっとも恐れていたのは「靖国!」を絶叫し、指揮官による指揮統率に従おうとしないタイプである。

作戦行動の目的はすべて、敵の戦力を破砕し、戦意を喪失せしめることのみにある。それ以外のいかなる論理も、実際には過酷な軍事行動の命令への拒否として、とくに陸軍では大きな問題とされていた。したがって、陸軍では、なにかにつけて「靖国!」を絶叫するタイプを警戒していたのだ。

そしてこの事実すら、もはや、どのような文献にも記述されてはいない。この記事は、帝国陸軍における下級将校だった人物に直接、取材した事実にもとづいている。

問題は慰霊方式が確立していないということ


現在、日本の戦没兵士の慰霊の場としては「靖国神社」のみがそれに相当するかのように、識者までがそのように言及することがある。しかし、それはまったくの誤りである。

帝国陸海軍では、最高指揮官である「大元帥陛下(天皇を指す)」のため、もしくは天皇から授与された軍旗の栄光の下に死ぬことはあっても、それ以外の価値観を持ち込むことは絶対に許されなかった。そこには「靖国」が言及されることは絶対になかったのだ。

そして、あの、毎年の8月15日、特定の政治的あるいは反社会的勢力が結集し、大規模な道路占拠や品位を欠いた騒然たる示威行為がおこなわれる施設が、この国の唯一の戦死者の慰霊施設であるとしたら、これこそ、これらの騒乱こそ、戦死者に対しての冒とくであろう。このようなことで彼らの魂(たましい)が安んじるとは、とうてい考えられない。これこそ、彼らの事績を土足で踏みにじる行為であろう。

戦死者は、国家の戦争行為の発動としての行動中にその結果として死に至ったのであって、これを慰霊するのは、国家として、その国の国民として、当然に行わなければならない行為である。

また、戦死者には浄土真宗や日蓮宗などの「仏教徒」もいたし「キリスト教徒」も存在したのである。かれらは死後は「西方浄土」や「天国」へ召されると確信していたのである。なかには「何が靖国神社だ!」と反発した兵士もいたであろうし、さらに重大なこととして、昭和天皇は靖国神社へはある時点から絶対に参拝に訪れることはなかったことが挙げられる。

そして、さらなる問題は、国家がかつての戦死者をいかなる形式にせよ何らの尊崇と慰霊の姿勢を示さないことにある。ここに、本稿で問題とする、このいわゆる「靖国教」が入り込む余地があったのである。

あの、下品で粗野な「靖国症候群」とも呼称しうる行事・勢力が、使命を達成するために歴史に殉じた幾多の戦死者の魂(たましい)を、安んじられるはずがない。(使命 ―― これについては、本ブログの別稿において、述べる)

また、つい最近、朝鮮戦争における米軍の戦死者の遺骨が返還されたと報じられた。それだけではなく、第二次大戦の戦死者の回収については、連合国は非常な熱意をもって実行し、最大限の礼式と典礼をもって埋葬までの手続きを行ってきた。

兵士が各自、身につけていた「認識票」から個人特定を行い、墓標にはできうるかぎり正確にその姓名と没年を記述し、一人づつ墓標を建て埋葬している。正規の合衆国儀仗兵による葬列と葬送のラッパは、きわめて荘厳なものであり、一人ひとりが国旗に包まれて葬られる。この光景は、今を生きるわれわれに、立場の違いがあったとしても、さまざまなことを考えさせずにはおかない。

にもかかわらず、日本では戦死者に対して個々人の墓碑が建てられ、その姓名が記述されたことはない。残された遺族が個人で建立した墓標があっても、そこには一片の遺骨すらない。遺骨収集団が持ち帰ったとする「遺骨」は十把一絡げに大型容器に入ったままである。せめて、その地で戦没したであろう人物の氏名くらいは、記述できないものか...。なぜ、それすら、しないのだ? 

そして日本の戦死者は今もそのほとんどは、はるかなる山河や、深淵、あるいは、雲流るる果てに、捨て置かれ、放置されたままなのだ。その最期の瞬間に思い描いたのは、家族や祖国の風景であるに違いないのに...。

靖国教徒たちよ、それほどの情熱があるのなら、品位を欠いたあのような騒乱状態を演出するのではなく、真の慰霊の行動を開始せよ。

さあ、起て!靖国教徒よ


激戦が行われ、近年になってようやく日本へ返還された「硫黄島」では、今だに数万人の戦死者が、地中で、塹壕で、滑走路の下敷きとなって、放置されたままである。あの旧敵国において映画にさえされた、この島における当時の最高指揮官ですら、どこで戦死し、どこに埋められているのか、それすら解明されていない。誰も、この国の国家機関ですらこれを解明しようともしない。放置したまま知らぬ顔である。これはいったい、どうなっているのか。こんなことが許されるのか。

「靖国」でこれだけ議論しておきながら、この硫黄島の戦死者への扱いは、まったく理解ができない。また、あれだけ「靖国」で騒いでいる勢力も素知らぬ風情であることが、不思議でならない。

そして、そもそも、この「靖国!」と絶叫することと、靖国神社に祀られている(祀られるはずである?)戦死者とは、実際にはいかなる関係にあるのか、賢明なる読者諸氏には理解できる人物は存在するのであろうか。あれば、説明してほしい。筆者には少なくとも、まったく理解ができない。

真に、本当に、戦死者を心から悼む(いたむ)のなら、すべからく、靖国教徒たる者たちは、北は満州、南はパプア・ニューギニア、東はミッドウェー、西はインドにいたるまでの地域・海域に分け入り、300万ないし500万人に達するという戦死者の骨を、黙して拾って来るべきである。さあ、今ぞ起て、靖国教徒よ!

それでこそ、その努力こそが、はじめて彼ら、戦死者の魂(たましい)を救うことにつながるであろう。

そこで直面するであろう累々たる白骨や飛散した残骸に対峙することこそが、歴史の負の断面を、現代に生きるわれわれに深く考えさせることにつながるのである。これこそが「慰霊」なのである。

大岡昇平が描いた戦死者たち


作家の大岡昇平が書いた「レイテ戦記」には、日本の部隊(第57連隊)がフィリピンのレイテ島に上陸し、行軍を開始して直ぐにに米軍の砲撃を受け、「連隊旗」を奉持していた連隊旗手、田中忠美(たなか ただよし)少尉を直撃した、とある。少尉は戦死し、さらに他に戦死者、重傷者がでた。すぐに高橋少尉がそれに替わって、直ちに行軍を続けたという記述がある。この田中忠美少尉らはその地点に、放置されたのだ。
...200メートル前進してから、軍旗を身体に結びつけるバンドがないのに気がついた。内山軍曹が引き返し、田中少尉の死体からバンドをはずして持って帰った。
たとえば、この田中少尉の戦死体は、いったいだれが収容するのか? 「連隊旗手」が「連隊旗」を奉持して行軍することは、その連隊における最優秀の少尉が担当するきわめて栄光ある、栄誉に満ちた任務だった。この将校にしてこの扱いである。

「連隊旗」(大岡昇平によれば「聯隊旗」)とは、天皇から特定の連隊ごとに直接に授与されたものであり、出先の部隊では、まさにそこに天皇が臨在するのと同様な解釈がされていた光輝に満ちた存在だったのである。

さあ、「靖国教徒」よ、この田中忠美少尉(の遺体)を収容に行かないのか? 彼はきっと待っているに違いない。さらに、
...道路は(米軍の砲撃で)到るところ大穴があき、路地には友軍(日本軍)の死体が放置され、空中は死臭に満ちていた。...
とある。このとき、周辺は日本軍兵士の累々たる戦死体で満ちていたのだ。そして現在でも、彼らは、フィリピンのレイテ島タクロバン周辺に遺骨となって捨て置かれたままである。

筆者の家族だった者が、もし、今だにはるかなる山河や深淵に放置されているのであれば、その遺骨の一片なりとも、この手にしたい。万難を排して現地へ赴き、その埋められた場所の土壌の一握り、岩石の一片でも、持ち帰りたいと思う―― これこそ、慰霊であろう。

くり返すが、旧連合国はこれを連綿と現在に至るも行っているのである。

さあ靖国教徒よ、どうする。行かないのか。




2018/08/16

STAP騒動 ― 追試の費用と時間をどうしてくれる

追試に要した費用と時間をどうしてくれる

これは、カリフォルニア大学医学部のポール・ノフラー(Paul S. Knoepfler)博士の主張である。同時に、この分野の研究者の異口同音の絶叫でもある。


STAP細胞が実在するのが否か ― これはここでは問題にしない。小保方氏は、今、どうしてる ― これをもここでは問題にしない。これは週刊誌の記者諸氏にお任せする。

ここで論ずるのは、日本の研究機関、研究者、メディアがまったく問題にしない、あるいは知らぬふりをしているこの問題についてである。

追試に要した費用と時間をどうしてくれる ― これだ。

ノフラー先生はじめ、世界中のこの分野の研究者は「カネ、返してくれ! オレの時間、損したよ!」と絶叫しているのだ。STAP細胞研究関係者、関係研究機関は、何たることか、いっさいこれに応えず素知らぬふりだ。

「追試」とは、論文において新しい科学の成果が発表された場合に、その成果を実験を再度、行うことによって確認することだ。

STAP細胞の論文が世に出たとき、全世界の分子生物学の科学者は、ほぼ、一斉に追試を開始した。科学の世界は過酷である。STAP細胞の存在が真正のものであれば、すぐにでも、それを超える次世代の存在を発見・創造しなければならない。これへの日夜を分かたぬ努力は、つねに、全世界の研究機関で行われている。

そのむかし、日本の「ゼロ戦」が戦場に現れたとき、世界は驚がくし、そして連合国側は、それを越える性能の戦闘機の開発を猛烈な勢いで開始した。そして、ほどなく「ゼロ戦」はまったくの時代遅れのシロモノに転落した。科学研究の最前線は、これと同様である。

ところが、やがて、このSTAP細胞が単なる「ガサネタ」であったことが露見する。が、しかし、ここから、科学特有の難しさが始まる。
悪魔の証明 / ラテン語:probatio diabolica、英語:devil's proof
の論理につながるからだ。ラテン語になっているくらいだから、昔からあった「いわくつき」の難問だ。

悪魔の証明のレトリック

STAP細胞については、依然として今でも実在を検証したという報告や「ありうる」という報道、議論がある。それを主張するのは、ジャーナリストであったり、科学者であったりする。

絶対に存在しないということを科学的に証明することは、もはや、 いわゆる「悪魔の証明」の議論に属するので、これを結論とすることは論理的に不可能である。参考までに説明すると、
悪魔が存在しないことは証明できないから、悪魔は存在しうる
というレトリックだ。これを議論することは、ほとんど、無意味である。ここで、あえて、ほとんどとしているのは、科学の歴史を見るとこれと見まがうことがあったからだ。

そして、「STAP細胞」を見たという研究者は、この世に、少なくとも一人は存在している。つまり、悪魔を実際に見たという主張と類似するのである。これを否定することは、容易ではない。

新しい学説はつねに狂気じみている―STAP細胞と地動説

また、科学の歴史において、革新的な説は、当初はかならず否定的に扱われる。

たとえば、ガリレオの「地動説」。そのむかし、良識ある人士は「天動説」を、アプリオリ(先験的)に不朽の真理としていた。当時、地動説を唱えることのリスクは、あらゆる意味において、おそらくは「STAP細胞」の比ではなかったはずだ。宗教裁判で、「それでも地球は動く」とうそぶくガリレオは、その当時、間違いなく「狂気」に見えたはずだ。

科学には、こういう側面もあるということを知っておいてほしい。

なぜ「STAP細胞事件」が起きたのか

また、まったくの「妄想」の域を出ないが、この研究とその報告である「論文」騒動は、このように結論すれば、すべてが理にかなった説明になる。一つの「説」としてお聞き願いたい。

最近の研究機関(研究所、大学)は、予算において、きわめてきびしい状況にある。成果をださないとその存立自体が難しくなり、存在理由(レゾン・デートル)が問われるのだ。上部機関からの「成果」に対する要求・要請は、売上ノルマを問われる販売担当を想起すれば分かりやすい。

具体的に言えば「予算」で締め付けが行われる。研究者となるのも、また、よほどの優秀さでないと難しく、艱難辛苦のすえに博士号を取得しても、まったく職につけないということももはや当たり前となっている。

だから、たとえれば、こんな状況だったと喩え話で考えると、一般の人々には分かりやすい。

今はもう、すっかりなくなったが、むかし、縁日へ行くとよくこんな出し物の「見世物小屋」があったものだ。

『ヘビ女小屋』である。ヘビのように首が伸びる女を見せる「見世物」。いわゆる、「キワモノ」であるが、ヒトはこのようにわくわくドキドキするものに心惹かれるものである。科学もこんなところがある。

独創的業績 ―― 最先端の成果 ―― こんな「殺し文句」のようなセリフに心惹かれるのは、何も普通の市民のみではない。予算を出す、◯◯◯◯省もこういうセリフにコロリとだまされたのである。「成果主義」がすべてを決定する風潮が、最近、とみに顕著となってきている。これが背景にある。

この見世物『ヘビ女小屋』には、以下の三者が関わっている。
  1. ヘビ女
    ヘビのように首が伸びる女がいる。これが「見世物」である。今は、もちろん、人権の問題があるから、今はこんなことはありえない。むか~し、のことである。
  2. 口上師(こうじょうし)
    これを特有の抑揚ある『語り』で客引きをする男が、どうしても見たくなるような独特な語り口で、口上を述べ、見物客を誘う。独特の「語り」は、怖いような、ぞくぞくするようであり、ちょっとでも聞くと、もう、入って見るしかないくらい、好奇心を刺激する。
    「見てやってください、かわいそうな子でして...」
    が、殺し文句の常套的セリフ。「もし、違っていたら、お代はいらないよ」とも ―― 意外と良心的?
  3. 座長
    そして、すべてを取り仕切る「興行主」である座長がいる。
1は、言わずと知れた、あの有名な人物。
2は、前者を世に出し、その後、責任をとわれた人物。
3は、あの有名な機関を統括した人物。

知るかぎりにおいて、研究室(居室ともいう)という「個室」の壁面の色を派手に塗り替えた人物は、日本には、二人はいる。1の人物と、3の人物だ。これが、いったい、何を意味しているかは、ご自由に想像いただきたい。


2018/06/25

官庁・役所 ― おどろきの非能率

お役所へ手続きのために行ってみると、ああ!


今回は、驚くべき非能率を平然と行っていた、労働関係の某役所の、少し以前の話題だ。

この話、ある人物に話したところ「昔のソ連と同様だな」とコメントがあった。そういえば、ソビエト連邦最後の大統領ゴルバチョフは、西側の記者から社会主義の非効率をなじられたとき、
いや、社会主義が、ただひとつ、成功している国がある。 それは、日本だ。
と述懐したそうである。しかし、今回の話題は、そのゴルバチョフ閣下も驚くであろう物語だ。

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どうしても行きたがらない担当者に泣きつかれ、まったくの所管外の仕事ながら、東京の〇〇橋に行った際の、とあるお役所について、語ろう。企業に入退社すると、その手続として、労務関係のその窓口に、書類を企業から提出しなければならない。それだ。

該当のフロアーへ行くと、驚くことに、大病院の薬局で投薬待ちの外来患者のように、数百人の人々が長椅子に腰掛けて、待っている。

カウンターが10箇所くらいあり、それぞれ、2、3人の係の女子事務員さんが立って、待機している。

「株式会社~~さーん」と、左のカウンターから順に、呼ばれて、そこに書類を持って行くと、ちらっと見て、記載内容について講釈したり、スタンプ(受領印)したりしてくれる。それを、10回ほど繰り返すというわけだ。それぞれの間隔が、数十分。だから、全部、終わるのに、数時間はゆうに必要となる。たっぷりの一日仕事だ。

ただ、要するに、複写の書類を提出し、受領のスタンプをもらえばいいのだ。

だから、数百人が長椅子で待っているわけだ。だから担当外であるこの仕事が強引に、押し付けられたわけだ。

入室してその光景を目撃した瞬間、その異様さに「あ然」とし、どう考えても、これが必要不可欠な手続きであるとは考えられないことに、気づく。それに自分自身の仕事が山ほど、滞留しているのに...。

ここは一つ、非常手段の行使を行い、数分で切り抜けようと、意を決する。合法的に...。

まず、一つ目の受付に行く。長~い説明を聞いているうちに、まったく無意味なことをやらせようとしていることに気づく。そして、以下の物語を思い出した。

成規類聚、というマニュアル


斬新な視点で一世を風靡した評論家の山本七平は、かつて所属していた帝国陸軍におけるさまざまな書類上の手続が書かれてある規則書であるところの

成規類聚
(「せいきるいじゅう」と読む)

なる文書について言及している。ちなみに山本は、100人のうち96人が餓死・戦死した戦線(フィリピン・ルソン島北部のアパリ)からの数少ない生還者であり、この種の何の役にも立たない馬鹿げた規則について、満身の憤怒と悲しみをこめて批判、述懐している。

圧倒的な戦力の米軍と向かい合い、凄惨な飢餓状態のさなか、いま、まさに戦闘が開始されようというのに、この規則集を持ちだしてグダグダ言う連中が、大日本帝国陸軍には存在したというのである。

そして、悲しいかな、このグダグダ言っていた連中も、それに反抗して資材を掻っ払って戦闘に従事した連中も、その後、みんな戦死か餓死したというのである。要するに、なにもかも、すべてが無駄・徒労だったのだ。

戦後、東京の大本営から停戦命令とともに「所在の米軍に投降せよ」という命令が届いたあと、部隊でただ一人だけ英語ができた山本少尉は、従兵(将校の世話をする兵士)を伴い、使者として米軍と接触して投降の段取りを、米軍側と協議する。そして、協議を終えて所属部隊へ帰るとき、往路の途中で飢餓で歩けなくなって残置してきた従兵を収容するため帰路を急ぐと、彼の餓死してウジにおおわれた死体に出会い、号泣する。

出発に際し、山本は従兵へ「そんな体で付いて来なくていい」と言ったらしいが、「こんなときに、山本少尉殿を一人でやるわけにはいかない」と言ってきかず、無理して同行したという。山本は、彼には米軍への使者として出発する山本が唯一の生きる希望に見えたのだろう、と回想している。

山本は、結論として、どうでもいいからできるだけ良好な結果となるよう、自分の頭で全力で考えて行動せよ、と結論している。真面目で規則通りに忠実にやっていた連中は、みんな餓死し、アパリの土になってしまった、と。

また、帝国陸軍は、米軍と戦う以前に、すでにみずから崩壊し、敗北していたのだ、と...。

マニュアルがあるなら...


そこで、この役所では、以下の通りに行動した。一つ目の「カウンター」へ呼ばれて行った際に、以下のように、可能な限り、ていねいにお願いした。
本日の当方の目的は、急ぎ、この書類を提出して、受理してもらうだけの簡単な手続きのみであります。このような長時間で煩雑な手続きがどうしても必要なのなら、それを記した「規則集」なる文書が当然にして存在するはずです。それを、まずは、拝見したい。手続きというものは、やはり、規則通りにやらねばなりませんから...。
受付嬢は、キョトンとしている。それはそうであろう。こんな懇請を行う輩は、後にも先にも存在せず、空前絶後のことだったにちがいない。

とにかく、早く見せろとうながすと、奥の「ハゲ頭」氏のデスクへ行き、何やら相談している。「ハゲ頭」氏は、さらに後に位置する書類棚から、なにやら、厚さ数十センチはあるファイルを取り出し、頁をめくり始めた。待つこと5分くらい...か。

要するに、そんな事は、ここのマニュアルのどこにも記述などないのだ。そろそろ行動開始だ。
どこにも書いてない規則をタテに、このような長時間を拘束するとは、何ごとですか。勝手に「独断専行」でこんなことをやっているのでありますか? そうだとしたら、はなはだしい「専断逸脱行為」ですぞ。
「ハゲ頭」氏は、さらに必死になって文書に食い入っている。役人はこの言葉、「独断専行」や「専断逸脱行為」という語彙が、悪魔のように恐ろしいのだ。この方法で、他のすべてもカウンターでの処理(と言っても、ただ受理印のスタンプをもらうだけ)を次々と一気に通過し、合計して10分位で終了。なんのことはない。

しかし、後ろのソファーで、すでに数時間も待たされている大勢の人々は、皆、あ然としている。山本七平先生が、ニャとしている表情が脳裏をよぎる。退出するに際し、
まことに有り難うございました。心から感謝申し上げます。 ところで、このフロアの大勢の手続き要員さんたち、これ、この雇用自体が、『失業対策事業』であるわけですね。な~るほど...。
と、やや大声で言うと、ざわめいていた満座のフロア全体が、一瞬、静寂に包まれた。

ところで、この「専断逸脱行為」という用語は、もちろん、これも山本七平先生からの受け売りであって、かつての帝国陸軍においてさえ、悪魔のように恐れられた違反行為であるのだそうだ。

2018/06/04

福島原発事故-驚きの背景

原子力の研究機関、その監督官庁ともあろうものが...


「日本原子力研究開発機構」という官庁がある。

その機関がまだ
日本原子力研究所
と呼称されていたころ、東京にある、日比谷公園の近くの壮麗なビルの最上階近く、数フロアを使って、この機関の「本部」があった。

ああ、安楽の日々

そして、そこには目を疑う、驚くべき光景が広がっていた。

仕切りなどまったくない、大きなビル、ワンフロアの吹き抜けのオフィスに、この機関の大勢の係官たちがいた。

ところが、である。そのうちのほとんど全てが、業務時間中にもかかわらず、デスクが集まるいっかくの合間、合間にある、対面するソファーの長椅子 ―― ここにそれぞれ集い、手に手に「寿司屋」でお目にかかるような大きな湯のみ茶碗を持って、楽しそうに談笑、歓談しているのである。

デスクに向かい、仕事らしいことを行っている風情なのは ―― 探してみれば ―― 事務員風の女性たちのみ。率直に言って「えっ! 何、これは?」という風情...。

これが、業務の合間のたんなる「休憩」でないことは、やがて、誰であれ、容易に理解できたあろう。

なぜなら、いつも、いつその庁舎を訪ねても、同じ風景であるからだ。そう、つまり、彼らは何と、ほぼ一日中、連日、「休憩」していたのだ。ああ...。

士気の低下、モラルの崩壊、公的資金の無駄(いわゆる税金ドロボウ)は、言うまでもない。このような状況を許し、平然としていた体制とはいったい何であろうか。

あの「優秀な」記者諸君、メディア各社は、なぜ、国民にこのあ然とする体たらくを報道しなかったのだろう。

これが「原研(日本原子力研究所)」の実態だった。

そして津波が


彼らは、いったい、何をやっていたのであろうか。

この幾年かのちに、福島原発は津波に襲来され、その結果、放射能をまき散らし、近傍の地域は人間の住む場所としては壊滅した。

油断しきってまったく仕事らしい仕事をせず、彼らの士気の低下は明らかだった。これを知っている者としては、原発事故についての彼らのいかなる説明、釈明も、弁明も、未来永劫にいたるまで、絶対に信用するつもりはない。

悲しいかな、どうして、組織が、人間が、ここまで堕落できるものなのか...。

原発が、たかが「津波」で、あのようなお粗末な結末をむかえ、そして、その後の対応も、まったくできなかったとは、なんたることであろう。

日本列島は、50年ないし100年ごとに、大規模な地震・津波に襲われていた。これは太古の昔から変わるはなく、これからも、何度も、数十年ごとに、大規模な津波の襲来を受けるであろう。このことは、たんなる自然現象であって、地球という惑星のさまざまな活動の一つに過ぎない。

原発事故は、いつ起きても何の不思議もない。具体的には、海洋に面した原発だ。

なのに、彼らは漫然とノンキに「茶飲み話」に、うつつをぬかしていたである。

「専門家」としてこのような事態に対応するために、巨額の国家予算を費やして運営されてきた専門機関なのにもかかわらず、やっていたことは、この通りだったのである。

「関係者」諸氏の釈明を ―― もし、あれば、であるが ―― ぜひとも、聴きたいものである。お願いしたい。