2018/12/30

IWC離脱、戦前の「国際連盟」脱退と相似形

日本は、IWC(国際捕鯨委員会)からの離脱を表明した。これをめぐってさまざまな議論があろうが、これはかつて日本が歩んだ暗い歴史 ―― 国際連盟からの脱退と相似形である。

この離脱にいたるまで、日本の挙動についてIWCでどのような議論や決議が行われたのか、それはきわめて重要なことではあるが決定的な問題ではない。問題はこのような岐路において離脱を選択したという事実である。「非を認めて逃げた」という解釈が成り立ちうる選択肢であろう。

なぜその場に残って議論をねばり強く続けないのか。かつて、このような選択を行い、解決のない混迷に突き進んだ暗い歴史があったことは、その後、重大な結果をむかえてからさまざまな人々が幾度も悔恨の言辞を通じて表明してきたことではないか。500万人にも及ぶ戦死者は何のために死んだのだ?

なぜ? なぜ放り出して、議論の場から立ち去ったのか?

IWCにおいて議論を続けよ


日本は1931年に、日本の現地軍(中国大陸に駐屯する日本軍)が「満州国」を建国した。

このとき、1933年2月、国際連盟総会は「リットン調査団」報告書を審議し、日本の代表である外相松岡洋右は満州国を自主的に独立した国家であると主張したが、審議の結果、反対は日本のみ、賛成が42カ国で可決された。 これを受けて日本政府は翌3月、国際連盟脱退を通告した。

当時の混乱した中国の事情を見れば、「満州国」の存在も許容できうるものであろうが、ここでは、その議論を行わない。

それからの日本の国際的な孤立は、歴史にある通りである。ついに1941年、真珠湾攻撃と同時に太平洋戦争開始。1945年、敗戦となる。500万人にもおよぶぼう大な戦死者、焦土と化した国土、原爆、...。

もしあのとき、国際連盟を脱退することなく議論を続けていれば歴史は大きく変わっていただろう。日本人の気質として、「議論」を避ける、「議論」はもはや交渉が決裂した状況であると考えてしまう傾向がある。しかしこれは大きな間違い。欧米を始めとする国際社会では、「議論」はたんに交渉が始まったにすぎないのである。

反捕鯨国勢力は今回の日本の選択について、日本を一気に土俵際まで追い詰めたとほくそ笑んでいるであろうに違いない。

これを見れば、このIWC離脱は、まさしく、この「国際連盟脱退」と相似形であると知れる。

日本の政治家の繊細すぎる政治感覚が問われよう。また、一部の海外のメディアは「シーシェパードの勝利」などと報じている。問題を中途で投げ出したと解釈されるであろうことは、論をまたない。

日本は断じて、IWC(国際捕鯨委員会)に残留し、その正当性をねばり強く主張すべきである。どうしてそれができないのだろうか。

孟子いわく
自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん
と。

もし、IWCにおける日本代表があのW, チャーチルであれば、論戦ですべてをひっくり返し、新たな展開を切り開いたであろう。

日本代表よ、しっかりせよ。何をおそれ、何をためらっているのか?

捕鯨そのものより、IWC離脱が世界で悪評


たとえば、国連環境委員会の議長だった、エリック・ソルヘイム氏は、BBCに対し
日本のIWC離脱はきわめて危険だ。日本に再考を求める。これでは、せっかく合意してきた合意事項が、各国の利害で空中分解してしまうことにつながる...。
Japan will start commercial whaling.
Let’s ask Japan to reconsider!
It’s dangerous when nations break out of global agreements and start setting their own rules.
とコメント。世界で悪評なのだ。これでは捕鯨どころではなくなるのでは...。主張があれば交渉のテーブルから去ることなく自己主張し続けるするのが国際社会での鉄則なのだ。

世界の論調は日本にきわめて手きびしい。日本代表よ、席に戻れ! あくまで、ひるむことなく主張せよ。



2018/12/09

移民による労働力依存は亡国の第一歩

日本は移民により、安易に新たな労働力を獲得しようとしている。そもそも、かくも大胆にカジをきる必要があるのだろうか。なぜ、こうなったのだろうか。

また、それにより何がもたらされるのだろうか。それを論じてみたい。

「品質」についての過剰で貪欲で異常な要求


コンビニ・スーパーなど小売店における消費者の品質への要求は、必要な限度をとっくに超越し、その実態はもはや、世界屈指の異常な状況になっている。コンビニなどへは「品質・鮮度保持」と称して、一日に何度も少量づつを配送するために車両、そして人員を配備し、それを駆動するための多大な燃料を消費しているのである。

これが物価を押し上げていることは言うまでもなく、また、ぼう大なの労力と資源を必要としていることも容易に理解できることである。これらの「労力と資源」は、間違いなく、まったく無駄に浪費されているのである。

また、日本の生産物の「品質」は世界一であると誇らしげに豪語しているが、これは同時に大量の資源と労力を浪費していることと表裏一体なのである。「品質保持」を実現するため、大量の廃棄物 ―― 消費期限切れと称して ―― が発生しているのである。

嘆かわしいのは、このことを論点とした経済学者など専門家、流通のプロからの提言・指摘がまったく聞こえてこないことである。いったい、彼らは何をしているのか?

日本人は、ピカピカの製品、みずみずしい野菜、やわらかな精肉、出来立ての料理...が、あたりまえで当然とするようになった。これは、一面において大いなる堕落である。ほんの少し前の日本人は、一粒のコメを、大切に食べていたのものだ。日本人の精神構造は、ある時点で、完全に崩壊したのだ。

古代ローマ帝国がなにゆえに滅んだか? 帝国全土から流入する物資をふんだんに消費し、市民は競技場などでの連日の遊興を楽しむのみで、生産・建設への気風を失ったからに他ならない。では古代ローマ市民は必要とする労力をどこから調達したか? 属州からの「奴隷」の調達でまかなっていたのである。

今回の日本の選択に、相似形で重なるのであろう。

そして、そもそも、まったく論じられないことであるが、われわれ日本人は悲しいことに、組織だって「人肉」を食べざるをえなかった人類最後の民族なのである。フィリピンのレイテ島、ルソン島、ニューギニアの島々などにおいて...。ほんの70年前のことだ。

「野坂昭如『火垂るの墓』は、つい昨日のことなのだ。

その、ほんの少し以前までろくに喰えもしなかった日本人が何を血迷って、ゼイタクをするのだ。

「徴用工問題」すら解決していないのに...


現時点で日本で労働する「技能実習生」すら、やがて母国に帰り、しばらくしてその時点での日本人一般との労賃の格差についてこれを「未払い」とし、大規模な訴訟を起こすであろうことは想像に難くない。その覚悟はあるのだろうか。

さらに、先の大戦までに某国などから調達した労働力について、その支払を求められている(徴用工問題)。これについて解決の端緒すら見出すことができないでいる。幾度も、どのような「解決」を講じても、彼らは何度でも「未払い」と称して請求してくるのである。

これらを解決することすらできていないのに、いったい、どうするのだ。

日米近現代史研究家の渡辺惣樹氏は、
移民との蜜月は長く続かない...
として、日米間のあの戦争も、日本からアメリカへの移民が原因の一つだったと、鋭く指摘している。(2019/01/16 産経新聞)

欧米の植民地主義の結末は


ロンドンやパリは、もはやかつての精彩はない。かつて「花の都」と謳われたパリは、いたるところゴミだらけであり、裏通りは異様な臭気に満ちている。日本はこのような選択を、今こそ行おうとしている。

さあ、どうする。それでも、やるのか?



2018/09/30

日本の国家機関を徘徊する無気力という妖怪

一匹の妖怪(ようかい)が、日本の国家機関を徘徊(はいかい)している──無気力という妖怪が。およそ古い日本のすべての権力が、この妖怪を祓い(はらい)清めるという神聖な目的など考えもせず、同盟を結んでいる。 

この
    一匹の妖怪が...徘徊している。
    妖怪を...せず..
とは、マルクスの『共産党宣言』序文に書かれている有名な言い回しである。

そして、この「妖怪」が、今こそ、日本の国家機関を徘徊している ― 祓い清めることもされずに...。 

 昼夜を分かたずの無気力 

 民間の企業であれば、出世コースを外され、能力を問われて傘下企業へ「肩たたき」で追放、あるいは、退職を勧奨されることがある。そうしなければその企業自体が競争に負けて困難な状況となり、存在理由を問われるからだ。 

ところが、日本の国家機関では、それがない。仕事がなくてもデスク脇のソファーで夕方までは、ご同様な境遇の「同僚」と、すし屋にあるような大型の湯のみ茶碗を持ち寄って茶飲み話をやり、就業時間が過ぎれば、それをビールに切り替えて楽しい時間を毎日、過ごせるのだ。もちろん、この人々の人件費も税金から支払われている。

文字通りの「穀潰し(ごくつぶし)」である。 某中央官庁の地下の、ある「地下売店」は、大瓶20本入りのビール瓶ケースを大型台車に積載しての納入に、毎日、大忙しであった。1フロアで、毎日々々、数十ケース、全階で数百ケース、本数にして数千本は納入しなければならない大得意様である。それはもう、ああ、もうかって仕方がない。詳細は、他稿ですでに書いておいた。 

ゴルバチョフは見た 

かつて、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の最後の大統領、ゴルバチョフ氏(ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ)は記者会見で、西側の記者から社会主義の非効率をなじられたとき、ニヤリとして、 いや、社会主義が、ただひとつ、成功している先進国がある。 それは、日本だ。 と言ったと伝えられる。 現実に、筆者のある知人がソ連時代の首都モスクワへ行ったときの話だが ――: 

港のトイレ内の広いフロアに、清掃用モップを持った「彫像」がある。さすが「労働者の国」と感心して近寄ってよく見ると、なんとそれは人間の掃除夫さん。 なぜなら、わずかに、非常にゆっくりとスローモーション映画のようにわずかに動いている。何かのパフォーマンスなのか? あるいは、ノンキで不思議な清掃員だといぶかりながら通り過ぎた。そして数時間後、やはりその同じトイレへ行くと、彼は、なっ、なんと、ほんの数メーター先の位置で彫像のように、まったく同じ動作をしていたそうである。 彼は、その「ノルマ」をこなすためだけに、彫像に近い緩慢な動作を、大まじめに、平然と、公然と、厳粛に、「労働者」の矜持を持って、誇らかに、行っていたのだ。 

かの清掃員氏には、これこそが共産主義国家における労働者の偉大な「仕事」だったのだ。 しかし、笑うなかれ、日本の中央官庁は、じつは、このような状況と大差ない。さすが慧眼(けいがん)のゴルバチョフ大統領は、よくこの状況をすっかり見通していた。日本の中央官庁の体たらくを(スパイを使ってか?)すっかり把握し、知っていたのだ。前述の清掃員氏のほうが、わが日本の某省庁でビールをあおっている自堕落な連中より、ほんのわずかに、ましではあるが...。 あのゴルバチョフ閣下も驚愕の事実だ。そして、これが北◯◯なら、いくらなんでもこのまま放置はしないだろう。全員を機関砲で銃殺かな...。 

省庁に必ず存在する「記者クラブ」がなぜ問題なのか ?
 
役所で、ろくに仕事もせずに楽しくビールを飲んでいる連中が、もし万一、存在すれば、これを記事にして告発するのが、メディアの重要な仕事なのだが、わが日本では、絶対にこれをやらない。やれない。なぜか? かれらは「記者クラブ」という制度において、特権的に、これら省庁の「飼い犬」となっているからだ。およそこの世には、飼い主に噛みつく飼い犬はいない。これをやれば、飼い犬は放逐され、野良犬となる。だからひたすら「大本営発表」方式で、21世紀にもなったというに、有り難く報道しているのだ。 各省庁におごそかに鎮座する「記者クラブ」室とは、飼い犬の『犬小屋』なのだ。 

「無気力という妖怪」に対しての、ほとんど唯一の特効薬は、メディア・報道機関からの告発・摘発・つっこみなのだが、わが日本においては、これはほとんど効果がない。効かない薬なのだ。だれもこんな記事を書かないからだ。いや、むしろ、「妖怪」さんたちを元気づけるに寄与しているとさえ言える。 

ごくまれに、きわめて優秀で、なおかつ、国家を憂え、この士気が低下して弛み切った状況を憂え、改革しようとするような気高い志操(こころざし)を持つ官僚が省庁内にあらわれることがある。しかし、これを葬り去るのは簡単、容易である。このように組織に対して負荷を高めるような、そんなとんでもない高い志操の持ち主は、凡百の小役人にとっては百害こそあれ何の利益をもたらさない。わずらわしいだけの存在だ。 

組織の結束や調和を乱すものは、すべからく排除の対象となる。これを、社会主義国家群では、「粛清(しゅくせい)」という。組織の安泰こそが、その存在目的、存在理由となる。 業績への毀誉褒貶(きよほうへん)、世間の評価などは、いかようにでもできる。スキャンダルでもなんでも、探しだすのは、そんなに難しいことではない。さらにそれに加えて、メディア、マスコミはこぞって、協力し助けてくれる。「世論」など、メディアを使えば容易に操作できる。 こうして、「お役所」と「記者クラブ」は、和気あいあい、濃密な関係でおたがいが持ちつ持たれつで、すっかり出来上がっているのだ。彼ら、それぞれが、みずからの存立自体のみが自己目的となっているからだ。 

これこそ、『旧ソ連圏』のいわゆる「社会主義国家」が目指していた理想郷ではなかったか? そう、「邪魔な存在は粛清」するのだ。

ゴルバチョフ氏の指摘は、きわめて、意味深長である。         

2018/09/23

靖国! ── [2] 陸海軍では靖国を警戒していた

かつてのこの国 ―― 大日本帝国には陸軍と海軍が存在した。これをあわせて帝国陸海軍と称した。

陸海軍の部隊が、靖国神社に部隊単位で拝礼したことがあったとしても、それは正式な作戦行動や陸海軍の行事としてではなく、あくまでその周辺的な行事として行ったにすぎない。そしてさらに重大なことは、帝国陸海軍では「靖国教徒」を警戒していたという事実である。


靖国教徒をもっとも警戒していたのは帝国陸軍


これは帝国陸海軍の従軍者の存命者が少なくなった現在、ほとんど語られない事実であり、敗戦以前であっても公然と語られることがなかった事実でもある。それは何と、陸軍ではいわゆる「靖国教徒」を警戒していたという事実である。

軍事組織は前線において、将校である指揮官(場合により下士官)の指揮のもと、一糸乱れぬ厳正な統率が行われなければならない。その時、この「指揮命令系統」と、それと併存する「靖国精神」が存在することは、作戦行動を行ううえで有害でこそあれ何らの助けとはならない。軍事組織としては当然の論理である。

したがって、とりわけ陸軍では「靖国!」と絶叫してヒステリー状態となるようなタイプの兵士を警戒し、「命令が絶対」であると諭(さと)していた。上官の命令は、天皇の命令(につながる)としていたのだ(「軍人勅諭」)。組織として行動するとき、さまざまな価値観が並存し、それをいちいち持ち出されては作戦行動が取れなくなるからだ。軍紀は厳正で絶対とされていたのだ。

現場の指揮官は、この「靖国キ●●イ」の扱いに苦慮していた。

そして、「軍人勅諭」「歩兵操典」などから始まるさまざまな「マニュアル」には「靖国」はただの一度も出てこない。命令の遂行において、命令系統が一直線であり疑義の余地はないとされていた。

これは他国のいかなる近代的な軍事組織においても同様であり、大日本帝国においても同様に行われた。

また、
「貴様、アーメンか!」
とクリスチャン(キリスト教徒)の部下兵士を罵倒し殴打したとしても、それは上官の正規の命令ではなく、ただの個人的な横暴にすぎないとされ、帝国陸海軍ではこれをも正式には厳禁していた。兵士は「陛下の兵」であって上官の私兵ではないからだ。

また、実際には頻発していた下士官による下級兵士に対する制裁や暴行も、建前としては厳禁していた。

しかし、もっとも恐れていたのは「靖国!」を絶叫し、指揮官による指揮統率に従おうとしないタイプである。

作戦行動の目的はすべて、敵の戦力を破砕し、戦意を喪失せしめることのみにある。それ以外のいかなる論理も、実際には過酷な軍事行動の命令への拒否として、とくに陸軍では大きな問題とされていた。したがって、陸軍では、なにかにつけて「靖国!」を絶叫するタイプを警戒していたのだ。

そしてこの事実すら、もはや、どのような文献にも記述されてはいない。この記事は、帝国陸軍における下級将校だった人物に直接、取材した事実にもとづいている。

問題は慰霊方式が確立していないということ


現在、日本の戦没兵士の慰霊の場としては「靖国神社」のみがそれに相当するかのように、識者までがそのように言及することがある。しかし、それはまったくの誤りである。

帝国陸海軍では、最高指揮官である「大元帥陛下(天皇を指す)」のため、もしくは天皇から授与された軍旗の栄光の下に死ぬことはあっても、それ以外の価値観を持ち込むことは絶対に許されなかった。そこには「靖国」が言及されることは絶対になかったのだ。

そして、あの、毎年の8月15日、特定の政治的あるいは反社会的勢力が結集し、大規模な道路占拠や品位を欠いた騒然たる示威行為がおこなわれる施設が、この国の唯一の戦死者の慰霊施設であるとしたら、これこそ、これらの騒乱こそ、戦死者に対しての冒とくであろう。このようなことで彼らの魂(たましい)が安んじるとは、とうてい考えられない。これこそ、彼らの事績を土足で踏みにじる行為であろう。

戦死者は、国家の戦争行為の発動としての行動中にその結果として死に至ったのであって、これを慰霊するのは、国家として、その国の国民として、当然に行わなければならない行為である。

また、戦死者には浄土真宗や日蓮宗などの「仏教徒」もいたし「キリスト教徒」も存在したのである。かれらは死後は「西方浄土」や「天国」へ召されると確信していたのである。なかには「何が靖国神社だ!」と反発した兵士もいたであろうし、さらに重大なこととして、昭和天皇は靖国神社へはある時点から絶対に参拝に訪れることはなかったことが挙げられる。

そして、さらなる問題は、国家がかつての戦死者をいかなる形式にせよ何らの尊崇と慰霊の姿勢を示さないことにある。ここに、本稿で問題とする、このいわゆる「靖国教」が入り込む余地があったのである。

あの、下品で粗野な「靖国症候群」とも呼称しうる行事・勢力が、使命を達成するために歴史に殉じた幾多の戦死者の魂(たましい)を、安んじられるはずがない。(使命 ―― これについては、本ブログの別稿において、述べる)

また、つい最近、朝鮮戦争における米軍の戦死者の遺骨が返還されたと報じられた。それだけではなく、第二次大戦の戦死者の回収については、連合国は非常な熱意をもって実行し、最大限の礼式と典礼をもって埋葬までの手続きを行ってきた。

兵士が各自、身につけていた「認識票」から個人特定を行い、墓標にはできうるかぎり正確にその姓名と没年を記述し、一人づつ墓標を建て埋葬している。正規の合衆国儀仗兵による葬列と葬送のラッパは、きわめて荘厳なものであり、一人ひとりが国旗に包まれて葬られる。この光景は、今を生きるわれわれに、立場の違いがあったとしても、さまざまなことを考えさせずにはおかない。

にもかかわらず、日本では戦死者に対して個々人の墓碑が建てられ、その姓名が記述されたことはない。残された遺族が個人で建立した墓標があっても、そこには一片の遺骨すらない。遺骨収集団が持ち帰ったとする「遺骨」は十把一絡げに大型容器に入ったままである。せめて、その地で戦没したであろう人物の氏名くらいは、記述できないものか...。なぜ、それすら、しないのだ? 

そして日本の戦死者は今もそのほとんどは、はるかなる山河や、深淵、あるいは、雲流るる果てに、捨て置かれ、放置されたままなのだ。その最期の瞬間に思い描いたのは、家族や祖国の風景であるに違いないのに...。

靖国教徒たちよ、それほどの情熱があるのなら、品位を欠いたあのような騒乱状態を演出するのではなく、真の慰霊の行動を開始せよ。

さあ、起て!靖国教徒よ


激戦が行われ、近年になってようやく日本へ返還された「硫黄島」では、今だに数万人の戦死者が、地中で、塹壕で、滑走路の下敷きとなって、放置されたままである。あの旧敵国において映画にさえされた、この島における当時の最高指揮官ですら、どこで戦死し、どこに埋められているのか、それすら解明されていない。誰も、この国の国家機関ですらこれを解明しようともしない。放置したまま知らぬ顔である。これはいったい、どうなっているのか。こんなことが許されるのか。

「靖国」でこれだけ議論しておきながら、この硫黄島の戦死者への扱いは、まったく理解ができない。また、あれだけ「靖国」で騒いでいる勢力も素知らぬ風情であることが、不思議でならない。

そして、そもそも、この「靖国!」と絶叫することと、靖国神社に祀られている(祀られるはずである?)戦死者とは、実際にはいかなる関係にあるのか、賢明なる読者諸氏には理解できる人物は存在するのであろうか。あれば、説明してほしい。筆者には少なくとも、まったく理解ができない。

真に、本当に、戦死者を心から悼む(いたむ)のなら、すべからく、靖国教徒たる者たちは、北は満州、南はパプア・ニューギニア、東はミッドウェー、西はインドにいたるまでの地域・海域に分け入り、300万ないし500万人に達するという戦死者の骨を、黙して拾って来るべきである。さあ、今ぞ起て、靖国教徒よ!

それでこそ、その努力こそが、はじめて彼ら、戦死者の魂(たましい)を救うことにつながるであろう。

そこで直面するであろう累々たる白骨や飛散した残骸に対峙することこそが、歴史の負の断面を、現代に生きるわれわれに深く考えさせることにつながるのである。これこそが「慰霊」なのである。

大岡昇平が描いた戦死者たち


作家の大岡昇平が書いた「レイテ戦記」には、日本の部隊(第57連隊)がフィリピンのレイテ島に上陸し、行軍を開始して直ぐにに米軍の砲撃を受け、「連隊旗」を奉持していた連隊旗手、田中忠美(たなか ただよし)少尉を直撃した、とある。少尉は戦死し、さらに他に戦死者、重傷者がでた。すぐに高橋少尉がそれに替わって、直ちに行軍を続けたという記述がある。この田中忠美少尉らはその地点に、放置されたのだ。
...200メートル前進してから、軍旗を身体に結びつけるバンドがないのに気がついた。内山軍曹が引き返し、田中少尉の死体からバンドをはずして持って帰った。
たとえば、この田中少尉の戦死体は、いったいだれが収容するのか? 「連隊旗手」が「連隊旗」を奉持して行軍することは、その連隊における最優秀の少尉が担当するきわめて栄光ある、栄誉に満ちた任務だった。この将校にしてこの扱いである。

「連隊旗」(大岡昇平によれば「聯隊旗」)とは、天皇から特定の連隊ごとに直接に授与されたものであり、出先の部隊では、まさにそこに天皇が臨在するのと同様な解釈がされていた光輝に満ちた存在だったのである。

さあ、「靖国教徒」よ、この田中忠美少尉(の遺体)を収容に行かないのか? 彼はきっと待っているに違いない。さらに、
...道路は(米軍の砲撃で)到るところ大穴があき、路地には友軍(日本軍)の死体が放置され、空中は死臭に満ちていた。...
とある。このとき、周辺は日本軍兵士の累々たる戦死体で満ちていたのだ。そして現在でも、彼らは、フィリピンのレイテ島タクロバン周辺に遺骨となって捨て置かれたままである。

筆者の家族だった者が、もし、今だにはるかなる山河や深淵に放置されているのであれば、その遺骨の一片なりとも、この手にしたい。万難を排して現地へ赴き、その埋められた場所の土壌の一握り、岩石の一片でも、持ち帰りたいと思う―― これこそ、慰霊であろう。

くり返すが、旧連合国はこれを連綿と現在に至るも行っているのである。

さあ靖国教徒よ、どうする。行かないのか。




2018/08/16

STAP騒動 ― 追試の費用と時間をどうしてくれる

追試に要した費用と時間をどうしてくれる

これは、カリフォルニア大学医学部のポール・ノフラー(Paul S. Knoepfler)博士の主張である。同時に、この分野の研究者の異口同音の絶叫でもある。


STAP細胞が実在するのが否か ― これはここでは問題にしない。小保方氏は、今、どうしてる ― これをもここでは問題にしない。これは週刊誌の記者諸氏にお任せする。

ここで論ずるのは、日本の研究機関、研究者、メディアがまったく問題にしない、あるいは知らぬふりをしているこの問題についてである。

追試に要した費用と時間をどうしてくれる ― これだ。

ノフラー先生はじめ、世界中のこの分野の研究者は「カネ、返してくれ! オレの時間、損したよ!」と絶叫しているのだ。STAP細胞研究関係者、関係研究機関は、何たることか、いっさいこれに応えず素知らぬふりだ。

「追試」とは、論文において新しい科学の成果が発表された場合に、その成果を実験を再度、行うことによって確認することだ。

STAP細胞の論文が世に出たとき、全世界の分子生物学の科学者は、ほぼ、一斉に追試を開始した。科学の世界は過酷である。STAP細胞の存在が真正のものであれば、すぐにでも、それを超える次世代の存在を発見・創造しなければならない。これへの日夜を分かたぬ努力は、つねに、全世界の研究機関で行われている。

そのむかし、日本の「ゼロ戦」が戦場に現れたとき、世界は驚がくし、そして連合国側は、それを越える性能の戦闘機の開発を猛烈な勢いで開始した。そして、ほどなく「ゼロ戦」はまったくの時代遅れのシロモノに転落した。科学研究の最前線は、これと同様である。

ところが、やがて、このSTAP細胞が単なる「ガサネタ」であったことが露見する。が、しかし、ここから、科学特有の難しさが始まる。
悪魔の証明 / ラテン語:probatio diabolica、英語:devil's proof
の論理につながるからだ。ラテン語になっているくらいだから、昔からあった「いわくつき」の難問だ。

悪魔の証明のレトリック

STAP細胞については、依然として今でも実在を検証したという報告や「ありうる」という報道、議論がある。それを主張するのは、ジャーナリストであったり、科学者であったりする。

絶対に存在しないということを科学的に証明することは、もはや、 いわゆる「悪魔の証明」の議論に属するので、これを結論とすることは論理的に不可能である。参考までに説明すると、
悪魔が存在しないことは証明できないから、悪魔は存在しうる
というレトリックだ。これを議論することは、ほとんど、無意味である。ここで、あえて、ほとんどとしているのは、科学の歴史を見るとこれと見まがうことがあったからだ。

そして、「STAP細胞」を見たという研究者は、この世に、少なくとも一人は存在している。つまり、悪魔を実際に見たという主張と類似するのである。これを否定することは、容易ではない。

新しい学説はつねに狂気じみている―STAP細胞と地動説

また、科学の歴史において、革新的な説は、当初はかならず否定的に扱われる。

たとえば、ガリレオの「地動説」。そのむかし、良識ある人士は「天動説」を、アプリオリ(先験的)に不朽の真理としていた。当時、地動説を唱えることのリスクは、あらゆる意味において、おそらくは「STAP細胞」の比ではなかったはずだ。宗教裁判で、「それでも地球は動く」とうそぶくガリレオは、その当時、間違いなく「狂気」に見えたはずだ。

科学には、こういう側面もあるということを知っておいてほしい。

なぜ「STAP細胞事件」が起きたのか

また、まったくの「妄想」の域を出ないが、この研究とその報告である「論文」騒動は、このように結論すれば、すべてが理にかなった説明になる。一つの「説」としてお聞き願いたい。

最近の研究機関(研究所、大学)は、予算において、きわめてきびしい状況にある。成果をださないとその存立自体が難しくなり、存在理由(レゾン・デートル)が問われるのだ。上部機関からの「成果」に対する要求・要請は、売上ノルマを問われる販売担当を想起すれば分かりやすい。

具体的に言えば「予算」で締め付けが行われる。研究者となるのも、また、よほどの優秀さでないと難しく、艱難辛苦のすえに博士号を取得しても、まったく職につけないということももはや当たり前となっている。

だから、たとえれば、こんな状況だったと喩え話で考えると、一般の人々には分かりやすい。

今はもう、すっかりなくなったが、むかし、縁日へ行くとよくこんな出し物の「見世物小屋」があったものだ。

『ヘビ女小屋』である。ヘビのように首が伸びる女を見せる「見世物」。いわゆる、「キワモノ」であるが、ヒトはこのようにわくわくドキドキするものに心惹かれるものである。科学もこんなところがある。

独創的業績 ―― 最先端の成果 ―― こんな「殺し文句」のようなセリフに心惹かれるのは、何も普通の市民のみではない。予算を出す、◯◯◯◯省もこういうセリフにコロリとだまされたのである。「成果主義」がすべてを決定する風潮が、最近、とみに顕著となってきている。これが背景にある。

この見世物『ヘビ女小屋』には、以下の三者が関わっている。
  1. ヘビ女
    ヘビのように首が伸びる女がいる。これが「見世物」である。今は、もちろん、人権の問題があるから、今はこんなことはありえない。むか~し、のことである。
  2. 口上師(こうじょうし)
    これを特有の抑揚ある『語り』で客引きをする男が、どうしても見たくなるような独特な語り口で、口上を述べ、見物客を誘う。独特の「語り」は、怖いような、ぞくぞくするようであり、ちょっとでも聞くと、もう、入って見るしかないくらい、好奇心を刺激する。
    「見てやってください、かわいそうな子でして...」
    が、殺し文句の常套的セリフ。「もし、違っていたら、お代はいらないよ」とも ―― 意外と良心的?
  3. 座長
    そして、すべてを取り仕切る「興行主」である座長がいる。
1は、言わずと知れた、あの有名な人物。
2は、前者を世に出し、その後、責任をとわれた人物。
3は、あの有名な機関を統括した人物。

知るかぎりにおいて、研究室(居室ともいう)という「個室」の壁面の色を派手に塗り替えた人物は、日本には、二人はいる。1の人物と、3の人物だ。これが、いったい、何を意味しているかは、ご自由に想像いただきたい。


2018/06/25

官庁・役所 ― おどろきの非能率

お役所へ手続きのために行ってみると、ああ!


今回は、驚くべき非能率を平然と行っていた、労働関係の某役所の、少し以前の話題だ。

この話、ある人物に話したところ「昔のソ連と同様だな」とコメントがあった。そういえば、ソビエト連邦最後の大統領ゴルバチョフは、西側の記者から社会主義の非効率をなじられたとき、
いや、社会主義が、ただひとつ、成功している国がある。 それは、日本だ。
と述懐したそうである。しかし、今回の話題は、そのゴルバチョフ閣下も驚くであろう物語だ。

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どうしても行きたがらない担当者に泣きつかれ、まったくの所管外の仕事ながら、東京の〇〇橋に行った際の、とあるお役所について、語ろう。企業に入退社すると、その手続として、労務関係のその窓口に、書類を企業から提出しなければならない。それだ。

該当のフロアーへ行くと、驚くことに、大病院の薬局で投薬待ちの外来患者のように、数百人の人々が長椅子に腰掛けて、待っている。

カウンターが10箇所くらいあり、それぞれ、2、3人の係の女子事務員さんが立って、待機している。

「株式会社~~さーん」と、左のカウンターから順に、呼ばれて、そこに書類を持って行くと、ちらっと見て、記載内容について講釈したり、スタンプ(受領印)したりしてくれる。それを、10回ほど繰り返すというわけだ。それぞれの間隔が、数十分。だから、全部、終わるのに、数時間はゆうに必要となる。たっぷりの一日仕事だ。

ただ、要するに、複写の書類を提出し、受領のスタンプをもらえばいいのだ。

だから、数百人が長椅子で待っているわけだ。だから担当外であるこの仕事が強引に、押し付けられたわけだ。

入室してその光景を目撃した瞬間、その異様さに「あ然」とし、どう考えても、これが必要不可欠な手続きであるとは考えられないことに、気づく。それに自分自身の仕事が山ほど、滞留しているのに...。

ここは一つ、非常手段の行使を行い、数分で切り抜けようと、意を決する。合法的に...。

まず、一つ目の受付に行く。長~い説明を聞いているうちに、まったく無意味なことをやらせようとしていることに気づく。そして、以下の物語を思い出した。

成規類聚、というマニュアル


斬新な視点で一世を風靡した評論家の山本七平は、かつて所属していた帝国陸軍におけるさまざまな書類上の手続が書かれてある規則書であるところの

成規類聚
(「せいきるいじゅう」と読む)

なる文書について言及している。ちなみに山本は、100人のうち96人が餓死・戦死した戦線(フィリピン・ルソン島北部のアパリ)からの数少ない生還者であり、この種の何の役にも立たない馬鹿げた規則について、満身の憤怒と悲しみをこめて批判、述懐している。

圧倒的な戦力の米軍と向かい合い、凄惨な飢餓状態のさなか、いま、まさに戦闘が開始されようというのに、この規則集を持ちだしてグダグダ言う連中が、大日本帝国陸軍には存在したというのである。

そして、悲しいかな、このグダグダ言っていた連中も、それに反抗して資材を掻っ払って戦闘に従事した連中も、その後、みんな戦死か餓死したというのである。要するに、なにもかも、すべてが無駄・徒労だったのだ。

戦後、東京の大本営から停戦命令とともに「所在の米軍に投降せよ」という命令が届いたあと、部隊でただ一人だけ英語ができた山本少尉は、従兵(将校の世話をする兵士)を伴い、使者として米軍と接触して投降の段取りを、米軍側と協議する。そして、協議を終えて所属部隊へ帰るとき、往路の途中で飢餓で歩けなくなって残置してきた従兵を収容するため帰路を急ぐと、彼の餓死してウジにおおわれた死体に出会い、号泣する。

出発に際し、山本は従兵へ「そんな体で付いて来なくていい」と言ったらしいが、「こんなときに、山本少尉殿を一人でやるわけにはいかない」と言ってきかず、無理して同行したという。山本は、彼には米軍への使者として出発する山本が唯一の生きる希望に見えたのだろう、と回想している。

山本は、結論として、どうでもいいからできるだけ良好な結果となるよう、自分の頭で全力で考えて行動せよ、と結論している。真面目で規則通りに忠実にやっていた連中は、みんな餓死し、アパリの土になってしまった、と。

また、帝国陸軍は、米軍と戦う以前に、すでにみずから崩壊し、敗北していたのだ、と...。

マニュアルがあるなら...


そこで、この役所では、以下の通りに行動した。一つ目の「カウンター」へ呼ばれて行った際に、以下のように、可能な限り、ていねいにお願いした。
本日の当方の目的は、急ぎ、この書類を提出して、受理してもらうだけの簡単な手続きのみであります。このような長時間で煩雑な手続きがどうしても必要なのなら、それを記した「規則集」なる文書が当然にして存在するはずです。それを、まずは、拝見したい。手続きというものは、やはり、規則通りにやらねばなりませんから...。
受付嬢は、キョトンとしている。それはそうであろう。こんな懇請を行う輩は、後にも先にも存在せず、空前絶後のことだったにちがいない。

とにかく、早く見せろとうながすと、奥の「ハゲ頭」氏のデスクへ行き、何やら相談している。「ハゲ頭」氏は、さらに後に位置する書類棚から、なにやら、厚さ数十センチはあるファイルを取り出し、頁をめくり始めた。待つこと5分くらい...か。

要するに、そんな事は、ここのマニュアルのどこにも記述などないのだ。そろそろ行動開始だ。
どこにも書いてない規則をタテに、このような長時間を拘束するとは、何ごとですか。勝手に「独断専行」でこんなことをやっているのでありますか? そうだとしたら、はなはだしい「専断逸脱行為」ですぞ。
「ハゲ頭」氏は、さらに必死になって文書に食い入っている。役人はこの言葉、「独断専行」や「専断逸脱行為」という語彙が、悪魔のように恐ろしいのだ。この方法で、他のすべてもカウンターでの処理(と言っても、ただ受理印のスタンプをもらうだけ)を次々と一気に通過し、合計して10分位で終了。なんのことはない。

しかし、後ろのソファーで、すでに数時間も待たされている大勢の人々は、皆、あ然としている。山本七平先生が、ニャとしている表情が脳裏をよぎる。退出するに際し、
まことに有り難うございました。心から感謝申し上げます。 ところで、このフロアの大勢の手続き要員さんたち、これ、この雇用自体が、『失業対策事業』であるわけですね。な~るほど...。
と、やや大声で言うと、ざわめいていた満座のフロア全体が、一瞬、静寂に包まれた。

ところで、この「専断逸脱行為」という用語は、もちろん、これも山本七平先生からの受け売りであって、かつての帝国陸軍においてさえ、悪魔のように恐れられた違反行為であるのだそうだ。

2018/06/04

福島原発事故-驚きの背景

原子力の研究機関、その監督官庁ともあろうものが...


「日本原子力研究開発機構」という官庁がある。

その機関がまだ
日本原子力研究所
と呼称されていたころ、東京にある、日比谷公園の近くの壮麗なビルの最上階近く、数フロアを使って、この機関の「本部」があった。

ああ、安楽の日々

そして、そこには目を疑う、驚くべき光景が広がっていた。

仕切りなどまったくない、大きなビル、ワンフロアの吹き抜けのオフィスに、この機関の大勢の係官たちがいた。

ところが、である。そのうちのほとんど全てが、業務時間中にもかかわらず、デスクが集まるいっかくの合間、合間にある、対面するソファーの長椅子 ―― ここにそれぞれ集い、手に手に「寿司屋」でお目にかかるような大きな湯のみ茶碗を持って、楽しそうに談笑、歓談しているのである。

デスクに向かい、仕事らしいことを行っている風情なのは ―― 探してみれば ―― 事務員風の女性たちのみ。率直に言って「えっ! 何、これは?」という風情...。

これが、業務の合間のたんなる「休憩」でないことは、やがて、誰であれ、容易に理解できたあろう。

なぜなら、いつも、いつその庁舎を訪ねても、同じ風景であるからだ。そう、つまり、彼らは何と、ほぼ一日中、連日、「休憩」していたのだ。ああ...。

士気の低下、モラルの崩壊、公的資金の無駄(いわゆる税金ドロボウ)は、言うまでもない。このような状況を許し、平然としていた体制とはいったい何であろうか。

あの「優秀な」記者諸君、メディア各社は、なぜ、国民にこのあ然とする体たらくを報道しなかったのだろう。

これが「原研(日本原子力研究所)」の実態だった。

そして津波が


彼らは、いったい、何をやっていたのであろうか。

この幾年かのちに、福島原発は津波に襲来され、その結果、放射能をまき散らし、近傍の地域は人間の住む場所としては壊滅した。

油断しきってまったく仕事らしい仕事をせず、彼らの士気の低下は明らかだった。これを知っている者としては、原発事故についての彼らのいかなる説明、釈明も、弁明も、未来永劫にいたるまで、絶対に信用するつもりはない。

悲しいかな、どうして、組織が、人間が、ここまで堕落できるものなのか...。

原発が、たかが「津波」で、あのようなお粗末な結末をむかえ、そして、その後の対応も、まったくできなかったとは、なんたることであろう。

日本列島は、50年ないし100年ごとに、大規模な地震・津波に襲われていた。これは太古の昔から変わるはなく、これからも、何度も、数十年ごとに、大規模な津波の襲来を受けるであろう。このことは、たんなる自然現象であって、地球という惑星のさまざまな活動の一つに過ぎない。

原発事故は、いつ起きても何の不思議もない。具体的には、海洋に面した原発だ。

なのに、彼らは漫然とノンキに「茶飲み話」に、うつつをぬかしていたである。

「専門家」としてこのような事態に対応するために、巨額の国家予算を費やして運営されてきた専門機関なのにもかかわらず、やっていたことは、この通りだったのである。

「関係者」諸氏の釈明を ―― もし、あれば、であるが ―― ぜひとも、聴きたいものである。お願いしたい。



2018/05/21

学童を守護せよ!-起て!老いたる者よ、今すぐ通学路で子どもを守れ!

新潟で痛ましい事件が起きた。どうしてあの子を守れなかっただろう。残念でならない。あの長い通学路を、たったひとりで歩いていたと思うと悲痛なおもいにかられ、いたたまれない。

さまざまな報道がされるが、具体的な「対抗策」は、まったく、なに一つ、伝わってこない。関係機関は、どこ吹く風をよそおい、責任回避をしている風情だ。

今日にも、同様な事件が起きないとも限らない。不審者(とおもわれる)人物については、しばしば目にすることもある。この事件に「触発」されて、次が起こることも大いにありうることである。

関係機関に対策を要請しても、いつも通りに、「予算が、人員が、方法が...」の弁明が繰り返されるばかりであろう。そんな言い訳は、問題解決には何の役にも立たない。「お役人」は、遁辞を作成することに、時間と精力の大半を費やす存在であることを、看過してはならない。

あと少しの年月が経過すれば、日本では数千万人の労働人口が、不足する(とされている)。一人ひとりの学童・児童が、今や、珠玉にもまして貴重な存在なのだ。

さあ、ここはみんなで守ろう!

老人よ、道に立とう

「視線」が子どもを守る

視線が連続するチェーンを作ろう

登下校時、学童・児童が通過するすべての路線・時間帯を把握し、そのすべてにおいて「視線」でカバーすべきである。それだけで、まずは防ぐことが可能だろう。

そこで、今すぐ、展開できる「作戦」は何か? 今すぐに動員できる人員とは? 

とにかく、緊急に展開する必要がある。犯罪者は、次をねらっているぞ。

そう、家々には、現役を引退して「老後」をおくる人々がいるはずだ。この経験豊かな世代に、このたびは、第一線に出ることをお願いしよう。

何もせずとも通学路を「もれなく」、「視線」でカバー

何もせずとも、通学路を「もれなく」、「視線」で、つなぎ、カバーするだけで、いいのだ。

万一、何か起こったら携帯電話で、110番通報するだけでじゅうぶんだ。間違っていても、「お巡りさん」から叱られることはない。

この「存在」じたいが、絶大な抑止力になるのだ。

一般に、犯罪者がもっとも忌み嫌うのは、人間の「視線」だ。「ドライブ・レコーダー」はただ記録するだけで、ネガティブな抑止力はあるが、即応性はまったくない。

行き帰りに、街かど、農道を歩くと、つぎつぎに「おじいちゃん」「おばーちゃん」に出会い、声をかけてくれ、あいさつができる。考えただけで楽しい毎日となろう。それは子どものがわだけではなかろう。「おじいちゃん」「おばーちゃん」がわも、毎日が楽しいだろう。

この環境は「不審者」がもっとも忌み嫌い、次なる同様な犯罪のもっとも効果的な防止策だ。

さあ、起て、シニア世代よ ― 安楽を捨てて、街に出よう!




2018/05/18

ああ!記者クラブ ― この驚愕の存在

ああ堂々の記者会見

ほんとうは「記者会見」ではなく「記者クラブ会見」

日本のすべての官庁・役所などには広報を担当する部署、たとえば「広報課」があって対外発表などの文書・資料はそこで作成・発表される。

問題なのは、その発表の方法である。

ああ、近世以前の...

ところが、それを受け取るのは国民や市民ではなく、なんと、あろうことか、21世紀にもなったにもかかわらず、特定の「御用商人」だけなのである。あたかも安物の時代劇にあるドラマ仕立ての前時代的な構造が、現在でも、昨日も、今日も、明後日も、この日本では連綿と持続して行われているのである。

日本では16世紀の後半ころには「楽市・楽座」政策が、織田信長などの戦国大名によって実行されて特定のギルドなどの市場独占を防ぎ、これにより円滑な経済政策をとることができた。当然、市場は活性化し、市中はにぎわった。

しかし、この「記者クラブ」は21世紀にもかかわらず、なんと、織田政権以前の前時代的なことを行っているわけである。世界に冠たる抱腹絶倒の事実である。が、しかし、事実を知れば、腹を抱えてわらっている場合でないことがわかる。報道各社は近代ではなく、中世に生きているのだ。

省庁、地方自治体、有力大学などが行う記者会見に出席し、資料を受け取り、質議応答に参加できるのは、「記者クラブ」加盟の報道各社に厳密に限定されているのだ。

つまり、「記者会見」ではなく、「記者クラブ・会見」なのである。

質議応答の多くは静粛におこなわれ、報道各社からの記者諸君は、それはもう、きわめて紳士的におだやかな対応に終始する。記者諸君はなぜ「静粛」なのか。それは、ある作業でご多忙だからだ。発表者が着席し、ほんの一語でも発言を開始すると、ほとんどの記者は即座にパソコンで入力を開始する。「締切」に間に合わせなければならないから、余計なことを考えたり発言したりする余裕など、あろうはずはない。「速記者」さながらにただひたすらに入力する。

なぜこうなったのか

そこにいるのは「気鋭のジャーナリスト」ではなく、ただの入力屋さん

発表者の一言ごとに、キーボード特有の、パシャパシャ、パシャパシャという低い音が追随して響くのみで、もし外部の一般の人々がこの様子を目撃すれば、その異様さに息をのまれるにちがいない。

たかがノートパソコンの微弱な操作音とはいえ、何十台ともなればその音量は異様である。

ああ、なんと、ご気楽な仕事であろうか。彼ら報道各社には、あの戦争での300万人の戦死者も、原発事故も、たんなる取材項目、いや入力原稿でしかない。もれなく入力して送稿するだけだ。

こんなことは他の欧米先進国の記者会見でも行われていると読者諸氏は考えるかもしれないが、それは、まったく違う。この状況は、ほぼ、日本独特の異様なことであることを知っておいてほしい。

ヨーロッパの某国で毎年行われる、著名で晴れがましい行事の該当者の選定について、その記者発表会場で、ただひたすらノートパソコンに向かって入力しているのは、日本からの記者のみである。

主催した発表機関側のスタッフは、下を向いて異様なキーボード音をあげるのみの集団に当惑ぎみだが、これがいかに異様なことなのかさえ、その日本からの記者らはまったく無頓着で素知らぬ風情だ。その異常さ加減は、世界の物笑いの対象になっているにもかかわらず...。

そして、彼らは全能感にひたり、無誤謬性 infarabiraty を確信してはばからない。ちなみに、この無誤謬性infarabiratyという言葉、この語彙(ごい)は、ヨーロッパでは「ローマ法王」のみを指す語彙として、歴史的に使われてきた。日本では、なんと「メディア法王」なのだ。

あの戦争は

かつて、戦争を煽ったのはだれであったか。新聞だった。

つまりは、発表機関側が、
「越後屋、おぬしもワルよ、のおぅ...」
と言い、御用商人が
「いえいえ、お殿様もなかなかなもので...」
とやりとりするような、こんな悪だくみをしているのではない。そんな度胸や度量、腹がすわった輩などどこにもいない ― チープで薄ぺらな連中ばかり。

何も考えず、ただただ正確に素早く入力しているだけなのだ。鋭い舌鋒も、深い洞察力も無用だ。つっこんだ質問などなおさら余計だ。ああ、面倒くさい、さっさと終わらせよう、と...。

想起するに、こんなことも...

ながらく続いた日中戦争のあげくに、日本は、なんとあろうことか米英を相手に戦争を始めた。この事実を、もし当時の良識と見識ある普通の市民が発表の現場に居合わせて聞いたとすれば、瞠目(どうもく)して言ったであろう ―― 正気ですか、あなた方は? ―― と。

当時のちょっと勉強している小中学生ですら、これをいきなり聞けば「勝ち目がないのに、なぜ?」と思ったに違いない。そして、この「判断」は正しい判断だったに違いない。

いや、当時の日本国民は戦争を望んでいた、という見方もある。しかし、出征した夫や息子の戦死の知らせが多くなるにつれ、国民のあいだに厭戦気分がまん延していたのは事実である。これを覆い隠し、戦争をあおったのが当時の新聞報道なのだ。

日本で重厚な真のジャーナリズムが育たなかったのは、きわめて残念であり、幾多の罪過を残してきた。

戦争を煽り、世をその惨禍に追いやり、負けると今度は自分たちだけは『良識』を装い、戦い破れ、ボロボロになった連中をたたく――これがその常とう手段。みんなペラペラの軽さ、変節ぶり。

そして、これらの正しい判断を封じるのが、今も行われている「記者会見」なのである。

なぜならば、出席の「記者」諸君は、これらの発表された記者会見資料を、ただひたすら受け流すのが仕事だと確信しているからである。

霞ヶ関という一等地にある省庁の建物の、見渡すかぎりの皇居の緑地に包まれ、見晴らしのよい最上階付近にデスクを与えられて、悠然とかまえることができれば、人間はだれしも全能感に包まれよう。ああ、オレは選りすぐりの報道機関の、選りすぐりの「記者」なのだ、と。

その記者クラブ室とは、税金を投入して作られた庁舎において冷暖房完備のうえ、「賃貸料・使用料」は無料。国家ぐるみの贈収賄である。これでは、何があろうと批判的に書くことなど、到底できはしない。御用新聞と成り下がるのは、当然であろう。こうして、すべての「新聞」は政府機関の広報紙となっているのである。日本のメディアは、なんと、今も、あの「大本営発表」の時代のそのままのスタンスで報道を行っているのである。

試しに「記者クラブ」の「記者室」へ行って、
ここのお家賃は、おいくらなのですかぁ~? さぞかし、お高いのでしょうねぇ~
などと、とぼけて、なるべく大声で、聞いてみるがいい。彼らは瞬時に、顔色が変わる。それは、後ろめたいからに他ならない。なぜなら、このことは諸法令に抵触していることは言うまでもないことだからだ。

そして、国家機関にとって、飼い慣らし、餌付けされた家畜となった「報道各社」を誑かす(たぶらかす)くらい、たやすいことはあるまい。なぜなら、挙げて「御用新聞」となっているのだから。


原発はどうなる


原発について、その安全性を省庁と一緒になって宣伝してまわったのは、どの報道機関だったか。

国家の命運、人間の生命にかかわるような重大事を、このようなあまりにも滑稽な構造に委ねておいてよいものか ―― 本稿では、これを問いたいのだ。

原発の問題は、明白に適切で充分な説明が行われていない。とりわけ、安全性においては、ほとんど「虚偽」がまかり通っているが、これを告発しようとするメディアは存在しない。

この尊大さ


ちなみに、日本記者クラブは、なんと、英語名称をJapan National Press Club と詐称している。

 national という語彙には、
  1. 国の、国家の、国家的な
  2. 国民の、国民的な
  3. 全国的な
  4. 国立の、国営の
  5. 愛国的な、国家主義的な
という意味がある。いったい、いつから、国営になったのか。いつ、いかなる方法で、どのような手続きをへて「国民の、国民的な」機関となったのか。彼らは「国の」機関であることを誇示したいのだ。

なんという不見識であろうか。尊大にも、ほどがあろう。彼らの「常識」の異常さかげんが、ここに、いかんなく表現されている。


2018/05/08

原発を今すぐ停止しなければならない最大の理由

大津波! 原発を今すぐ何とかしろ!

浜松原発を「パラムシル島」級の津波が直撃したらどうなるか、専門家諸君よ、今すぐ答えてほしい。

慰霊の日だった今年(2018年)3月11日はさまざまな報道がされた。それはそれで、有意義であっても、もっとも重要であって緊急な、迫りくる危機の問題を、あえて言及しないでいるようにさえ見える。

それは、近未来に必ずや発生する津波の直撃による、原発の崩壊・爆発である。

日本では、沿岸の低地に多くの原発が存在する。福島原発は、沿岸のただでさえ低い低地をさらに掘り下げて標高を低くして作られた。

つまり、福島原発は、なんとあろうことか、津波の襲来をまったく想定していなかったのである。想定できなかったのではなく、想定しなかったのである。まったく、身の毛がよだつような不気味な話である。
千年に一度の事象を想定して建設をすることはできない
これが、福島原発の事故が起きてから、建設の経緯を語る際に発せられた『言い訳』である。この科学者・技術者の良心・良識が微塵も感じられないコメント以外に、この迫りくる危機に対する何らの説明は存在しない。

あるというなら、見せてほしい。聴かせてほしい。

科学者、技術者の良心、良識はどこに

この『言い訳』は、断言するが、まったくのウソ、虚偽、デタラメである。科学者、技術者ともあろう者たちが、このような『ウソ』、語の正しい意味におけるデータ上の『虚言』を平然と公言するとは、何たる不埒(ふらち)さであろうか。

大本営発表 ―― こんなメディアも、もういらない

そして、その不埒な記者発表を、無批判にただひたすらに報じた報道機関の無責任さには、言語を失うありさまだ。

戦後になり、多くのいわゆる「進歩派」の知識人が戦前・戦中の報道機関のあり方を批判した。
大本営発表
という語句はそのあまりの虚言ぶりを揶揄(やゆ)するセリフとして、人口に膾炙(かいしゃ)した(=大いに語られた)。しかし、今回のこれは、それをはるかに上回る大罪であろう。

メディアの連中よ、もう、「記者クラブ」を捨てて、街に出ようぜ。良識に基いて記事を書く ―― これをやってほしい。

はっきり言っておくが、福島原発事故は、原子炉が破損してヒビが入り、放射能を少々「漏らした」、つまりほんの少しだけ「おもらし」した程度にすぎない。それでもこれだけの大事故だ。

地獄のかまのフタが開く

しかしここで言及する原発事故とは、原子炉(複数、おそらく多数の)が完全に爆発し、破壊されて四散し、大気中に危険物質を大量に拡散するということだ。まさに、語句が意味する通りに『地獄のかまのフタが開く』のである。日本列島は完全に死の島となり、さらにその惨害は近隣諸国、いや、地球全体に及ぶであろう。

千島列島には、第二次大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)が終結して7年後、1952年(昭和27年)、巨大津波が襲来している。千島列島の北端に近く、比較的人口が多かったパラムシル島ではこの時、人口の半数が繰り返し来襲した津波で死亡し、沿岸施設はすべて完全に破壊された。

パラムシル島に、当時「原発」が実在していれば、当然なことに、大事故となったはずだ。

福島原発の建設のための調査が開始されたのは、1958年、パラムシル島の惨劇からわずか6年後である。

この事実が意味するところは、はたして何か? 

そして、これがなぜ、同じ列島線上にならぶ日本列島には起こらないと断言できたのであろうか。日本列島の沿岸の多くの地点が、浜松に限らず、同じ運命にある。

現時点において、この問いかけに、責任ある立場からの回答・説明はまったくない。恐ろしい状況である。

あらためて、繰り返し言及すると、ここで言及する『地震』『津波』は、これだけでも大変な状況である。

しかし、『原発事故』 ―― これは、もう、比較を絶する危険度を有するということである。逃げ場所はこの惑星上のどこにもない。


2018/05/02

日本、英語ができない最大の理由

さらに再び、前節 
でご登場の「スイス在住のある世界的に著名な科学史研究者」のご高説を拝聴しよう。

われわれ日本人は、なぜ英語ができないのか ―― その2

日本だけが反対方向へ向かった ―― 「解体新書」とその方法論


『解体新書』をご存知だろうか。

江戸期、鎖国している時期にオランダ語から翻訳された解剖学の医学書である。この本、実は原著はドイツ語で刊行され、オランダ語版はいわば「海賊版」だったのである。オランダ商人からフッかけられて大枚な値段で買わされた、きわめて怪しげな文献だった。

あの科学史先生がのたまうには、日本の科学、文化はこの書籍、さらにその後の科学技術に対しても、世界の他の文化国家が一様にたどった歴史的経緯とはまったく反対の、とんでもない、あらぬ方向へ向かった、という。

世界標準では、このような圧倒的な力量をもった文物・文献が目の前に現れれば、それを研究するために、その言語に向かう、つまり先ずはその言語を習得する、さらに自己の文化圏内にその人口を増加させ、対象とする言語と一体化することによって、その文化・技術をわがものとする ―― この方向へ向かう。

しかるに、あろうことか、日本ではそうはならず、ひたすらそれを日本語化することによって、わがものとしようとした。 したがって 『解体新書』導入時において日本語に存在しない述語・専門用語、たとえば、骨・筋肉の一つひとつに付けられた、ラテン語の学術用語としての名称、ぼう大な数であるが、これに、いちいち日本語の漢字表記の述語を考案して名付けていった。

翻訳した杉田玄白・前野良沢らはこの労苦を
櫂(かい)や舵(かじ)の無い船で大海に乗り出したよう...
であると形容した。ふつうに「翻訳」と現代のわれわれが考える作業量の数十倍、いや数百倍であったろう。そして明治期以降も、この作業は多くの他の分野の専門書・技術書に対しても、連綿として続けられたのである。

しかもこの「解体新書・日本語版」は、なんと、古色蒼然(こしょくそうぜん=古めかしい)たる「漢文」で書かれていた。この時期、日本語の正式の文書とは、漢文だった。

吉田松蔭が、黒船として浦賀に来航したポーハタン号に国禁を犯して乗り込み、その乗員と筆談したとき、『漢文』で行ったことを想起してほしい。(松蔭は英会話ができなかったとされている) 「学術書」やあらたまった文書は漢文でしるさなければならないというのが、その当時の通例だった。

つまり、当時「最新科学情報」であるはずの医学書の刊行が、ああ!なんと、千年以上も前の「古式にのっとって」行われたのである。

そして、かの科学史先生は、いずれにせよ、これこそが、この方式こそが、
  • ぼう大な無駄と徒労で、まったく無意味
  • 日本人が英語ができない、決定的で持続的な原因・理由を確立した
と批判する。

つまり、日本は、英語など外国語の世界に入っていくことをせず、日本語のなかに、複製あるいはイルージョンを作ったと批判しているのである。とにかくこれが、
  • 世界の文明国の歴史に類例が存在しない
としている。それだけではなく、その後、このことにより国際的な孤立をまねき、
  • 第二次大戦で孤立し敗北
につながったと断言する。(これらの是非についてはここでは論じない。将来、別稿で書くとしよう)

想起してみるがいい。ローマ時代、ガリア人が、ローマの文物をガリアの現地語に翻訳して流布した例があっただろうか、そんなときは、みんなラテン語を学んでそれでそれを勉強したのだよ、という。それが学問というものだ、と...。

いずれにせよ、それ以降、すべての欧米からの科学技術情報やその他の分野の学問情報の移入は、この方式で行われた。 これが決定的な運命の分かれ目だったといえる。

そして、やや雑駁(ざっぱく)に言ってしまえば、日本ではこの方式が「日露戦争」に間に合った。ロシアを撃破できたことは、この方式が間違いではなかったことの何よりの証左であった(と、当時は考えられたのだろう)。


原爆の存在を予想すらできなかった、日本の最優秀の参謀


開戦に際しては『真珠湾攻撃』の攻撃隊隊長をつとめ、その後は、巧緻(こうち)をつくした作戦といわれ、マッカーサーを捕虜にしたかも知れないといわれた『捷一号作戦』を、参謀として策定した、きわめて真面目で真摯で優秀な軍人がいた。海軍大佐、淵田美津雄である。

しかしこの人物は、広島・長崎に原爆が投下されたとき、その物理学的な『原子力』の知識の片鱗すら持っていなかったと、戦後、述懐している。海軍総隊、および連合艦隊の参謀ともあろうものが、である。

敵が作っているであろう新兵器について、たんにその実戦配備を予想できなかったばかりではなく、その存在の可能性を想像することすらできなかったのだ。

日本における『専門家』とは、つねに、このパターンを踏襲する。自らの専門性ゆえに、そのわずか1センチとなりに位置する、あるいは、その先にある、より本来的で本質的な目的性が視野に入らず、それにより、自らのレゾン・デートル(存在理由)を見失うのだ。

『優秀な参謀』を自認するなら、原爆の可能性について言及し、対策をたてるべきであったろうし、そもそも、無謀で勝ち目のない戦争であることを提言すべきであった。敵が何をやっているかについて何の知見もなく、こちら側の価値基準のみで戦争しているという、お粗末きわまるありさまだったわけである。

つまり、淵田参謀が戦っていた「敵」 は、現実の「敵」とは、まったく乖離(かいり)していたのである。さらにまた、淵田とそのスタッフが、生(なま)の英語で敵側情報を同時進行的に解析していれば、原爆の存在を知ることができ、その時点で降伏することもできただろう。

日本における英語環境、英語教育は、完全にこのパターンを踏襲していると言える。

本来的で本質的な目的性について、全世界から旺盛な要求を突き付けられていながら、それが見えない、まったく見ようとしないのだ。

「国際的な英語教育...」を標榜する連中が、それが世界的な物笑いの対象となっていることが、まったく見えないのだ。

英文解釈、英文法、英作文に固執し、その技術を偏差値化することに没頭し、英語教育の本来の存在理由を否定をしてはばからない、というわけである。

この「受験産業」の「商売道具」としての「英語」を、21世紀にもなって、いつまで、続けるつもりなのか。つまり、今や世界中で共通語として飛び交っている「英語」と、現実に学習すべき対象としての「英語」が、完全に乖離していることが理解できないのだ。そして、世にもめずらしい、世界的にも珍無類、「英語ができない英語教師」が、学校で堂々と英語を教えるということになるのである。

淵田参謀が戦っていた「敵」と、現実の「敵」が、乖離していたごとくである。

ある日本のコメンテータは、こういう。ネイティブが話す英語で
  • we can
  • weekend
は、何度、聴いても判別ができない ―― と。

ただ、わずかな相違を聞き分けることは、ネイティブでも難しいらしい。前後の脈絡で判断しているにすぎない(らしい)。こういうことは、英語ができる、できないの本質的問題ではないのだが...。

奥行きはあるが幅がない近視眼的思考


さらに加えて、日本は科学技術において、日本語で、世界標準を凌駕しつつある ―― この確信が運命の分かれ目だった。いわゆる「高度経済成長」のときである。

しかし、この方式が『世界標準』でないことは、はっきりと何度でも強調しておこう。その是非の判断は、賢明なる読者諸氏におまかせする。

しかし、日本がおちいりやすい行動様式として、なにゆえ、「袋小路 dead end」におちいるのかは、今後も大いに反省と研究の余地がある。

LED技術を基礎にした液晶テレビは、日本のメーカーが世界をリードした。しかし、今はその勢いは片鱗もない。

「ウォークマン」で世界を凌駕したメーカーが、なぜ、その次世代の i-Tuneやi-Phoneを作れなかったのか。世界最大の口径をもつ戦艦を作る技術が、なぜ、航空戦を想定することができなかったのか。これを挙げれば、数限りない。